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パンドラ・・・
大切な人がいなくなった虚無感の中で、彼は何を想うのか。クリスマスに起きた、小さな奇跡の話。
違う蝉の抜け殻の上に、蝉の抜け殻。その抜け殻の上に羽化した蝉。まるでマトリョーシカの様で、それは真逆。
もしも明日、隣の家がラーメン屋になっていたら、豚骨なのか醤油なのかで、窓を開けた時の景色が変わってくるだろう。
出かける前に、持ち物確認、即ち、忘れ物をしない!
雨音もなく静かだったのに、ドアを開けると雨が降っていた。でも、いつからか・・・雨は嫌いじゃない。
週末になって「今週も頑張った」と思える程、何かを成し遂げた気はしない。ただ、関わりある人達と少しだけ存在を認知している人々で週末を迎えたこの奇跡。
幸せは与え続けることで息が出来なくなる。それはまるで空気のようで、幸せを分かち合えるのか。または、光合成するか・・・太陽、浴びよ。
気付かなかった事に、気付いた方がいいのか、気付かないままの方がよかったのかは、これから明日を歩み続ける事で、答えが解るのかも知れない。
どんなに時間がかかったとしても、明日になれば日が昇る。だから、たとえ少しでも光が当たる場所へと。
母の日にプレゼントした時の母の笑顔は、母の日にもらった母からのプレゼントだ。
今の現状から少し距離を置いてみると、今まで気付けなかったモノが見えてくる。
朝、うがいしてスグに冷たすぎない水をコップ半分飲み干して清々しいと思い込みながら家を出ると、いい事ありそう。
ぽかぽか見てたら、なぜかPASCOのパンが食べたくなった。 あ、これがCMの効果かっ!
季節は巡り、桜が散るまで、まるで夢のよう。
青い鳥が戻る事は無かった。
同じ国で、同じ言語で、同じ言葉で会話をしても、話が通じない人もいる。 それは自己的で、決して聞き入れない拒絶を意味する。そこに果たして未来は?
たとえ同じ朝の様でも、少しだけ違う。それは、昨日を生きた今日だから。