#51 参りました
39年生きてきたってロクなもんじゃない
もうすぐ3歳になる甥っ子は恐竜に大ハマり中。
ティラノサウルスやプテラノドン、トリケラトプスくらいしかしらない私に対して、彼はまるで呪文のような恐竜の名前を次々と教えてくれます。
アンキロサウルス
ギガノトサウルス
パラサウロロフス
ケツァルコアトルス
スコミムス
などなどなど。
こんな名前の恐竜がいたなんて、40年近く生きてきて全然知らなかった。
そして私が少しでも名前を間違って言ってしまったものなら、
「ちがうよ!◯◯◯◯だよ!」と指導すらしてくれます。
(あと、私が恐竜を“怪獣”と言い間違えた時も語気強めに「恐竜だよ!!!」と正してくれます。かわいいねえありがとうねえ☺️)
甥っ子の成長を微笑ましく感じる一方で、まさか自分の無知を3歳の男の子に突きつけられるなんて…!
これには本当に「お手上げ!」という感じ。
しかも最近ではボール遊びもうまくなってきているんです。
「サッカーしよ!」
とビニールボールを持っては私を遊び相手として誘ってくるのですが、
だんだんと的確にパスしてくれるようになっているんですよね。
「え…もしかしてこの子は神童なのでは…」と何度思ったことか。
そして、「これからたくさんのことを見て聞いて触れて感じて吸収しておくれ…」と願わずにはいられません。
その一方で、
「私は何を見ずに聞かずに触れずに感じずにここまで生きてきたんだろう」なんてことも同時に思ってしまいます。
「何者かになれていたかもしれない自分を想像する」というか。
宇宙や科学、数学、医学、宗教の成り立ち、世界史…。
今思いつくだけでも、私はかなり大切な分野を“いらない”と思って切り捨ててきたんです。
もちろん全部の分野をマスターすることなんて無理なのはわかっているし、今からでも知識を蓄えられるのもわかってはいるけど、高校の世界史の授業のときなんて私はずっとイラロジをやっていたくらいなので…。ものを知ることに対する態度がなっていない、馬鹿者なのです。
「ああ、なんてバカだったんだろう…」とも思うけど、よく考えてみれば、
こうした後悔とあの頃の無関心を挽回したいという思いが、何だか今の仕事の原点にもつながっているような気がしてなりません。都合のいい考えでしょうかね。
毎年初詣の時に「今年も私の好奇心が尽きませんように」と願うのも、無知だった若い頃の自分にどうにかこうに落とし前をつけようとしているのではないかとすら思えてきます。
もちろん好きなものや興味のあるものを選び取って生きてきた先に今があって、その選択に後悔はない(と思いたい)のだけど、
「あれをしていれば、これをしていれば」の“たられば”の妄想は、延々に続くのかな。
「これでよかった」と胸を張って言えるまでにはまだまだ時間がかかるのでしょうか。
及川恵子
〈追伸〉
東京オリンピック2020が始まりましたね。
私は運営への怒りは大いにありますが、アスリートへのリスペクトはまったくの別物。
彼ら、彼女らのスキルや身体能力の素晴らしさを画面越しに楽しんでいます。
(しかしスポーツで感動や夢をもらったことはありません)
話題になっていた開会式は小林賢太郎に縁のある俳優たちがたくさん登場していたり、ピクトグラム50連発のカメラの使い方や手指での表現に小林賢太郎らしさが存分に表れているのを見て、
「小林賢太郎がちゃんといる…」
と思い、うっうっ…となっておりました。
そうです。私は小林賢太郎が好きなのです。