勝利の女神:NIKKE 稗史:伏魔殿の道化師はヒト探し中(26)
「ほうねぇ、あの半端もんそげぇな酷いことしたんね。決めた! ウチがあんたを半端もんしごう出来るように鍛えたげるけぇ」
プラチナの過去話を聴いたティアマトは直ちに彼女の力を見てやることにした。
しかし、アーク産ニケではわりかし新し目とはいえ三十年前の技術体系に属する彼女では、髪を操る特異能力を加味してもエデン所属の有力ニケ達--空を飛べるイサベルのみダイヤグラム10対0で圧勝--に互角なのが精々であった。勿論、あちらにしてみれば技術的優位がありながら圧勝出来なかったことを恥じなければならない。
「むぅ、あんたは確かに地上でなんとかやっていけるだけの力があるようじゃね。じゃけど決定的に足りてないもんがあるわ、やる気よ」
ティアマトは外套を脱ぎ、拳を構える。
「少しケンカしようやぁ?」
「なんで?」
プラチナが答え終わる前に拳が鼻っ面を捉らえる。鼻血を出しつつ後退ると、髪が逆立つ。怒り狂った証拠だ。
「さて、まずはエデン製になってないウチとでもまともに戦えなければ話にならんけんのう」
「殺す!」
⭐︎
「ちったぁやるかと思うたが、全然駄目じゃね」
プラチナは、ティアマトにサンドバック状態で執拗に殴られ続けて、今は半死半生のまま地べたに這いつくばっていた。部下にタバコの火をつけさせ一息ついたティアマトが、適当なところに腰掛けた。
「なんで……」
「あんたぁ、あの半端もんにナニ仕込まれたんね? 髪の毛伸ばしてあげ足取ったところで何にもなりゃあせんのよ?」
ティアマトには規格外の筋力が齎されている、足に髪の毛がいくら絡みつこうが引きちぎって歩けるほどに。プラチナはその時点で別の策を講じるべきだったが、全く工夫もなく一気にボコボコにされたのだ。
「髪の毛で盾を作ったりは出来るのに何故それを攻撃手段にせんのんか、うちにはそれが解せんのよねぇ?」
「それはだいぶ前に散々試したわよ……」
「なるほどのぅ、じゃけぇ無駄だと考えたんね?」
おそらくスタルカーの策にしてやられたのだろう。彼女は自分を殺しに来る相手に力は与えつつ、同時にそれを自分に行使しても通じないと考えさせるに至るように鎖に繋いておいたのだ。
「まずは髪の毛の使い方を全部見直すのが先じゃの」
そう見立てていたら、見慣れた蒼い長髪のシルエットが歩いて来る。ネイトだ。
「なんだ、エデンに交易に来ていたのかと思ったら……プラチナのお嬢ちゃん!? 貴様何を!?」
「落ち着きんさいや。そいつとは知り合いなんね?」
「ルカの大事な仲間だからな」
「あんたはアークにも出入りしとるけぇ知っとるかもしれんが、ウチはコイツのことなんも知らんけぇ拳を交えて話しおうただけよ。半殺しみたいになっとるけどそのつもりは一切ない」
ネイトもその話を聞いて、ふーっと息を吐き心を落ち着けた。アンガー・マネジメントというやつだ。
「ネイト。アンタこの娘のことどれだけ知っとるん?」
「まぁニケになった経緯やら戦闘経験くらいは」
「あんたが鍛えんけぇこのザマよ」
「あたしの能力とは違いすぎる。まだルカの戦闘技術の方が適切だと思っていた。最近はあまりに覇気がないので少し見て教えてやるつもりではあったがな」
「そう思うとるんなら少し手伝いんさいや」
腐れ縁のバカの言い分に眉根を寄せながらも同意した彼女は、プラチナに手を差し伸べる。痛覚センサーはとっくにオフになっている。起き上がらないのは悔し涙を悟られぬためか?
「プラチナ、災難だったな。このアホに目を付けられたのが運の尽きだった」
「うっさいわ!」
「ネイトさん、私悔しいです。どうしたらいいんですか?」
ふーむ。ネイトは一時考え込む。強くなって親友と殺し合う姿は見たくないが、このままではこの子があまりに不憫でもある。
「手早く強うなりたかったらエデンの民になりゃあいいんよ」
「お前は黙ってろ!」
「何だっていいです、力が欲しい……」
「プラチナ、落ち着いて考えるんだよ。エデンの力を得るということは彼女……そう、ドロシーの支配下にはいらなければならない。チャルチウィトリクエですら大半はエデンの技術力で延命している。残っているのは実力不足で立ち入りを拒まれているか、既に力など要らないあのバカや八大龍王持ちレベルの強者のみ」
「ネイトさんも?」
「あたしもだ。実力は見せているので楽園に出入りは出来るがね」
「そういえばドロシーって誰ですか?」
「そうか、君はもう知らない世代なのか……」
「ドロシーとは、かつて地上で死闘を繰り広げたゴッデス部隊の生き残りであり」
ネイトはため息をついた。
「アークに復讐するために闇に堕ちた女神だよ」
「ティアマトさんはアークに復讐しないんですか?」
プラチナの疑問はもっともだ。
「お偉方にはあってもアークの住民自体に恨みは無いしのう。もう死んどるじゃろうし屍体に鞭打つほどじゃないけぇ。人的資源の供給源としては優秀じゃが、ウチの仇はラプチャーじゃ」
そう言ったティアマトだが、手を叩いて思い出した。
「ああそうじゃ、エデンに一人おったのう!! ウチらを地上に追放した指揮官が!!」
遥か上方からティアマト達を見下ろす、銀髪の漢がチラリと見えた。堕ちた新星と流謫の暴龍は一瞬だけ視線を交わすと、何もなかったかのようにまた正面を向くのだった。
「まぁアイツはアイツでご覧の有り様じゃけどな」
「ティアマト、アタシと手合わせしてくれ。プラチナに見せてやる」
ネイトは首をゴキゴキ鳴らし身体をほぐしながら言った。
「なんでそがぁなたいぎぃことせんにゃあいけんのんね?」
「負けるのが怖いのか?」
「調子に乗りよるんはもっと嫌いなんよ!」
「さてと、更年期障害の老いたメスドラゴンをサンドバックにしてやるか」
「言ってろ!!」
「ネイトさん、凄い……」
ネイトは気など全く使わずにティアマトのパワフル極まる攻勢を全て受け流している。要はこれが見せたかったのだ。
「ほんまクネクネしよってから!」
「プラチナ! お前にはシュレディンガー達みたいな器用さがないかもしれないが、こうして戦う方法もあるんだ。楽しんでいけ!」
まるで輪舞を踊るかのように身をかわし、勢いに乗じて打撃を返す。ネイトにしか真似できない芸当ではあるが、プラチナには彼女なりの力があるはずだ。
プラチナに対しエデンもティアマトも「恨み」による力の発揮方法を示した。しかしネイトはそれのみに頼らぬ選択肢を常に考えるよう後輩に教え続けたのだった。
「今日だけは呼び方、プラティガに戻してもいいから。だってあなたのこと、殺すつもりだし」
そして私ことプラチナは、もう一度プラティガとして宿敵と相見えた。正しく怒りを制御し、私はスタルカーを超える。
「いいでしょう、プラティガ」
スタルカーが禍々しい得物を構える。まるで備えていたかのように、鋏を構えている。
一瞬だが空気が音を立てたかのような感覚に陥って、あっという間に髪の刃が押し寄せてくる。
「エンハンスド……」
タイムリーレインに気が注ぎ込まれ、髪の毛を伐採していく。裁断とかいう可愛いげのあるものではない。手当たり次第叩き斬っていく!
「まずは消耗させる。基本だ基本!」
波状攻撃! 圧倒的な毛量は津波の如く押し寄せる。海無き地の方舟が渡海出来るのか?
「誰に入れ知恵されたのですかね? ティアマトさんですか? 確かあの方は日本生まれでしたからね」
相手の言うことは無視無視お疲れ様でした。相手にはどんな些細な情報をも渡してはならない。それが逆転の一撃になることはいくらでもあるのだ。
軽機関銃の弾がばら撒かれる。道化師は建物の隙間に入り込んでこれを回避する。足場は既に髪の毛で覆われ、他のニケ以外の全てを締め上げている。ラプチャー達は侵食を試みているが、末端は既に機能を失った部分で、まったくプログラムを流し込む余地がない。寧ろその刺激のみ受け取って位置を感知し、コントロールされた髪の毛刃で切断しにかかる。
「ふむ、なかなか厄介ですね。文字通り頭を使うようになってきたではないですか。偉い偉い」
崩れた高層ビルの縁で拍手するスタルカー。
「ですがね、あなたに決定打がないのは変わりないんですよ」
縁から身を落としたと思いきや、壁を蹴って武器ごと馬上槍突撃(ジュースティング)してくる!!
「この!?」
大剣での牙突に対しては横に外れたのち髪の毛の盾で受け流す! 突き刺さったところを銃撃すれば……
「地摺り斬月」
地を這う髪の毛を巻き込みながらスタルカーの剣は地面に突き刺さり、止まらない! エンハンスメントされた武器の威力は糸鋸さながらに髪の毛ごと地面を切り裂いていく。その上で道化師は身体をどう使うか思案していた。
「勿体無いですが、ここはやめときましょう」
なんと、もうひとつのタイムリーレインを持って発砲してきたのだ。
「ぐあっ!?」
躱されるのは読んでいたが、出した技をキャンセルして別の攻撃をするとは思っていなかったプラティガは無数の弾丸に曝される。なんとか防御に成功したが、いくばくかのダメージを負ってしまった。
「くそっ! 直線攻撃しか出来ないと思ったら負けだ!」
プラティガは足場になりそうな物にも髪の毛を這わせ始める。同時にのべつまくなしに広域展開していた髪の毛を一気に自分のところへ戻し始めた。髪の毛の牢獄でスタルカーを圧殺する腹積りである。
「ではわたくしはゲットライドしましょうかね」
新たなタイムリーレインは武器であり、移動手段でもある。ホバージェットすら搭載しており、それ自体をサーフボードに見立てて乗る事すら可能なのだ。ヘッジホッグ様様である。
高速移動するタイムリーレインを止められず、それどころか、スタルカーは分離させたガトリングガン部分で制圧射撃を開始した。
「ガトガトガトガト……」
「くっ意味がわからないっ!!」
髪の毛の壁で機関銃の弾丸は防げる。弾切れでリロードする瞬間を……
「残念、これはビームも撃てるんですよ?」
コアにケーブルを繋ぐことで、ビームガトリングガンに早変わりだ。勿論体力を相当消耗するが、ニケの髪の毛なぞすぐに溶かし尽くせる。
押し寄せる髪の毛の壁にも風穴を空けると、スタルカーは跳躍して脱出! このままブーメラン状に変形させたタイムリーレインを投げつけ、見事に切断成功!
「まったく……師匠が増えたとか戦法を変えたとか、小細工の引き出しが増えたのはいいのですが意味がないんですよ」
道化師は高層ビルの壊れたガラス窓枠を足で掃き清めると、座って一休みする始末である。
「クソっ、まるで相手にならないじゃない!」
(ダメだ、後ろ向きの考え方止めろ。相手も疲弊してるはずだ!)
プラティガは冷静に彼我の戦力差を計算する。新武器がとにかく厄介だ。全く予兆などなかったのか?
それに気が使えるか否かの違いがここまで大きいとは! エデン製のボディに変わり出力は確かに上がった。だが、それを容易く乗り越えてくる身体能力向上具合も見逃せない。
しかし、結局はコアエネルギーの過剰使用の言い換えに過ぎない。あの大きさをエンハンスメントし続けるのは如何にスタルカーでもコアに負担をかけているはずだ。いずれエネルギーの枯渇が起こって弱体化するとプラティガは開き直る事にした。持久戦は元々プラチナの得意とする、というよりそれしかしようがなかったのだがこれが功を奏することになる。
(まさかここまで戦えるようになったとは……)
散々プラティガを煽っていたスタルカーだが、内心は驚き半分嬉しさ半分といった塩梅である。年を経るにつれて諦観していった彼女を叱咤していたのに逆効果であったのは残念だったものの、別のアプローチで復活すると考えてもいなかった。
「プラティガ、今こそ問います。我が元に来たれ」
スタルカーの問いに一瞬迷うも、いつもの挑発ととらえプラティガは牽制の髪の毛刃を仕向ける。
髪の毛はなんの抵抗もなく、バランスを崩した道化師の胸あたりに突き刺さった。
「!?」
プラティガの混乱も仕方がない、スタルカーは突如として意識を失い、頽れ、今や死の淵にいるのだから。
倒れた道化師はピクリとも動かない。衣装は貫かれた箇所から液体触媒が滲み出て大きな朱の染みを生み出していた。
「こんなあっさりと!? どうせ何かの罠なんでしょ!?」
髪の毛が纏わりつき、締め上げるが起き上がる気配はない。
ハァハァという荒い息遣いがいやに耳障りに感じる。
「頭を、撃ち抜く……」
サブマシンガンを構える手が震える。動揺ではなくて恐怖のせいで。憎い憎い、私自身の仇なのに、殺せば自分も畜生だ。散々殺人依頼をこなしておいて何を今更。
「そういえば、何故あいつはこの場にいない?」
そう言った瞬間、首を飛ばす程の蹴りが叩き込まれる。
「ねこです」
髪の毛のオートガードでなんとか死なずに済んだプラティガが見たのは、猫の面を被ったもうひと柱の鬼神であった。
「ねこです。もうしょうぶはつきました」
主人を倒されたとはいえ、飼い猫は存外冷静だった。本当の猫みたいにそれなりの関心しかないのか?
「た、確かにそうね」
首を押さえながらプラティガは銃を下ろすか、もう一度だけ考える。
正直に言えば、仮に百回戦えば九十敗以上は確実な中での貴重な勝利だ。この機会を逃せば恐らく次はないだろう。だが不完全燃焼感が残るのも事実だ……
天を仰いでふぅ、っと息を吐く。表面的には穴など見えなくなっている。この乱痴気騒ぎももうすぐお仕舞い……
「シュレディンガー。なら実力で私を止めて」
髪の毛を武器化し、プラティガは構えた。
「ねこです。しょうぶです」
シュレディンガーもネコの面を外して懐にしまい銃を抜く。ショートカットの少女のような顔貌を見たのは二回目だ。
怒りによる殺意と純粋無垢な殺意、両雄は最後の戦いに臨む。
時刻は深夜零時。空には将星が一筋流れ、アークの中枢部に赤龍と天使が降臨するなどしていたが、極度の集中状態にあったふたりには、そんなことはどうでもよかった。
オマケ
時系列整理用(加筆修正などして外伝『聖櫃の中の猫』になる予定)
まだ空の太陽が南中にあった時のことである。
ラプチャー侵攻が起こり始め、アークの人々の多くはすでにシェルターに退避し終わろうとしていた。だが、それがかなわなかった者もいる。アウターリムの民である。
「シュレディンガー、これをガラテアに」
「ねこです。わかりました」
道化師からの手紙を受け取ったシュレディンガーは、早速ガラテアのいるアウターリムの性風俗店街・バッドドリームの某店に駆け出した。
「終わったら、ラプチャーを倒しながら合流しましょう」
「ねこです。それもわかりました」
ピョンピョンと高層ビル群をパルクールするシュレディンガーだが、アウターリムへのお使い時はいつもこの手段しかとれない。瞬間移動すれば簡単なのだが、以前それをした時にはガラテアはビニールのマットでヌルヌルしていた直後であり、ひどいことになりかけた。
「お前たち! とっととこの穴倉ん中に入るんだよ!!」
シュレディンガーがソープランドに到着した時には、ガラテアはボンデージ衣装にムチを持った女王様スタイルである。これは客のリクエストであり、彼女は現在避難誘導で客や同僚の人間達だけを店の地下まで掘り進めたアークへの直通トンネルへ逃がしていた。付近の住民まで声をかければアークの混乱が助長されるだけだ。
「シュレディンガーか! アンタ何の用……」
「ねこです。これをわたしにきました」
「なんだよラブレターかなんかか?」
無造作に封書を破いて中身を読んだ瞬間、ガラテアは滂沱の涙を流して跪いた。
「嗚呼! ご主人様!! 私は全身全霊を尽くします!!」
涙を拭いて、立ち上がったガラテアはすぐに衣装を脱ぎ捨てた。古代ギリシャ彫刻の髣髴とさせる女体は、これから漆黒の軍服に包まれる。
「ねこです。わたしはかえります」
「オッケー! ここは私に任せて!」
ガラテアは姿見の前で化粧を始めているが、心は既にかつての軍神・ケイトが存在していた。
速攻でアウターリムとアークを分断する壁を上から乗り越えて、一路スタルカーの元へ向かうシュレディンガー。十時間もどこをほっつき歩いていたのか?
答えはカンタン。彼女はスタルカーの言いつけを忠実に守り、目についたラプチャーを草の根分けてでも殲滅していたのだ。
まず彼女はヘッジホッグ達に出会った。大きなタイヤを一瞬敵と誤認したのだ。よく知らないメガネをかけたニケも一緒だ。
「シュレディンガー、良いタイミングで来てくれたね!」
「ねこです。倒します」
ラプチャーが犇く中をシュレディンガーは跳躍する。猫の額ほどの空間に着地するが、片脚一本しか立てられない。小さく脚を曲げ0.1秒後、再跳躍!
常人にはけんけん飛びしか出来ないだろうしニケでも多くのものがそれに準ずるかややマシの結果であろう。しかし、シュレディンガーにはそれだけで十分飛べるのだ。恐るべきボディと、筋力を限界以上に発揮させ得るコアエネルギーの爆発力だ。
シュレディンガーは空飛ぶタイヤを足場にさらに跳躍し、まっすぐロード級ラプチャーに突撃をかける! メタルバイソンとブラッディゲイルを乱射しながら回転突入! 弾丸の攻撃力は二倍の四乗で十六倍、いやそれ以上である。敵の装甲はアッサリと風穴が開き、コアを穿ち抜かれた。
「ねこです。やりました」
シュレディンガーは両腕を高々と掲げて勝利のポーズだ。
「ねこです。ヘッジホッグさんこんにちは」
「おー、助かったよネコのお嬢ちゃん! 敵が多くて足止めを食らって困ってたんだ」
「ねこです。その人は誰ですか?」
「このニケはマチルダっていってね、今後の戦いに重要な能力を持っている。だから是非とも中央部に集結しつつあるウチらの主力部隊に連れて行こうと合流したんだけど足止め食らっちまってね」
「ねこです。スタルカーとも合流したいです」
「じゃあ交換条件だ。リペアセンターから出てきたスタルカーとはそこで会うといいから、私の代わりにその人連れて行ってあげておくれよ」
「ねこです。いいですか!?」
「逃げ回るのは得意だけど、一人でなきゃ難しいからね」
「マチルダよ。よろしくね」
「その人は戦闘は不得手だからゆっくり徒歩で行くんだよ!」
マチルダという足手纏いを連れて、シュレディンガーはヘッジホッグと別れた。
事件発生から六時間が経過した。大穴からのラプチャー侵入はだいぶ減少していたが、浮遊型も降下しており数の減少は体感しづらい。
「ほいじゃ、パンジャンドラムくんの進化をとくとご覧あれ」
六十年以上の知識と技術の蓄積は、欠陥兵器を恐怖の鏖殺マシーンに変貌させた。彼女にインスピレーションを与えたのは、あのヘビのヘレティックである。無限のエネルギー発生機関たるエターナルリターンからのビーム攻撃は、彼女がエブラ粒子物理学を研究発展させる上で重大な啓示であったのだ。アレは強大な敵であり、偉大な先達だ。
神の火・フレイムオブプロメテウスと銘打たれた新たな武器は、エブラ粒子を利用している。なお、かつての愛銃はグレーチェンのヘクセンハウスに移植されて対空砲台として現役だ。
地上に蔓延している通信阻害物であるエブラ粒子を吸収しつつ、それを兵器転用する動きはいくつかあり、熱エネルギーに変換してさらに衝撃波として撃ち出す兵装を持つニケが存在する。
だがこの基礎理論を構築し、その初期段階の派生理論特許のみ企業に売り払ったのがヘッジホッグだと知るものは極めて少ない。彼女が到達したのはさらに向こう側、物理学の常識が切り替わるほどの叡智を独占している。
詳細は省くが、エブラ粒子を縮退するまで圧縮し放出する荷電粒子ビーム発射機能を搭載し、その過程で発生する力場で浮遊や斥力利用による推進などが可能な超万能兵装であり、パターンXX(註 パターン99ではない)製の装甲板を高速回転しながら内蔵の粒子加速器でエブラ粒子を自家生産することも可能、その気になれば量産も不可能ではないときている。
そんなイカれ兵器を乗り回し、時にビームを乱射し、時に車輪で轢殺し、ビームシールドで防御し、空中を駆ける。ヘッジホッグがこの世でもっとも自由なニケのひとりであることは疑いようもない。
事件発生から九時間が経過し、味方にも重軽傷者が出てはリペアセンターでのボディ交換などが行われている。スカー達の集団にもシュレディンガーらふたりが合流した。
「ねこです。ヘッジホッグからおとどけものです」
「スカー教官! お久しぶりです」
「でかしたぞシュレディンガー! マチルダも元気そうだな。アニェージ、喜べ。人員追加だ」
「人員追加ね……」
「アニェージもいるの? あなたも久しいわね」
「ウソでしょ!? とんでもない助っ人キタコレ!」
「少し仕事場作って下さる?」
「ああ、すぐ用意させよう」
「これで千人力だわ〜」
「ねこです。スタルカーはどこですか、スカー」
「スタルカーはもうすでに別のところに行ったぞ」
「ええと、ここに案内したのでそのあたりにいると思いますよ」
さてこのあと、スタルカーの転戦を辿るようにシュレディンガーも戦うのだが、やはりこれも時間がかかる。ようやく追いついた時にはプラティガがスタルカーを打倒した直後であった。
「なんでアタシが戦闘に出られないんだよ!? 言ってみろこの公然猥褻カットおじさんがよ!」
天下の副司令官・バーニンガムに対して胸ぐらを掴んでブルンブルン揺らす、このような蛮行を振るうのはアーク最強かもしれないニケのひとりナイチンゲールである。ちなみに最近気になっているのはアークいち大きな図書館の司書ニケで、彼女が休眠中なのもあってそのうち食ってやろうとターゲッティングしている。
彼女を副官ニケにしているイスカンダルは逆にこの無礼に対して土下座していた。
「き、君の能力はアークで使うと非常に不味いし、ラ、ラプチャーに切り札を知らせたくないんだよ」
「で、護衛任務だからってこんなナリのニケっているかぁ?」
「ウチのナイチンゲールお嬢が大変失礼なことを言ってますがお許し下さい!」
「酷い言われようだけどまぁ事実だからしょうがないね」
ラスコーは両手の親指・人差し指で四角を作って、穴の空いたエターナルスカイを見つめる。
「ほい終わり。映像は暫く曇り空固定で済ますからよろしく」
能力の限界点に達し自分で付けた容貌デバフがきれ、絶世の美女の姿に戻ったラスコーを見て、ふたりは思考停止していた。
「急がなくていいよ……再調整が終わるまでおやすみ」
薄汚れた白衣を着た冴えない容姿の少女ニケは、眠るニケ達の髪を撫でる。彼女の名前はモモ。白衣の持主は既にこの世にはいない。
「応戦可能なニケはラプチャーと戦うようにと脳内が騒がしいのであるが、わらわたちは出なくて良いのかの?」
随分と古めかしい言葉遣いのニケは、ボディから溢れ出る電気を帯びながらモモに尋ねる。
「私はそもそもそんな力はないから大丈夫だよ。あなたはそうだね……行ってみる?」
「暇つぶし程度に散歩に出かけるとするかの」
散歩とは、今でいうところの麻薬を服用して漫ろ歩きしたことに由来する。特別な人間からしか得られぬ血液を凝固させた粉末を指に塗し、舐る。
「地上型は皆がよく戦っておるゆえそこまで脅威ではなさそうじゃな」
弾丸とビームが飛び交い、いくらかの弾が頭や腹部を貫通する。しかしこのニケは瞬時に再生を開始していた。これでもまだマシな方である。
「だが、空を浮かぶ蚊トンボが鬱陶しい」
中間層から降りてきた飛行型は、地上型を支援すべく空爆を開始していた。目の前にも小集団が彷徨いているが、このニケの気分を害してしまったのが運の尽きである。
「娘娘発雷、蚊雷霧消」
指先から細い一本の稲妻が迸ると、飛行型ラプチャー全てに電撃が伝わって爆ぜた。
「足元の髪の毛は絹のようで美しいのじゃが、これも過ぎたるはなんとやらじゃな。まぁ多すぎるは地面に接してるはで処理できぬがの……おや?」
ニケは立ち止まり、頭上の大穴のそのまた向こうの夜空を思い浮かべた。
「星が堕ちたか? その割に違和感があるので錯覚かもしれんが……違うな」
「奴め、まだ生きておったとはの……とはいえわらわがいう台詞ではないな……」
エナジーコア付近を刺突され、スタルカーは倒れた。現時刻は日付が変わるか否かの深夜帯である。
地上では未だ戦闘が繰り広げられていたが、その時夜空には流星がひとつ流れていたのを空色の髪のニケが目撃していた。
その直後、空から一匹の火龍が大穴めがけて突っ込んでいった。そして遅れてやってきた白き女神が大穴に一条のビームを放った後、神々しい光を纏いながら降下していった。
工事の途中でこれを目撃したマイティツールズ所属の量産型ニケのひとりはこう証言している。
「天使様が降臨したんですよ!!」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?