修羅の道 その男凶暴につき

1969年(昭和44年)1月28日、元夫と出会った。50年以上経っているのに、あの日のことを鮮明に覚えている。
雨上がりの午後、
映画館の前で紺のブレザーに薄グレーのカシミヤのセーター、濃いグレーのフラノのズボンで足元は雨除けのカバーをした差し下駄を履いて、手には蛇の目傘を持って立っていました。
特別少年院を出所して間もないということを聞いていたのです。
だからいかつい強面の男性がいるとばかり想像していたのに、目の前に現れたのは色白でとてもハンサムな日本人離れをした人だったので驚きました。
19歳の時に銀座で東映映画の撮影している松方弘樹や菅原文太、渡哲也を見た時以来の衝撃です。
生まれて初めて芸能人と言われる人で人気のある俳優の実物を見た時に、画面を通してみるよりずっとずっとハンサムな人たちだったので衝撃を受けましたが、それ以来の驚きでした。
何故、彼と会うことになったのかというと妹が彼の従弟と結婚したいと親に言ったところ「まだ若いから結婚は許さない。どうしても結婚するというなら式は挙げさせない。」と言われたというので親を説得に行く途中だったのです。
妹は少し美人ということで男性にもてていたから付き合っていた男性たちに今後会わないように話をしてほしいと頼みたいから、少年院を出所して間もない従弟がいそうなところに寄ってみるということで行く途中でした。
彼がそこにいなかったら私の人生は変わっていたのかもなどというのは無駄なことです。
人間が生まれてから死ぬまでの運命は決められているし人生とは選択の連続です。
妹のために親を説得すると決めたのは私であり、彼に会うかもわからないと知りつつ妹たちと行動を共にしたのも私です。
さて、会っただけならそれで終わりとなるはずですが、その頃の私はお見合いした後で両親から結婚するように言われていました。
しかし、レイプ事件の被害者である私は一生結婚などできないしするべきでもないと思っていたので家にいるのが苦痛で悶々としていた時でした。
妹の夫となる彼の従弟は頼みごとをして、そのまま別れるのに気が引けたのか喫茶店から別の場所に移動して、何となく彼と話していた時に笑った顔が人懐っこくてかわいく見えたし私の話をよく聞いてくれたので話し込んでしまいました。
その時に「実は、、」ということで結婚させられるくらいなら家に帰りたくないと話したのです。
すると彼は「おじさんの家があって、そこは誰も住んでないから泊ってもいいよ」と言ってくれたので、外泊することにしました。
生まれて初めて会った日だというのに何故、あの日彼の申し出を受け入れたのか今もって自分の心境に疑問が残るところですが、家に帰らないと聞いて妹も妹の結婚相手も驚き私を説得しましたが私は頑として聞き入れずに家に帰りませんでした。
しかし、今にして考えればもし彼があれほどのハンサムな男性でなければ頼みごとをしたらさっさと別れていただろうと思います。
叔父さんの家の二階に泊めてもらうことになったので彼はいなくなると思ったのに一向に帰る気配がしません。仕方ないので話し込んでいるうちに自分の住んでるところに来たらと言われて成り行きなのかひとめぼれだったのか
死ぬことばかり考えていたので捨て鉢になったのか「いいよ」と返事してました。
彼にいったん帰って着替えを持ってくると言って家に帰ると母が半狂乱になって私を引き留めようとしました。
母の縋りつくような声を後にして、彼の待っている公園に行きました。
彼は公園のブランコに乗って所在投げにブランコを揺らしていましたが私の姿を見るとにこっと笑って「もう来ないんじゃないかと思った」と言いました。
こうして生まれて初めて会った日から彼と暮らし始めることになりました。
21歳の時のことです。
鑑別所にも入らずいきなり特別少年院送りになったとは思えないほどの優しい笑顔の持ち主だったので、その後、浮気やDVDで悩むことになるなど想像もできませんでした。
やがて彼が何故いきなり特別少年院送致になったのかわかる日がやってくるのです。
彼はいつも苛ついていて喧嘩をしない日が一日もありません。
喧嘩上手というのか、喧嘩するのに上着を脱ぐふりをすると相手もつられて服を脱ごうとして手が自由にならなくなったところをぼっこぼこに殴って倒れたら蹴って正座させて謝らせるのです。
私に対してはというと飲みに行くときは店では「妹と言え、」並んで歩くのはだめで3歩後ろを歩いてこいという始末です。
それでも新しい生活は物珍しくて怖いけれど怖いもの見たさみたいな感覚で
暮らしていました。
暮らし始めた頃、私は建設会社の事務員として働き始めたのですが、極道というのは昼夜が逆転で昼間寝て夜になると活動が始まるのです。
結局、すれ違いの生活を解消するために私はキャバレーで働き始めました。
店から帰宅するとマンションの前の道路で数人の男が正座させられて彼の怒鳴る声がしています。そんなことはしょっちゅうでした。
お酒が飲めない私は少しのお酒で泥酔するから店が終わるころに彼が店の外で待つようになりましたが店の前で男が待ってるようでは店側も辞めて言うのは当然の話です。
親は彼との生活は長続きしなくて家に帰ってくると思っていたので、お金をもらいにいけば渡してくれてました。
彼が家賃の滞納していると家主さんから話があった時も母に話すと人様にご迷惑を掛けてはいけないとすぐにお金を渡してくれていましたから結局ふたりして働かない日が始まり、彼との暮らしも2か月が経ったころに彼の逮捕という出来事で大きく変わることになりました。
今までにない新しい手口の事件ということでテレビで毎日のように放映されるし親からもそれ見たことかということで家に帰るように説得されましたが彼の保釈金も必要だし親の意見も聞き入れずにいたら親からお金を出してもらえなくなって食べるのにも困る日がありました。
丁度マンションの真ん前の家に人斬りの西(さい)というめっちゃやばい人が住んでいました。
その人と時々話をしていたので相談すると毎日のようにご飯を食べさせてくれるようになり、「あんたとは兄弟分や」と言ってエンジのダボシャツをもらって着たりするようになってました。
人間というのは朱に交われば赤くなるといいますが全くその通りです。
警察に逮捕されて彼の着替えと差し入れの花束を持っていくと警察署の受付で名前を聞かれただけで涙があふれて言葉が出ませんでした。
その上に花束の差し入れは受け取れないと言われると大きな花瓶を持って再び受付に行ったら、「そうじゃないんよ、花の差し入れができないんです」
と言われて又泣くという状態でした。
今考えるとど素人というか警察に逮捕されて花の差し入れもないもんだと笑えますがその時は真剣でした。
名前聞かれただけで泣いていたのに彼が未決に移送されて面会所に行くとそこは犯罪者の身内のるつぼです。
面会に来ている人の相手は殺人犯も殺人未遂犯もいれば詐欺師に傷害、恐喝、窃盗、様々な犯罪を犯した人の家族や友人知人が面会にきているのです。そういう人の話を耳ダンボで聞いていたら段々慣れていくのですから人間が環境に染まるのは早いもんです。



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