意図の通りに伝わらない、の少しの面白さが消えていく今日の話

単純な言語化が難しいからこそ生まれる表現の類に、明確な解釈や説明を求めるのはそもそもとても無粋だということは前提として置いておきたい。
その上で私は「コロンブス」MVの問題について考えた。これは覚書です。散らかっています。

①西洋人:猿人=白人:有色人種 という図式に直結する固定観念の強固さを感じる

遡って考えれば、白人も有色人種も誰も彼もみんなもとを辿れば猿人。であるのに現代人は、対比的に両者が並ぶと上記のような図式を高確率で思い浮かべる。それ自体が根深い差別意識のようにも思える。(しかし歴史的に仕方なのないことでもあるから誤解や反感を生むのもわかる。)
しかしやはりどうしても被害者意識が強すぎる気もする。男女の性差で生まれるあらゆる問題を思い浮かべると分かりやすいが、大抵の場合差別される側にも他方に対する排他的な差別意識が存在している。それがさまざまの争いの火種になるし、戦いが終わらない原因でもある。
(ふと、教科書に載っていた井上ひさしの「握手」を思い出した。戦時中日本で働かせられていたルロイ修道士に対して主人公が謝ったシーン。その謝罪を修道士は確か傲慢と言った。罪を背負うことも、詰ることも、本当は当事者以外にはできない)

②歌詞の大まかなテーマと意図は何か
歌詞だけを読んで個人的に解釈してみる

・偉人↔︎僕 の対比
"ちょっとした奇跡/美学"
"胃が痛くなる日常が"
などと歌詞や曲名のコロンブスから連想する偉人と、何気ない日常をを生きる人々を対比

・上記を踏まえて、偉人だろうと凡人だろうとみんな平等というテーマの提示

"偉大な大発明も
見つけた細胞も
海原に流れる
炭酸の創造"
→すごい発見や発明も全て元はと言えば海(全ての生命の源的な意味ではないか。文学や何かで母なるものなどのメタファーとして海はよく登場する)から生まれたという意味?
("炭酸"はコカコーラのcmソングゆえの言葉遊びではないかと思う)


"いつか僕が眠りにつく日の様な
不安だけど確かなゴールが"
"地底の果てで聞こえる
コロンブスの高揚"
→地底の果て=土の中に埋まる今は亡きコロンブスといつかは死ぬ僕。平等に訪れる死。

"ちょっとした奇跡にクローズアップ
意味はないけど
まだまだまだ気づけていない"
"君を知りたい
まるでそれは探検の様な"
→ちょっとした奇跡/まるでそれは探検=コロンブスの卵や大陸の発見を連想させつつ、'"僕"の日常と重ね合わせて、その二つを同列に置いている

全体として、
偉人が成したことが今となっては当たり前でなんなら少しちっぽけになってしまうように
もちろん自分たちの日常も、自分が死んで仕舞えば意味のないものだろうが、そこに冒険や宝がある。どちらも等しくちっぽけで、等しく尊い。ということを飲料に絡めた言葉遊びで表現している曲に思える。


③MVの伝えようとしていることは何か

・視聴者(僕)>偉人たち>猿人の構造
様々な批判の中で偉人(白人)>猿人の構造が取り沙汰されているが、本来はおそらく見ている我々を含めた三段階の構造ではないかと思う。
猿人たちに文化を共有する(教える)偉人たち、
でもそんな文化はとうに持っていてさらに発展している我々という図式。(卵を立てられるコロンブスでも電球をどうしたらいいかわからないというシーンがとても印象的)
ちなみに、劇中猿人が出演している映画(なんのオマージュかなどは置いておいて…)を偉人たちが真剣に見ているシーンがあるが、これは文化が猿人に一方的に与えられた訳ではなく、両者の間での交換があったことを示すものではないかと思う。違うかな…

・3タイプの乗り物
人力車のようなものを猿人が引いていることが殊更問題視されているが、これは異なる時代の乗り物を登場させるために必要な役割として猿人がいるだけではなかろうかと思う。(猿人がエンジンってな。ダジャレか…)
現にコロンブスは何故かキックボード的なものに乗っているし、途中猿人だけでなくコロンブスも道をただただ走っているシーンがあった。そのシーンでは猿人・人間・馬が同じように走っていて、穿った見方をしすぎなければ、馬も人間も猿人も変わらんよね、という風にもとれる。
(しかし誤解を生みやすい部分ではある。)


・意味深なラスト
調べて画像を見つけてやっと読めたのだが、ラストシーンのレンガのところに"BABEL"というアルファベットがある。

《Babelは聖書の地名シナルの古都》旧約聖書の創世記にある伝説上の塔。ノアの大洪水ののち、人類がバビロンに天に達するほどの高塔を建てようとしたのを神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させて互いに通じないようにした。そのため人々は工事を中止し、各地に散ったという。転じて、傲慢に対する戒めや、実現不可能な計画の意にも用いられる。

デジタル大辞泉

なので、もしかすると昔はここに文明が…?という終わり方になっているようだった。
これによって、偉人たち3人にも同じ結末(歌詞で言う"眠りにつく日")が訪れるのでは?という無限ループっぽい終わり方になっていると私は解釈した。(偉人たちに訪れるってことはもちろん視聴者たちにも訪れる結末。)
それと、そもそもハウス自体が架空の、ファンタジックな舞台設定で、かつ猿人が自然の中でなくてその家に住んでることからもしかして文明の崩壊と発展が繰り返し繰り返してのいつかの未来の猿人……?という解釈もできそう。とても面白い。

歌詞の意味をなんとなく踏まえてMVを見ると、差別意識や人種差別というより全て並列に語ろう、という感じをちょっとコミカルな雰囲気で伝えようとした内容に思えた。ニュートラルな気持ちで見ようとすれば、別に偉人たちは猿人たちを従えてるわけではないし(人力車以外は。でもあれは誰かが引かないと動かないからしょうがない…)、みんな一緒に楽しくおどっている。歴史がこうだったらな、という願いも少し感じる。
けれど色々調べてみて、コロンブスが全くもって善良な人間ではないのは確かだし、故に楽しいテーマにはまあミスマッチだしとにかくつつく隙がありすぎたんだろうな…という印象だった。



以上のようなことを訥々と考えて最終的に思ったのは、最近は「そういう受け取り方されるんだ、面白いなあ」などが通用しない世界なのだな、ということでした。それは多分、他人の意見や情報にどんどんアクセスしやすくなっているからではないでしょうか。それともう一つ、これは消費者側のニーズと売る側のニーズのどちらから生まれたのか私には分かりませんが、商品の価値に口コミが多大な影響を与えるから、でしょうか。
必然的に受け取り手に委ねるような、幅を持たせたものはどんどん減っていき、多数派から批判を受けたものは抹消され、平たくならされた世界になっていく、のでしょうか。

ここまで覚書をまとめた今も、このMVの解釈の差を興味深く思うのは不謹慎なのだろうか、と少し迷っています。なのでこの記事はすぐに消してしまうかもしれません。(でも、私たちは過去に対して罪を償うことも、今を生きている人に償わせることも本当はできない。だからずっと考え続けるしかない。そしてきっと、歴史や慣習や風潮にではなくまず目の前にいる人としっかり対峙するしかないのだと思います。)

抹消の対象になる様々なものに興味を惹かれて、いつも何時間か考え込んでしまうので
また何か考えたら、自分のために覚書を置いておきたいです。

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