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#60 嫌いな言葉/及川恵子

思考を止めたくない

大学に入学して間もない頃。
少人数制の授業で7,8人の同級生と一緒に教授と対話していた時に、同級生のひとりが何気なく
「人それぞれですよね」と口にしたんです。

教授は授業を少しの間中断して、その言葉に対してゆっくりと私たちに諭したことがありました。
それは、
「“人それぞれ”という言葉は思考を放棄している」ということ。

この時の会話と、言葉をひとつひとつ目の前に置くように話していた教授の横顔を鮮明に覚えていて、
「人それぞれ」という言葉を耳にするたび、私は、無機質な大学の教室にいる私に自然と立ち返りながら、「人それぞれ」という言葉は本当に思考を放棄しているのかなとぼんやり思ってしまう。

本質がどれほど整っているのかはさておき“個”が重宝される時代になりつつある(と言われている)なか、「人それぞれ」で放っておいたほうがいい時もあるし、「人それぞれ」で容認できることだってたくさんある。
きっとそれは私が大学生だった10年前も同じで、少しでも「認める」ことができる言葉なのであれば、相手を容認するという認識がそこにある以上、必ずしもそれは思考を放棄していることにはならないのではないか、と、少し立ち止まってしまう自分がいるのです。

それよりも、たくさんある言葉の中で最も思考の放棄を象徴しているのは「けしからん」なのではないかなと思うんですよ。

本当やっかいじゃないですか、この言葉。

なんだかよくわかんないけど気に入らない。
お前ばっかりいい思いしやがっておもしろくない。

そんな時に、想像力も自分の心を見通す力も、思いやりやら気遣いやらもうすべての感情と思考をストップさせてこそ生まれる言葉が「けしからん」なのではないかと思っています。

自分の人生や経験から判断された「けしからん」という言葉の後には、外に出ることも中に入ることも、近づくことも触れることもできないのに、でもトゲだけは通すことができる幕、ができるというか。
当の本人は何やら満足げだけど、聞く耳を持たないからその周りには共感も同意も生まれることはない。
さらに思考が止まって感情論で突き進んだ先には、独りよがりでかわいそうな人しか生まれない。
…と思うのはやりすぎかもしれないけど、「けしからん」に思い至ったら、きっと“孤”の“個”が生まれることにしかならないと思うんです。

それはつらくてさみしい。
だから思うんです。なんなんだ、「けしからん」。
もういっそこの言葉がなかったら気づかずに済んだこと、気落ちせずにすんだこと、無駄なストレスを感じずに済んだことが多いんじゃないのかな。

…と、ここまで書いて置きながら、
化粧品を買う時に言われがちな「これ、田中みな実さんも使っているんですよ〜」という言葉も嫌いだな、と思い出した深夜1:00。

もう寝よ。おやすみなさい。

及川恵子