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美とファッションは、生死に関わる。


ごあいさつ

どうもこんばんは💀 邪念(36)ですぅ。
つい最近まで3ヶ月noteをサボり、つい先日引退匂わせ記事を書いたにもかかわらず、まーた性懲りも無く脳汁を撒き散らしている。
これが、おとなです。おとなとは、往生際がわるいものです。

きょうは美について書いています。私にとってはそうでもないつもりなのですが、ルッキズムっぽいかもしれませんので、苦手な方は本当にごめんなさい。何かに優劣をつけたり、良し悪しを決めつけたりするものでは、ありません。

40迄に肺炎で死ぬのが粋だよね(不謹慎)

この文言を、Twitterで見かけた。ちょっと保存とかし忘れてて、アカウントとか要旨がわからなくなってしまったけど、確かにこの感覚は、文明がまだ倫理的にアレな時代にありがちな思想かと思う。
実際に肺炎で亡くなる方もまだいらっしゃるかと思うので、センシティブなのだが、文化や思想の咀嚼に必要な表現だったので、お詫びしたい。

上流階級が着る部屋着的なものの繊細な美しさに憧れた町娘が街着にして寒さで肺炎になり死ぬとか聞くし、わざとお召しものの布を濡らして肌にまとわりつかせ胸を透けさせ強調して風邪肺炎コンボで死ぬとかも聞いたことがある。時代背景不明ですが、シンプル毒を眼にさしてカラコンのように瞳孔を大きくさせたとも。
コルセットも、健康という観点からすると、半自然なファッションアイテムかなと思う。

くびれ減・おしりが二重になりかけるの巻

さいきん、とみに腰回りがふとった。
最近までスカートの腹囲をミシンで詰めて履いたりしていたのだが、食後とか息が苦しいまである。

私の脳内での私の腹囲のイメージはながらく56センチだったのだけど、このあいだ健康診断で測った腹囲は、だいぶ一回り以上大きかった。56センチ、妄想だった可能性。

あえて詰められたスカートのウエストがはち切れそうでかわいそう。肉質が柔らかいので、大幅に超過しててもまあ着れてるし、なんか自分のなかで『はて? 着れてますけど?』ってなってた。なぜこんなことになるまで気づかなかったのか。食べられる量も増えてきてて怖い。いまさら食欲旺盛になってどうするのか。胃が大きくなってる説。単純に身体がだらしなくなってる説。なんか俺も太ってるんだけど(by夫)。それは知らんよ…というか私は増量してないから…測ってないけど…。47キロより重い分は希望の重さだから…(ローランド式)。

あとさぁ、おしりの下弦のぶぶんが、薄手のズボン履いていると二重になっているときがある。こういう身体の変化が、最近やっと事実として受け止められるようになったんだけど、去年はガードルを買ってウエスト66のやつがキツくて入らなくて『ワコールのより小さい😫💦』とか騒いで半ギレで捨てたりしてた。怖い。サイズ自認起因の可能性が高い。ガードルに謝ってほしい。

楽な服が着たくなった。だけどこの、焦りはなんだ。

家に帰って着替えるとやっと深く息が据える感じだ。こうまでしなくても、とも思わないわけじゃない。こないだうっちーさんという方も『お腹痛い〜って思ってたけどめっちゃ太ったのにパンツがずっと同じサイズなのが原因だった』って呟いてらして、わかる。となった。
そう、苦しい。ウエストマークさえやめれば身体は楽になれる。なのになぜ私は腹囲を誇示するのか? なんなら去年急性胃腸炎やったのも関係あったらどうしよ…ながいきしたい…😭ウワァッ…😭

だけど腹を細く見せるということは、身体に負荷をかけてもやめられなかった。意地であり自分との公約だった。

身体の中でここだけ気をつけていれば、若く美しい肉体ごっこができていた。そう、ごっこだった。若さ美しさがもつ生命力と、動物としての強さに負けたくなかった。なにがあっても、傷ついたりしない。なんと言われてもいい。わたしは自分に満足しているから。その、心づもりのためだった。まだ若く怖いものなしでいたかった。実際にはなんにも強くなかった。あと何年働ける? 仕事辞めるまでに何かに挑戦する? 辞めた後挑戦するのはもう遅い? からだが疲れた。毎日失神するように寝ている。いまだに、集中力のなさ、いざというときの弁のたたなさに悔しくなる。短い人生、まだやりたいことがある。そのために必要な金がいる。
私はまだやれる。若いし強い。いや、若くない。…強くもない。

年齢への、あたりまえの焦りだ。

命を燃やし続ける。攻守バランスと装いの公約

しかしまぁ、まいにち『こうしとけばよかった』をできるだけ減らしていきたいし、人生の目標を逆算でつぎつぎ叶えていきたい。日常の幸せも狙ってつくっていきたい。

私は服でどうなりたいのかな。

誰かに否定されたり、なにかに失敗したとしても、じぶんが判断した『優先順位の高いこと・人•もの』を、いつも守っていきたいな。

そのために、強がるムーブはまだ、私には必要なのかもしれないけど、少しづつ、安らげる要素を増やしていきたい。

着ていて楽なもの。かわいいと思えるもの。たくさんの思い出があるもの。お守りだと思えるもの。がんばったときに買ったもの。
…たぶん、そういうものたち。今は、手持ちでぱっと思い浮かばない。

大事なものを守るのに体重と体型は関係ない。

みなさんは、『生命•健康』と、『生きる意義•理想•希望』であれば、どちらに天秤が傾きますか?

後者で腹は膨れませんか? そうですね、経済的な意味でも、ボディライン的な意味でも、前者のほうが、どっちかっていうと腹が膨れるでしょう。おや、おあとがよろしいようで。

なんにせよ、だいじなものを守るのに、人生をまっとうするのに、体型も体重も関係ないですね。死ぬ時には消える質量の誤差です。

ではでは、邪念でした😚
みなさんも、いのちおだいじに!🍀

(邪念 2349文字)

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