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主人公だから。ごめんね。

このじんせいの主人公はわたしだとおもっている。正義感が強いとか,責任感が強いとかじゃなくて,根本的に,このじんせいの主人公はわたしだからこうするしかないって感じなの。

病院に行って、遅刻してきたがっこう。
クラスルームの窓を遠くから見ると
わたしがいなくてもそこでは普通に
授業が行われている。
あたりまえのことだけど、わたしはそれに
違和感を感じた。

電車の窓から向こうの電車の窓が見える。
同じ速度で同じ方向を向いてる。
このひとりひとりに人生があるなんて
ごめん,考えられない。

受験生の時、塾から出ると,町を歩いているすべての人を尊敬した。彼らがみんな,受験を乗り越えてきたかと思うと,信じられなかったけど,それが真実だと思うと彼らは英雄に思えた。

じぶんがいない中で世界が回ることが受け入れられなかった。

去年の夏,はじめてコロナになったとき。
じぶんがいなくても夏が過ぎていくことに
嘆いた。

どこまでもおめでたくて,どこまでも自意識過剰で、どこまでもじぶん中心で,どこまでも主人公。

それでいいと思ってます。

タスクを放棄することは,べんきょうを
しないということは,主人公がいなくなった
アニメをちびっ子が見ているようでどうしても
できなかった。この気持ちをわかってくれる
ひとはいないかもしれないけど。こういう
きもちでした。わたし。

先月まで車の免許をとりに教習所にいた。
車をうんてんする感覚は水泳と似ていた。
あたまとからだがべっこになる。
あたまでわかっているからといって
からだでできるわけではない。
じぶんのからだをしんじて、
じぶんというもうひとつのからだに
魂を移行させる感覚。
新鮮だった。運転はスポーツだと思った。

どこまでも自我が存在してしまう。
屈折した自己承認欲求だとおもってます。

あるときはじぶんをものすごく上から
俯瞰して。
あるときはじぶんにじぶんがキスできる
くらい近づいてじぶんの涙を拭くの。

あゝ20さい。
この20ねんかんで、わたしは
たくさんのことをやった。つらかったことも
うれしかったことも今はすこししかおぼえていないのがすごく悲しい。

段差1ミクロの階段をゆっくり登ってきたみたい。

一段一段のことはごめんだけどおぼえきれない。

でもたまにある,1mmの、1mの段差はおぼえてるみたい。

気づいたらこんな高いところまできてたね。

これからもわたしのはなしの主人公は
このわたしみたいだけど、
わたしあしたなにしようか。
わたし何でもできるよ。
これから裸足で外に出てでんしゃに
なれるかも。
今からブラジルに行けるかも。

行かないけど。
寝るけど。
あしたのはなしのために
きょうのはなしはおしまい。
一旦,主人公の名札外します。

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