2011年東北

最初の記事が「新プロジェクトXを見て」であって、
ここで書こうか少し逡巡したが、
やはり当時の目の当たりにしたものは
記憶に消える前にとどめることが何かしかの意味があるかと思い
拙いながらも記すことにしようと思う
(不快に思う人がいたら、また自分でも考え直すかもしれない、
それゆえに消すかもしれないことについては了承願いたい。)。

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長蛇の列があった。

ガソリンスタンド。
ガソリン待ちの列。
私は、ここで実感した。
これは非日常なのだと。
 
見られている、見られたという視線・意識があった。
そのたびに、身がひきしまり、唇が渇き、無意識に唾を飲み込むという
感覚を覚えた。
 
しかし、これは序の口であった。

目的地の途中までは車で行ったが、
ほどなく車では行けなくなった。
がれきである。
 
見た人にしかわかるまいという風景
いや、風景というのは間違いである。
人生があった場所
残念ながら、私にはそれを表現できる語彙がない。
 
ただ、
いまだに海に浮かぶ船が、陸の家の上に乗っている。
脳裏には生涯乗っているのであろう。
 
視覚
両側が丘
谷間の集落の家の残骸の上
これは視覚
視覚
 
嗅覚
木々のにおい、引いた潮のにおい、油のにおい。
家の木製ボード、家の中の生活の残置物が水に濡れて、
合わさった生活の残骸のにおい。
土と水と空気がマスキングしていたにおい。
これは嗅覚
嗅覚
 
感覚とは不思議なもので、
視覚・嗅覚だけではない。
踏みしめた土とがれきの混合物の触覚。
有機的な風の音と、無機的な捜索の人為的な音が聴覚に響き、
たまに唾を飲み込む味覚と
10年以上たった今でも浮かぶのである。
脳が感じるのか
肌が感じるのか
何が感じるのか
つぶれそうな思いと、視覚で感じる崩れそうな音を抱えながらの
清掃の音と、
静寂の祈りのヴォイスと
他所者が浮かぶのであれば、当事者は。
 
私が10年以上たった今でもこの報道を忌避するのは。
 
なぜ、テレビのリモコンを即座にかえるのか
 
軟弱か。軟弱であろう。
しかし、耐えられなかったのだ、否、耐えられない。
直視、否、直に感じたゆえにだ。
 
ここに来るまでの建物・生活の香り、いや五感はなぎ倒されていたので
もう驚くまいと思ったが、
所詮、浅はかなこれまでのちっぽけな経験の上の想定である。
そのものを見た・感じた、いや五感全感覚で受け止めた際に
そんな経験は砕け散った。
経験の重さはわかっているが、重いゆえに砕けるのは一瞬というのが
わかったのはこのときがはじめてであった。
 
ちっぽけな自分がつぶされないように、
感覚を無意識に封じたのかもしれない。
 
残像、いや眼の奥というのか、
眼を瞑れば浮かぶというのか、
現実ではないもの、否、あれは現実だ
現実だ
現実だ
はっきりモノクロームではなくカラフルに
浮かぶ。見える。見えるのである。
否、感じるのである。
 
あと数センチで濁流にのまれなかった形跡を目の当たりにした。
のまれた形跡も当然に目の当たりにしたのである。
それは丘の中腹の津波など来ようはずがない
場所の公民館らしき建物の1階の中に転がった
ピンクの割れた風呂桶。
 
海沿いの加工工場の魚のにおいを鼻の当たりにした。
それはひっくり返ったいつかどこかの市場で見た
イエローの運搬車両、
発砲スチロール、用をなさなくなった電気が通らない
ホワイトの冷蔵庫、
腐敗と海の「におい」。
 
がれきを捜索する地域の方々の作業の音を耳の当たりにした。
それは後片付けの日常?色はもはやない。
片付け?
何を片付けるのか?
片付けなければならない何かを彼らはしたのであろうか。
何の後なのか前なのか
何なのか
無常に音だけが聞こえる。
無常に疲労困憊な彼らの動きが見える。
そのとき、確かに聞かないように見ないようにした。
 
ああ臆病者だ、卑怯者だ、自分は。
 
何ができるのであろう。
何ができたのであろう。
 
止まることはできない。
現実を見つめるのが怖かったんだろう。
 
カラフル
色に満ちているのか
満ちている?
白黒だといいのか?
ピンクや
イエローや
ホワイトの
認識はないのか。
 
いまだに「こたえ」は出ていない。

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感覚に基づいたものであって、
善悪は不明なれど風化させていいものかという
おもいもあり
いったん記したいと思う。

#東日本大震災
#復興


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