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「学問のすすめ」を読んで

齋藤孝著「こども学問のすすめ」を読みました。
まず一言、読みやすいし、面白かった!

この投稿は要約ではなく、自分が気になった部分だけピックアップしてお話しします。
本はあくまで考えるきっかけとして扱うので、語釈していたら笑ってください。

福沢諭吉曰く、愛想を良くするのはコミュニケーションにおけるマナーである。

共感!自分もそう思ってます。
自分は、人と会う時にはいつもニコニコしてます。楽しい時間を共有したいし、笑ってる自分が好きだし、相手にも笑っていて欲しいからです。
学問のすすめを記した福沢諭吉は、明るい方だったそうです。福沢さんの人となりを全然知らなかったのですが、ちょっと共通点を見つけられたようで嬉しいです。

自分は明るく接しやすい人でいようと働きかけていますが、人にそれを求めることは実はありません。しかめっ面の人と話していても、笑顔を強要しません。
でも、そういう人程、コイツを笑わせてやろう、と熱くなります。
普段笑わない人を笑わせられた快感、感じたことありますか?超絶嬉しい気分になりません?
自分はギャップ萌えに弱いので、ようやく見れた笑顔を好きになっちゃいます。ちょろいなあ。

福沢諭吉曰く、蟻の門人となるなかれ。言い換えると、ただ蟻のように自分のためだけに生きるのではなく、人間なんだから世の中の為にも働け、ということです。

ここからの文章はちょっと物議を醸すかもしれないので、気に障る方は横目で読んでください。
最近、生きているだけで偉い、という言葉をよく耳にしますが、自分はそうは思いません。
自分は3年前の一時期、1日の23時間を布団の中でぼーっとしたり、寝たりして過ごしていました。ただ生きているだけで、楽しくもなく、他人と話をせず、生ぬるい不幸に浸っていました。不幸なんだから生きているだけで偉いでしょ、人に迷惑をかけてないから別にいいでしょ、と。
そんな日々を、無かったことにはしたくありませんが、後悔はしています。
生きているだけで偉い、というのは、都合の良い言葉でした。何も成せていない自分を正当化してくれました。でも、自分を救ってはくれませんでした。この言葉を使ううちは、先に進めなかったのです。
他人と関係を持つことは、自分の存在や存在意義を肯定してくれました。観測論だと、自分という存在は、誰かが自分を認識しているから存在する、とでも言いましょうか。
徐々に、大切な人、身近な人、知り合いの人、新しく出会う人の為に行動をすると、「生きている」と実感しました。
自分の経験から語っているので、もちろん人それぞれでしょうが、自分は、他人との関わりから生きていると思ったのです。
生きているだけで偉い、という言葉を否定することで、生きたい、と思ったのです。
福沢さんとの主張とは異なっていそうですが、自分の為にだけではなく、他人、ひいては世界の為に行動することで人間は幸せを感じられるのですかね。
他人の為に自分が居ると感じてもらうことが、過去の自分を救えたのかな。
自分にとっては、生きているだけで偉い、は見放されたような、そのままの悲しい現状で満足してと言われているような、そんな言葉でした。幸せになる努力をさせてください!

もちろん、生きているだけで偉いという言葉で救われる人もいるでしょうし、自分も使いますし、間違っているとは考えていません。使い方には気をつけようって、内省したお話しでした。

自分は、幸せが好きです。
自分の幸せには、誰かを幸せにする自分、も含まれています。
読んでくれているあなたのことも、幸せにしたいです。

学問のすすめから、だいぶ話が飛躍してしまいました。
福沢さんは人格者だったんだなあ。

「こども学問のすすめ」は、小学生からでも楽しく読める本でした。ルビが振ってあるのも嬉しいポイント!
あなたの心にもささるかもしれません、オススメです。

ぜひ読んでね!
では、長い文にお付き合いくださりありがとうございました。

またね

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