#失われたカレー

1980年代後半に起きたバブル崩壊により、
極めて深刻な景気後退が、日本経済を襲っていた。

この頃から、会社等へ融資していた金融機関の態度が豹変した。

日本の金融機関は、膨れ上がっていた〔不良債権〕を、
〔非常に重要な問題〕であると位置づけ、
融資先である会社等に対しては、これらへの対処法として、
〔貸し渋り〕や〔貸し剥がし〕を、次々と行っていく。

〔貸し倒れ〕を防ぐ為だった等と、何かと理由をつけながら。

融資をする際の条件を吊り上げたり、審査を厳しくしたり、
資金や利息分の返済を、厳しく取り立てたりもした。

時には意図的に、そう仕向ける事もしたのかもしれない…、
相手先が融資を諦めてくれる事を、密かに願いながら…。

〔会社の血液〕とも言われる〔資金の供給〕をカットされた
会社の中には、社長が首を吊って自殺をしたり、
一家心中等々…まさに〔経済苦〕を理由とした
自殺者が急増していく時代に、日本は突入していく。

戦争がなかったとしても、結果として、
人は人を、死に追いやる事がある。

人に暴力を振るってはいけない、戦争をしてはいけないと、
学校の先生方は、僕たちにそう教えてきた。

では、経済的な暴力や、経済的な虐待をしてしまった結果、
人が、或いは…その一家全員が亡くなってしまったら?

それは、いい事なのか?
それとも、悪い事なのか?

そんな事を教えてくれる先生方は、ひとりもいなかった。

多くの人々は、きっとこう言うのかもしれないね。

〔それは、自分が悪いんだろう?〕

〔不景気だったから、仕方がないだろう?〕

例えば…天災、或いは戦争やテロによって人が亡くなれば、
多くの人々は、何と惨い事かと悲嘆し、涙を流し、
犠牲者たちの墓前で手を合わし、花を添えて、祈りを捧げる。

中には、SNS で発信をする人々もいる事だろう。

でも、人が亡くなった理由が〔経済苦〕だった場合、
多くの人々は、途端に冷淡になる。

経営陣の総入れ替え、経営の統廃合、従業員へのリストラ、
経営の合理化、希望退職者の募集、採算のとれない部署の閉鎖、
売上が芳しくない店舗の閉鎖、見通しが不透明な企画の見直し、
広告費や人件費、その他…あらゆる予算のカット…。

日本中の企業が、その生き残りをかけて、
必死になって走り回り、試行錯誤していた時代…、
日本の〔失われた時代〕が、ついに幕を開ける。

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