【時事】鈴木直道 実績情報整理Vol.1
北海道知事の鈴木直道氏についてまとめます。支持率が驚異の80%という化け物じみた強さの彼ですが、twitterでは売国奴のような扱いを受けています。清廉潔白で有能な男性なのか、虚飾に満ちた稀代のペテン師なのか、じっくりと検証してまいりましょう。
◆年表
1981年
・埼玉県三郷市に生まれる
1999年
・東京都庁に入庁
2000年
・都の職員として働きつつ法政大学二部合格
法学部法学科
2002年
・法政大学ボクシング部の主将を務める
・国民体育大会ボクシング競技東京都代表選考
フェザー級準優勝
2004年
・法政大学卒業
2007年
・夕張派遣の話が浮上する
・当初は1年間の赴任予定だったが、本人の希望で800日に延長
2009年
・夕張再生市民アンケート実行委員会を設立
・視察に訪れていた渡辺周総務副大臣に市の状況説明
・渡辺副大臣に報告書提出、夕張市への配慮を求める
2010年
・東京都知事本局総務部総務課主任として内閣地域主権戦略室出向
・4月、夕張市行政参与となる
・夕張市の財政再生計画スタート
・除雪体制の見直し、老朽化した市立診療所改築を提案
・夕張市長選挙に出馬の打診を受ける
・11月に東京都職員退職し、夕張市長選挙に出馬表明
2011年
・記者会見を開き正式に出馬を表明
・統一地方選で実施される夕張市長選挙に無所属で出馬
・全国最年少の30歳1ヵ月で夕張市長に就任
・公約実現長特命チーム「まちづくり企画室」を設置
・都営地下鉄中吊り、主要10駅構内に夕張観光ポスター掲示
・東京消防庁との連絡窓口としてホットラインを設置
2012年
・野田佳彦内閣総理大臣に面会
・都営バス車両、夕張に譲渡(大型ノンステップバス1両)
2013年
・世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・ リーダーズ」選出
2014年
・舛添要一都知事と会談、東京都の支援を継続するよう要請
・政府支援「地域活性化モデルケース」に夕張市選定
・コンパクトシティ「歩団地」が国土交通大臣表彰を受賞
2015年
・夕張市長に再選
・「コンパクトシティと夕張再生エネルギー活用による元気創造への挑戦」が評価される
・高市早苗総務大臣夕張市訪問、財政の立て直しは順調に進んでいると評価
・日本メンズファッション協会「第44回ベストドレッサー賞」政治部門受賞
2016年
・マウントレースイ売却の話、1回目(4月)
・マウントレースイ売却の話、2回目(12月)
・小池都知事と面談し、支援要請
2017年
・マウントレースイスキー場+3ホテル、元大グループに売却
・財政再生計画変更の総務大臣同意を得る際、高市総務大臣は「この計画は、夕張市が実質的な再生に向けて新たな一歩を踏み出すためのものであり鈴木市長のリーダーシップに期待をしている」と述べた
2019年
・北海道知事選挙に無所属で立候補する意向を表明
※菅義偉前総理応援演説
・同年2月28日に夕張市長退任
・同年4月7日投開票の北海道知事選挙で石川知裕を破り初当選
・同年4月23日、公選第19代北海道知事就任
2020年
・2月、緊急事態宣言(1回目)
・3月17日には1ヵ月ぶりに道内の感染者がゼロに
・北海道新聞世論調査、支持率は驚異の88%
・緊急事態宣言(期間2月28日~3月19日)の支持率は95%
・4月、緊急事態宣言(2回目)
※秋元札幌市長と共同で「北海道・札幌市緊急共同宣言」
2023年
・次世代半導体の国内生産を目指すラピダス本社訪問
・小池淳義社長と面会し、道内への工場建設を要請
◆人物像
1. 高校卒業まで
今でこそ、高い地位まで到達している彼ですが、かなり苦労人だったようです。長いのでピックアップ/箇条書き化します。文意が変わらない範囲にとどめております。※元文章を読まれたい方はこちらをご覧ください。
2. 都職員・大学時代
次に「都庁に入庁してから」を確認してみましょう。苦労人生活はこの時点では継続中。
3. 都の職員として夕張へ派遣
転機は都職員になって8年目に訪れました。当時副知事だった猪瀬直樹から「財政破たんした夕張市に都から職員を派遣する」という構想が発表されます。彼は、自分がその候補にあがっていることを聞かされ、悩んだ末、夕張に行くことを決意。08年1月、26歳で夕張に赴任。
◆夕張市長時代
1. 国内全市町村の中で最低賃金
北海道夕張市時代の給与は25万9000円でした。給与70%カット。これは手取りで言うと19万円。ちなみに「一般職員より手取りが少ない」という状態。奥様は共働きで家計を支えられたそうです。(朝日新聞インタビュー)
市長給与ベースで言うと251万円。都の職員をやってた方がよっぽどもらえましたよね。ただ、副収入はあったようで、ご本人が公表しておられます。
ちなみに退職金はゼロです。
2. 職員の手取り改善
破綻後の夕張市職員の給与は40%カットでしたが、鈴木市長就任後は段階的に7%カットまで引き上げているようです。
3. 東京都との連携
2012年 都から大型ノンステップバスを譲渡されています。(東京都交通局)
2014年 舛添要一都知事と会談し、東京都の支援を継続するよう要請
2014年 都営地下鉄中吊り、主要10駅構内に、夕張観光PRポスター掲示
2014年 東京消防庁との連絡窓口としてホットラインを設置
2016年 小池百合子都知事に支援要請(北海道新聞Web Archive)
4. 政府との連携
政府にも支援要請を継続的に行っていました。
5. カタール私費訪問(夕張メロンPR)
2013年7月31日、鈴木市長は、東日本大震災の被災者を夕張に招く事業で支援を受けたカタールに感謝の意を示すために単身出発し、カタール首都ドーハを訪れアティーヤ外相と面談し夕張から持参したメロンを手渡しました。鈴木市長と外相はドーハの外務省で約15分面談後、日本料理店で王族十数人と会食しメロンを振る舞いました。
※渡航や会食などの費用30万円は私費
※メロンは夕張市農協から約50個の無償提供
北海道新聞 Web Archive
これは翌年「夕張からカタールへ初のメロン輸出」となって実を結びます。2015年に「2014年のメロンの輸出」という資料が配布されていますが、それがこちら。
6. コンパクトシティ化
町の概要
簡単に言うと、とても広い敷地だが林野ばかり。超少子高齢化。
・面積は763.07㎢(東京23区が収まる大きさ)
・9割が林野です。
・南北に長く、Y字状の沢に沿って六つの集落が散在します。
・山に囲まれた地形、寒暖差が激しく、冬は積雪が平均10mほど。
・人口に占める 65 歳以上の比率約50%(全国最大)
・人口に占める14 歳以下の比率約5%(全国最小)
・財政再生団体になって職員が260人から100人に減少
・市の職員の給与は40%カット(のちに改善)
・1982年から財政破綻の危険性は指摘されていた
人口の増減
夕張は急激な人口増のあとに急激な人口減を経験した場所です。炭鉱が賑わっていた時と、閉山された後の落差が激しい。で、賑わっていた頃に病院、学校、公共施設を作っていきました。そこに炭鉱閉山がきて、人口が急減。1960年頃11万6000人だったのが、鈴木市長の2011年には1万人強。
コンパクトシティ構想
普通の街の活性化は「中心部に人を集める商業施設やハコモノを作る」でしょうが、夕張はその「人を他の場所から集める」が難しい場所でした。ですから、人口減少を前提にして町の集約化を進めています。古い炭鉱住宅の買い上げた市営住宅を数カ所にまとめ、高齢者に好評。除雪費等の削減と治安維持にも大きな影響。
住宅外観
小中学校統廃合
小学校6校、中学校3校をぞれぞれ1校として清水沢地区に集約
バスのオンデマンド化
大型バスを、タクシー会社によるマイクロバスやワゴン車に切り替えました。これでJR廃線(後述)による交通のデメリットを緩和。
当時の鈴木市長インタビュー
7. JR攻めの廃線
ローカル線の廃線は他の都府県などでも幾つか例がありますが、夕張支線はレアケースです。市自らが返上しました。
2016年、JR北海道が「単独では維持困難な路線」について自治体に協議を呼びかけた時、鈴木直道市長が廃線を持ちかけました。代替交通への支援を引き出すのが狙いで、市長はこれを「攻めの廃線」と称した。2006年に財政破綻した市は、路線バスの維持に年間約1,000万円を補助しており、これに加えて鉄道も支援するのは財政的に難しいという状況。そこで、廃線を了承する代わりにJR北海道から約7億5,000万円の拠出を受けてバス運営に充当。
バスの便数は1日10往復。6つの駅の代わりに44ヶ所の停留所に。バスの利用者は350人/日と、鉄道を上回っています。(読売新聞2022年10月9日)
◆マウントレースイの件
おそらく、鈴木市長時代の「負のイメージで語られる要素」としては、最もトピックとして大きい話題だと思います。なので、独立してお話します。
1. 時系列
松下興産以前の時代はこのトピックに関係ないので割愛します。鈴木直道市長時代の「マウントレースイ」関係が赤文字の箇所です。
2015年から2017年までを少し詳細に書くとこんな時系列になります。
2. 検証
さて、ここで一番参考になるのが今川市議のBLOGです。リンク先に当時の議事録もあるので、正確性に問題はないかと思います。
売却は不可避だった
2017年3月31日付で加森観光の委託が契約切れになります。それに併せて所有権も売却の流れです。財政状態から鑑みて売却は避けられない事態だったのはご理解いただけるかと思います。まず、売却に先だってアドバイザー企業が選定される必要性が語られます。(議事録 2016年9月10日)
売却アドバイザリー契約業者
公募の末、三井不動産リアルティ株式会社に決定されました。
1回目公募
売却先の選定は上記の会議より前に行われています。
「4月28日から6月30日、7月上旬に1次選考、10月上旬2次選考、11月上旬に優先交渉者の決定、12月中旬に仮契約、3月末で本契約締結、売買代金の納入、引き継ぎ、4月1日に引き渡し」と予定していましたが、この時には決定できませんでした。以下、議事録抜粋。
2回目公募
公募の1回目が不調に終わったため、期日が迫った状況下で12月に再度公募が行われます。施設そのものが存続できるかどうかギリギリの日程です。もちろん、売却出来なければ売却益は0円にしかなりません。廃墟が増えるか撤去費用が生じるかです。ちなみに、前述のとおり1回目の公募は6社あっても1社も条件面で折り合いが付いていません。こうした経緯で中国系の元大リアルエステートの関連会社「元大夕張リゾート」に売却が決まります。
今川和哉氏の記事抜粋
長くなってしまうので要所要所を抜粋します。切り取り出ない元記事をご覧になられたい方はリンク先をご参照ください。今川議員は司法書士でもあるため、理路整然と説明してくださっています。また、鈴木知事批判も多少あるので「身内の全面擁護」という訳でもなさそうです。
ご覧いただけるとわかられるかと思いますが、私個人としては賛同できる箇所が多いです。夕張という財政再建を目指す土地の売価がいくらが適正なのかは、おそらく三井不動産リアルティでも算定が難しかったのではないかと。また、「施設の売却」と「施設+運営権の売却」で転売時に差異が出たという説明も、納得がいきます。
3. 中国系航空会社10億円買取の件
2017年1月12日に実は中国系航空会社(LCC)が施設を10億円で買い取るという話を持ち掛けているようです。「他のところに売ったら10億円だったのに、中国人の企業に安く販売した(親中のため便宜供与)」という論調の批判がたまに見受けられるのは、おそらくこの事かと思われます。
これは、第二回目の公募期間終了後(2016年12月27日)、第8回夕張市特定財産売却選考委員会(2017年1月10日)の選考後の話となります。既定路線のものを覆すことは不可能だったかと思われます。上記記事の「別の企業と交渉中」は、それが公募のルールであったからというだけの話かと。
また、公募参加資格である「日本国内に登記されている法人」という条件を満たさないので、そもそもが売却不可能です。(元大リアルエステートは、経営こそ中国の方ですが、日本国内の法人です)時間的猶予もなかったと思われます。
3-追記(上記と重複する箇所あり、再確認です)
昨日、小野寺まさる氏とtwitterで議論した経緯で、少し情報が出てきたので追記と再確認作業をします。情報提供の怪盗仏陀さんに感謝を。
追記1 公募参加資格を満たしていたか?
上記の事から、中国の航空会社は「そもそもが公募の要件を満たしていなかった」がわかります。
追記2 期日的に香港の航空会社に売却可能だったのか?
これも再確認になります。時系列を再確認しましょう。
1回目の公募が不調に終わり、2回目の公募でようやく元大リアルエステートが優先交渉者に先行されました。中国の航空会社が折衝してきたのは1月12日。つまり加森観光撤退前2ヶ月半ほど。ここで決まらなければ「施設の存続が危うい」に加え、失業者が多量に出る形になります。
では、中国の航空会社が高く買ってくれるからねじ込もうと考えた場合はどうなるでしょうか?さすがに公募を2回行っておきながら、今更随意契約にする訳にはいきません。つまり、白紙スタートにして、条件を変えつつ公募やり直しする必要があります。さもなくば、間違いなく「正規手順で優先交渉者に決まった国内企業を無視して、中国企業のために便宜供与を図った」という疑獄事件に突入するのは自明の理です。
追記3 鈴木市長は香港の航空会社の事を認識していたか?
以下、当該箇所文字起こしです。
2月に夕張市長を退任し、北海道知事になっているので、ちょうどその頃の動画ですね。鈴木知事は「(香港の航空会社について)企業名内容共に承知しておりません」と回答しています。
追記4 転売防止規制について
「転売防止を盛り込まなかったのは確信犯」という珍説もあります。が、仮に確信犯なら、最初から公募要件緩くして中国企業に売っていたのではないかと思います。
下記の共産党真下議員の発言で、元大が契約にこの規定を入れることを拒否したのがお分かりいただけるかと思います。期日ギリギリなので、転売防止盛り込んで不調に終わると失業者が多数になる。それよりは「盛り込まずに契約を成立させる」を選んだだけではないかなと。
転売禁止を盛り込まなかったというよりは「転売禁止を盛り込んで不調に終わってしまうと施設廃業になり失業者が多数出てしまう」ので、現実的な落としどころとしての妥協ラインだったのではないかと考えます。
追記まとめ
・中国系航空会社はそもそも公募要件を満たしていない
・結局、公募に参加できていない
・参加できなければ当然契約には至らない
・しかも期日的には、優先交渉者決定後の折衝
・鈴木知事(当時市長)はその会社を把握していない
・公募や選考の過程で「中国に便宜を図らなかった」
※結果、選考されたのは日本企業です。
・白紙撤回、公募条件変更でのやり直しは時間的に無理
ちなみに小野寺まさる氏はこうツイートしておられます。
これで下記の事がわかります。
・最後まで現地法人はなかった(公募の資格要件に合わない)
・小野寺まさる氏は「中国企業に便宜を図る動き」を是認
親中として論じられることの多い鈴木直道は、中国に利益供与を行わず、公募のルールを遵守して、日本企業を選考しました。愛国ポジションにいる小野寺まさる氏は「自分が対応していたら中国企業に日本法人を作らせて公募に参加させていた」という旨の発言をしました。
実に面白い結果になりましたね。
4. まとめ
中国系企業の元大リアルエステートに売却が決まった経緯は上述。
・第一回目の公募:不調に終わった
・第二回目の公募:優先交渉権者選考元大リアルエステートの1社のみ
・第二回目の公募は2016年12月(加森観光契約切れまで3か月)
・市議会で可決されたのは2017年2月(加森観光契約切れまで1か月)
・売却先が見つからない場合、観光施設は閉鎖に追い込まれる
・マウントレースイは、多くの従業員がいた
・冬場には300人規模の雇用があった
そもそも「誰も買わなきゃ1円にもならない」し「誰も買ってくれなかった」だし「期日は迫ってた」だし、理想通りにいかないからって糾弾するもの酷です。中国系ってところで保守派の方々が責め立てている印象ですが「じゃあ、日本人が応募して金出したか?」と思います。そして、元大リアルエステートが買わなかった場合は「施設閉鎖」であり「失業者多数」でした。おそらく私が同じ立場だったとしても「売却一択」だったと思います。
また、中国系航空会社については論外。最初からそっちに売ってれば10億の市の収入になったのに、は不可能。公募の要件を満たしていない。だから「契約そのものが出来ない」です。
数年後に元大リアルエステートが転売したら15億円になったから、そっちに最初から売るべきだったというのは、完全な後出しじゃんけん。予見できるはずもなく、期日内にその販売先は現れなかったのが実情です。
◆筆者私見
夕張は「もう手の施しようがない状態」でバトンパスを受け継いだ訳ですし、おそらく「根本的な解決策」は出ない可能性が高い。少子高齢化を防ぐには周辺地域や道外から人や企業を誘致するしかないですし、カンフル剤になるような起爆剤がないと…
鈴木市長時代に行った事も住民から批判もあるようですし(全住民を満足させるプランなんて不可能ですしね)、言わば「症状が進行するのを遅らせる」のイメージはあります。が、おそらくは「他の人ならそれすらも出来なかったんじゃない?」と思うのです。マウントレースイの業績不振は鈴木市長就任があってもなくても起きていた。売却も不可避。そんな中で「最善手」は打っていたんじゃないかなと思います。
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