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行き止まりの世界に生まれてたり、新宿三丁目駅で降りたり
人は群れて生きるようになってるんだ。
誰かとハグするとストレスが消えるらしいです。独身と既婚者では人生の満足度が後者のほうが高いらしいです。
とはいえ、とはいえ。
ストレスがあっても生きれるし、人と比べた満足度なんて知らんし、自分が満足してればそれこそ私にとっての良い人生なのであります。
英語と外国の学習を兼ねて、『行き止まりの世界に生まれて』というドキュメンタリーを見たのですが、面白かったです。
面白いというのはfanyではなくて、interestingのほう。ザックへの評価がニナとキアーで違っていて、ビンと視点を共有する視聴者は、そのどちらの事情も知っている。
という状況が、大変エモかった土曜日の昼下がりでございます。
いつからだか忘れちゃったけど、私の中にはひとつの考えが確立されておりまして。
というのも、ひとつの意見には必ず賛否があって、当然だけど片側から見た賛成は、反対側からは批判だし、その批判を誰かは賛成したりする。それはどちらも間違いじゃないよねっていう。
この視点を複数持てるかどうか。持とうと意識するかどうかで、人間力がぐっと変わってくる気がします。
登場人物でいうと、この人間力はザックが一番低い。
白人で男に生まれたにも関わらず、その幸運に気付かず努力もせず、現状にくすぶっている。不幸な部分ばかりに囚われて、問題の原因を他者に向けてしまうことが最大の問題なんだって、いつ気付くんだろう。
とはいえ、わりとフラットにロックフォードに住む三人を見ているつもりではあるけど、でもそれだって真実というわけではないんでしょうね。
人から聞いたその人の話。自分で見たその人の姿。誰かが撮影したその人の動画。その人しか知らないその人。
ぜんぶ繋げても、やっぱり本当のその人を、完全に理解はできない。
ついつい交流を持つと、分かった気になってしまい、共感して、更に交流を重ねて、たまにぶつかって、仲直りできたらそのままで。ぶつかって壊れてしまえばさよならで。
人は分かり合えないというのは私がずっと思っていることです。だから本当のことなんて知る必要はないんだろうと思います。
ただ、あの時アイツはこうだったのかな、自分に問題があったかもしれない、どうだったかなって考える。
そんなふうに反省ができるなら次の誰かに繋がるし、相手のせいだと放棄してしまえばそれまでです。
反省というのは己を省みる事ではあるけれど、相手の視点に考えを巡らせるってフェーズも含んでいると思います。
そうやって視点を増やしていって、世界が広がると、問題が目について、自分だけでは解決できないどうしようもない大きな問題に悲しくなるんだけど、それでも向き合うことから逃げるのはダメなんだよ。
キアーの父親の『生まれ変わるならまた黒人になれ』って言葉が印象的でした。
何故かと言うと、黒人は問題と向き合うからだって。そうしたら白人が躓く小さなものに気を使わずに済むんだって。
ほーん。やっぱ問題は考え続けたいよな。
解決できるかはさておき、思考は止めてはいけないと思うのであります。
そして私はやっぱりニナの考えがとても分かる。唯一理解できなかった事といえば『なんでザックと子供作っちゃったのよ』って、そこだけかな。
まあそれは個人の好みになりますのでね。
とにかくレッテルでいうと私は女なので、ニナの内面が容易に想像できました。
じゃあ野郎三人の中でいうと?
となると、ビンとキアーは何となく分かる気がした。
だけど二人にだって、それぞれで私の想像が及ばない問題(両親との確執、人種差別、家庭内暴力、貧困)を抱えているので、分かった気になっているだけだ。そもそも性別が違う。男社会と女社会では培うものは違ってくるから、あくまで想像はできるかもという感じ。
ザックに限ってはマジで分からん。
想像しようとしても無理。なぜかと言うと、ザック本人が分かってないからです。
人から理解されるためには、まずは自分自身が、自分のことを理解しないといけない。でないと人間が分かり合える唯一の可能性である、言葉という手段を使うことができないからです。
伝えることができないなら、伝わらないのは当然です。中には汲み取ってくれる人もいるかもしれないけど、数は少ないし、ゼロかも。その人に出逢うまでには、やはり何らかの交流はしないといけないし、人と向き合うことは必要になる。だって人は群れて生きるようになっているからです。
実際に動画の若者もスケートボードを通じて群れている。その12年間を1時間30分という短い時間で観たわけだけど、人間ってやつは、関わる人達と、その人達が発する言葉を聞いて、ぶつかって、そういうのを糧として出来上がるんだなあと思いました。
あとは親はふたり揃っていないと苦しい思いをするのかなあとか。すべては身近にいる人達にかかっているので、それが親である必要もないのかもとか。
まあ、下手な親なら害だし不要かもね。なんてニナのおばさん家でのエピソードを聞いて思ったり。
ザックとニナの子供であるエリオット。
彼の周りには色んなタイプの人間がいる。彼が成長する過程で、どのタイプの人間に惹かれていくかは誰にも分からないことです。
ただ、誰にだって悪い部分、良い部分があるわけで、ニナの良い部分とか、ザックの良い部分とか。良い成分が多めの人間、悪い部分が多めの人間。何を以てして悪とするか、正しいとするか。そういうのは自分が大切にしていきたいものと天秤にかけて、いい部分だけを汲み取って成長して欲しいな。
できたら、その正しさが、誰かが喜ぶものであれば、より素敵ではある。やり直せることなら間違っても良いし。
私の人生の決め事として、みんながお利口さんぶって黙っちゃう世の中なので、私くらいはでかい声を出していきたいと思っています。
間違ったこと言っても、指摘されて『間違えましたごめんちゃい』って言えたら良いのであります。
そういえば今週は残業して仕事終わり、市ヶ谷駅で外国人に話しかけられた。
『このホテルに行きたいんだけど、新宿と新宿三丁目ではどっちが近い?』
かろうじて『Do you go with me?』ってフレーズが出て来たので、『Yes』と言われて案内することになりました。調布まで乗るのが日常だけど、この日は新宿三丁目駅で下車。
道中名前は聞かなかったけど、台湾で英語の先生をしてる女性で、私も英語の勉強してますよって言うと、その方から言われた言葉があります。
『We are not a machine. We are not a robot.』
前後の言葉は忘れちゃったけど、文脈的には、間違ってもいいからコミュニケーションを取り続けなさい。トライして。私たちはロボットじゃないから間違えるものです。それに怯えなくていいよ。
的なことを言われました。
良いこと言うなあって思って。
人はロボットじゃなくて、感情を持って群れて生きるからこそ、穏便に生きたくて、衝突や失敗は避けたくなる。
だけど、はっきりと言わない言葉は、傷付ける。言ったことで傷付けるより、私はそっちのほうがこわいな。
言って後悔することだって、あるけども。
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