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#47 優越感にひたる

「なんか、いっぱい話しちゃった(照)」

ゆうえつ‐かん〔イウヱツ‐〕【優越感】
自分が他人よりすぐれているという感情。

残念ながら、私が優越感にひたる瞬間はほぼありません。
自分が周りの人より優れているだなんて感情は皆無。
うわ。初っ端から悲しくなってきた笑。

だって絶対にみんなの方がすごい。
隣の芝生は金にも銀にも、チームラボが創るキラキラした作品にも見えちゃう。
なんていうか、タフですよね。みんな。すごい。
私は基本ポンコツで、仕事は遅いし、考えは浅いし、配慮もできなきゃ気遣いも足りない。想像力も足りない。あとはヘラヘラしてばっかり!
だから、他人と比べて優越感を感じる場面はなかなか私の元にはやってこないのです。

私は人のことが大好きだし、できればたくさんの人にハロー!と言いたいし、私が大好きな人たちには「生きてるだけでえらい!」なんてよく声をかけるけど、自分のこととなると本当にだめなんだよなあ…。

ただ、これは“他人と比べる”という意味とは違ってしまうけど、
自分の中の大きな優越感に触れられる瞬間は、仕事を通じてたびたび出会うことがあります。それは、インタビュー中のこと。

取材相手から、
「あれ!?  俺(私)、思ったより話しちゃった!」

と言葉を引き出せたとき、心の奥から優越感がグオオォォと顔を出してくれるような気がするのです。

ライターはどうしてもいい原稿を書くこと、すなわち“成果物”をフィーチャーされがちですが、本当に大切なのは成果を作り出す根幹の部分。
いかに相手の話を引き出せるか、です。
しかし聞きたいことだけを聞いて、「では、さようなら」では面白味もなんにもない。
私はその周りにある、一見余計かも?と思える言葉から、その人の人間の部分を探ってみたい。そしていつも、そうしてきました。

だから、あれもこれもと相手に聞いてみる。
「あれはどう?」「これはどうなの?」「それはなに?」とぶつけてみる。
そこで咀嚼して反芻して、またぶつけて、飲み込んで、私の栄養(=原稿を書く材料)をつくっていく。

そうすると、相手がスルスルと話をしてくれることがあるんです。

「なんかいっぱい話しちゃった(照)」なんて言われたら、心の中でガッツポーズ。
それどころか、どこからか現れたお神輿に担がれてる私の姿さえ想像できます…!

この仕事を通じて得た感情かもしれないけど、私はやっぱり人の話を聞きたいんです。
そう思って細々とやってきたら、ほかの人よりちょっとだけ人の話を聞くことに優れていた、のかもしれません。

私自身、知らないことを探り続けることは生涯のテーマのような気がしているけれど、その中でも特に、私が大好きな人たちから、たくさん話を聞きたいなあ。
おふたりからも、もっといろんな話が聞きたいです。
また、サイゼでいろんな話を聞けることを楽しみにしていますね。

というか、最近のnoteには仕事の話ばっかりだなあ。
そろそろ旅行に行きたいです。

及川恵子