見出し画像

将棋の子らの幸いを

 ある目的があって、一冊の本を手に取った。書名は『将棋の子』著者は大崎善生さん。その本には、主に元奨励会員たちの半生が綴られている。

奨励会

 奨励会とは正式名称を新進棋士奨励会という。将棋棋士を養成するための機関である。だから元奨励会員とは、一時期奨励会に所属していたが現在は在籍していない人ということになる。奨励会は三段から6級で構成されているから、奨励会員でなくなるとは、三段から四段に昇段することか、あるいは退会することを意味する。四段は正式なプロだ。棋士と呼ばれる。だから元奨励会員と呼ばれるのは、自ずと四段になることなく奨励会を退会した人たちに限定されることになる。
 奨励会には年齢に関する規定があり、一定の年齢までに決められた段位に達しなければ退会しなければならない。あるいはその年齢制限とは直接関係ないタイミングでも、自ら奨励会を去る者もいる。そういう経歴の人が元奨励会員と呼ばれることになる。そして元奨励会員に該当する人は棋士よりも圧倒的に人数が多いというのである。

 私はこの“奨励会”や“元奨励会員”という言葉を、どう捉えたらいいものだろうかと時々考え込んでしまう。

現役奨励会員を「応援」している

 実は私には、応援している現役奨励会員が複数いる。彼らと直接の面識は全くないが、彼らの師匠のファンであることから、門下の奨励会員たちの目標が叶うようにと日々願っている。願っているというのは、本当にただ心の中で願っているだけで、後はせいぜい奨励会の成績表を更新される度にチェックするくらいだ。それ以上のことは何もしていない。果たしてそれでも応援と言えるのだろうかと疑問に思いつつも、まだ修行中の彼らに対して見ず知らずの部外者ができることなど、黙って見守ることしかないと思いそうしている。そんな無言の応援を5年前からするようになった。
 奨励会成績表からは奨励会員の氏名、生年月日、年齢、師匠、段位または級位、直近の勝敗などを知ることができる。私が意識して奨励会成績表を見るようになったこの5年で、そこにまつわる色々な数字は変化していった。同門の奨励会員の人数、彼らの段級位、それから彼らの年齢。それらの数字の変動を見つけた時、自分の気持ちも動くのを感じる。
 もともと好きな棋士(師匠)を応援したい気持ちがスタート地点で奨励会員(弟子)も応援したくなったのだから、弟子が増える度に一門の発展だと思い嬉しくなった。弟子たちの昇級・昇段はとにかく喜ばしいし、反対に降級を見た時にはチクリと胸が痛んだ。そこから再び昇級したことを確認して、ほっと胸をなでおろしたこともある。
 そうやって年単位で奨励会成績表を見続けていると、当然彼らの年齢の変化も把握する。私にとっては十代の少年たちの歳が上がっていくのは喜ばしいことでしかない。しかし一方で奨励会の年齢規定を思うと、彼ら自身は誕生日を喜べていないかもしれないと想像することもある。矛盾というと言い過ぎだが、方向性の全く違うこれらの感情は時にバランスを取るのが難しいように思う。

だから『将棋の子』を読んだ

 ならばもっと奨励会のことを知ろう。厳しい競争や年齢制限にばかり目が行きがちになるけれど、それ以外の事ももっと知りたいと思った。それで手に取ったのが冒頭で述べた『将棋の子』である。そこに登場した元奨励会員たちは皆、わかりやすい言葉でいうと「挫折」を経験している。きっと挫折とそこからの再生物語だろうと予想して読み進めてみたが、ある一文を読んだ時に本の印象がガラッと変わった。

〈今も将棋が自分に自信を与えてくれている。自分の支えとなっている〉

大崎善生『将棋の子』

これは著者の大崎さんがとある元奨励会員に言われて気づいた境地である。その元奨励会員は退会後15年ほど経過して久しぶりに大崎さんに会う。その時点で彼は挫折からの再生などとは全く言えない状態だった。一時期は借金取りから夜逃げするような生活にまでなっていたし、退会以降は将棋も全く指してはいなかったという。それでも彼は大崎さんに「今でも将棋には自信がある。それがね、それだけがね、今の自分の支えなんだ」と断言する。そしてそこから著者が導き出した言葉を読んで、私も思わず膝を打った。

将棋はそれをやるものに何かを与え続けるばかりで、決して何も奪うことはない。しかも、それに打ちこみ夢を目指した少年の日の努力や鍛錬は、大きな自信となって彼らの胸のなかに生き続けているのだ。

大崎善生『将棋の子』

 きっと私が今応援している奨励会員たちにとっても、将棋はそういう存在なのだろう。すでに彼らは将棋によって自信を与えられている、だから私が見当違いの心配をする余地などどこにもない。と、そう信じることにした。その上で私は今まで通りのやり方で応援を続けると決めた。

すべての将棋の子らの幸いを心から願いつつ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?