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神功皇后が描かれている紙幣その2

旧国立銀行券について

明治新政府では金融機関の必要から銀行制度の設立が急務となりました。
そのため明治5年(1872年)っ国立銀行条例を制定するのあたり政府は本条例の布告に先駆けアメリカの印刷会社(コンチネンタル・バンクノート・カンパニー)に発注して総額1,500万円相当の紙幣を製造しました。
アメリカから到着した紙幣に銀行名と所在地及び頭取、支配人名を紙幣局が加刷しました。これが「旧国立銀行券」です。
当時我が国の国立銀行券は、「国有銀行」ではなく、国法によって設立した株式会社の私立銀行でした。
つまり今で言う「みずほ銀行」や「三井住友銀行」などが紙幣の発行権があったようなものです。
明治政府はその各々の銀行の資本金を5万円以上とし、紙幣の発行を許可する代わりに正貨(※1)に兌換(※2)する義務も負わされたのです。
これらの銀行は「第1銀行~第153銀行」までありました。

国立銀行の乱立によって銀行紙幣の発行が増えている中、明治10年(1877年)の勃発した西南の役(※3)で軍費による多額の紙幣が発行されることになります。
明治13年(1880年)頃には政府紙幣はその価値が下落の頂点に達します。
そのため政府の財政は窮乏に陥りました。
そこで各銀行を統率する中央銀行制度(※4)の必要が叫ばれるにようになりました。
明治14年(1881年)の改正により各地の国立銀行(実質私立銀行)を廃止し中央銀行(※4)を創設して金融制度の統一を図りました。

この駐豪銀行が後の兌換券発行の特権を持った日本銀行です。
これにより従来の国立銀行は紙幣発酵の機能を失い、普通銀行に改められました。

旧国立銀行券10円

実はこの旧国立銀行券にも神功皇后が描かれています。
旧国立銀行券10円札に描かれています。
表面ではなく、裏面に神功皇后征韓(神功皇后の三韓征伐)の様子が描かれています。
表面は雅楽の演奏風景です。音楽を奏でて天岩戸を開いたとされる「天岩戸開き」の古事記に因んだ図柄です。

大きさは縦80mm、横190mmです。
製造枚数: 181,781枚。
発行は1873年(明治6年)
廃止は1899年(明治32年)

価格ですが、ヤフオク調べますと直近の2021年11月では、
悪い状態で15,500円で落札されていました。
こちらも状態が良ければ10万円を超える値打ちものです。

(※1)正貨: 額面と同じ価値をもった貨幣。すなわち補助貨幣や紙幣に対し,金本位制をとる国における金貨のような本位貨幣をいう

(※2)兌換(だかん): 銀行券または政府紙幣を額面金額と同価値の金銀貨または金銀地金などの正貨と引き換えること。

(※3)西南の役:西郷隆盛を中心とした鹿児島士族の反乱。明治六年(1873年)10月、朝鮮使節派遣の建議に敗れた西郷は一切の官職を辞して下野帰郷し、私学校を興して子弟の教育にあたったが、私学校の生徒ら三万余は、政府の開明策や士族解体策に反対して、西郷を擁して挙兵、熊本鎮台を囲んだ。政府はただちに徴兵令による軍隊で鎮圧。西郷はじめ指導者は多く自刃し、乱は平定した。西南戦争。

(※4)中央銀行・中央銀行制度: 中央銀行とは、国家や特定の地域の金融機構の中核となる機関です。その国や地域で通貨として利用される銀行券(紙幣、貨幣)を発行する「発券銀行」であり、通貨価値の安定を図る金融政策を司るため、「通貨の番人」とも呼ばれます。また、市中銀行に対しては預金を受け入れるとともに、最後の貸し手として資金を貸し出す「銀行の銀行」であり、国の預金を受け入れることで政府の資金を管理する「政府の銀行」という立場を持ちます。
中央銀行は金融政策を通じて、物価の安定に対して責任を負っています。また、金融に関して独自の判断をするという位置づけで、政府から独立した存在であることが求められています。

旧国立銀行券の種類

  1.  旧国立銀行券20円

  2.  旧国立銀行券10円

  3.  旧国立銀行券5円

  4.  旧国立銀行券2円

  5.  旧国立銀行券1円

以上5種類があります。

中央銀行制度について考える

さて、(※4)で中央銀行についての概要を説明いたしました。
私は気になるのが「政府から独立した存在であることが求められる」と言う点です。

この点については別のブログで書いていきたいと思います。


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