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鉛は溶けて

会社員3年目になるんだって。自分で働いてお給料をもらって自分で暮らすのルーティン、「生きるために生きるってこんなにハードなの?」と思った1年目に比べれば、それなりに暮らせるようになった。洗い物が残っていても、洗濯物を干していなくても、掃除機をかけられなくても、全然生きていける。そんなん未来の自分に宿題を残してるんちゃうか論争もあるけど、できるときにパッとやったらいいし、プロの力を頼ってもいい。同居人がいれば協力してもいいし、ちゃんと食べてちゃんと寝てちゃんと自分の声を出してたら暮らしは万々歳。

ただ、万々歳な日々であることは間違いないのに、公私問わずちょっとした"辛い"が積み重なると簡単に私を取り巻く世界の広範囲が辛くなる。

何で報われないんだろうと思ったりする。何をもって報われる報われないジャッジをするのかわからないけれど、思ったようにいかないが積み重なりすぎると自分に向いていた矢印がいろんなところに散らばっていって、罪悪感ループにどっぷりハマる。

総じて、いまは心身が全然クリーンではない!ジャッジを私自身にします。

生きるために生きるってハード!なんて思っていた2年前の方が、元気とか筋肉痛があるとかよっぽど自分の"今この瞬間"に詳しかった。とはいえ、この2年ちゃんと目の前の何かと向き合ってきたいまの私のことはとっても好き。ゆっくりじっくりメンテナンスして、少しずつクリーンにしてあげたい。感じる必要のないストレスも、握っておかなくていい感情も、体にためこんだ毒素も不調和なバランスも、削いで整えて、ここから先は自分の中に大きな波が立たないようにしていきたい。

言いたいことを言えない言わないって、それは誰のため?相手のためのようで自分を守るため、自分を守っているようで、自分で自分の喉を塞いで苦しくなってるのかもね。そんなに飲み込んでいたら病気になっちゃうよ、ためてためてためて、それって実は誰も望んでないかもよ。
まあ、もう大人だし、うまく自分を使い分けて何かあってもすぐ気分を変えたらいいじゃない。本体までダメージ受ける必要ないよ。全部正面からそんなに悩んでためこんでも、なにもいいことないよ。

なんて、そんなのもちろんわかってる。
大人ってなんだろうね、わかっていても難しいことってけっこうあるのかもね。

今のわたしはうまく声に出せないことも多くあるし、もどかしさを抱えていたりするけれど、心の中で「わたしは、そうは思わない」「わたしは、絶対にこうしたい」だけは、せめて忘れないで持っておきたいよ。想像以上に器用じゃなかった、何かに染まりきることもできなかったし、何かを胸張って主張することもなかった。でも、なにもできなかったとしても、何かを抱えていられただけ私は強かったよ。違和感すらなくなったら、きっと私の大切な部分は消えてしまうから。

もう今年で25になる。同じ壁が何度でも形を変えて目の前に現れるし、思春期あたりから同じようなことを表面的な形を変えながら思い続けているような気もしつつ、迷っても悩んでも今ここにいる、暮らせてるしちゃんと生きてる。それだけで本当に花丸、一旦壁とか悩みとか置いといて己の心と体をしっかりハグしよう、な気持ち。

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