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勝利の女神:NIKKE 稗史:伏魔殿の道化師はヒト探し中(19)

当時は価値がないとされた命だった。
今となっては死も価値がないというのか。

シュヴァルベルク
『子どもたちは泣いたか ナチズムと医学』

 十二月中旬。地上すなわちこの星の北半球は凍てつく冬の寒さだが、地下都市アークは見た目上の天候変化などで温度を弄らない限りは一定の温かさを保っている。
 病から酸素吸入器を装着し、長男に車椅子を押され移動する女性がいた。
 彼女は財団法人オーケアニデスの創設者であるマーガレット。かつてはアークの上層部にすら毅然と渡り合った女丈夫であったが、今となっては一介の老女に過ぎないのかもしれない。
 人間用の病院と併設された、ニケ用の病院ともいえるリペアセンターには、第二次地上奪還戦での死闘を終えたニケ達で溢れかえっていた。尤も、ニケの大半は地上で命を落としている。
 彼女は自身の権限で個室をあてがっているニケとの面会に赴いた。精神的ショックから未だ意識が戻らない、ロングヘアーで緑髪のあどけない少女型ニケである。
「ルカ……ケイトがいない今、貴女こそがニケを救い得る唯一の存在なのよ」
 ゲホゲホと咳をして呼吸困難に陥る母の背を撫ぜながら長男は訝しむ。
「私にはスタルカーを一番に評価する母さんが理解できないな。ネイトやディシプリン、ネメシスのような圧倒的な強さがコイツには無いじゃないか」
 長男の価値観はなんといってもニケの特殊能力の強さである。限定的ながらニケを操る事ができるディシプリンやネメシス、因果律にすら抵触しているのではないかと思しきネイトと比べ、スタルカーは基礎能力の高さしか優位点がないと見做されている。
「あなたに人を見る目があればよかったのだけど、天はそれを与えなかったようね」
 マーガレットにとって、スタルカーは素直さと明るさで皆を魅了し、またどんな困難にも屈しない芯の強さを持った類い稀なニケである。確かにネイト達も高い力を持っている。だが彼女達はその力ゆえ奔放さをも持ち合わせている。己のための力を皆に還元する質ではないのだ。
 彼女が求めているものは、去私の心。それはニケ、いや人類全体が苦境に立たされるであろう遠くない未来に絶対に必要な資質であった。

 気がつくと天井を見上げていた。自分は誰だと心の中で誰何する。私はスタルカー……
「ここは?」
 答える者はいなかった。頭が少し痛むが問題ない。
 ベッドから起き上がって探索すると、ここはどうやらリペアセンターのようだ。ボディは非戦闘用に切り替わっている。彼女のトレードマークともいえる道化師の姿である。洗面所の鏡の前に立つ自分の表情は、憔悴しきってとても観れたものではない。
「勲章は!?」
 アタナトイから貰った、騎士鉄十字章。あんなに大事に握りしめていたのに……
 パニックを起こし騒ぎ出したスタルカーは、リペアセンターで看護師をしているニケたちに押さえられてまた病室に逆戻りになった。
 元はといえばフォールアウト(放射性降下物)による被曝がないかの対策で様子観察するだけだったのだが、このことが原因で思考転換を疑われ数日退院が伸びてしまった。
 その後急に大人しくなった振る舞いから本人も、そして他人も思考転換まではしていないとの結論で終わった。だが実際には、スタルカーの人格は大きく変わっていたのである。握りつぶされた騎士鉄十字章と同様、歪に……

「お帰りなさい、スタルカー」
「ただいま、戻った」
 退院後すぐに財団本部に顔を出す。
 スタルカーの些か大人びて素っ気ない応答に若干首を傾げたマチルダだが、今まであったことを簡単に説明する。
「アークに戻る際にね、ティアマトが「ウチらが一番最初に戻っちゃろう」って言い出した時はビックリしたのだけど、今落ち着いて考えたらベストな選択だったと思うわ」
 剽悍なチャルチウィトリクエの軍事パレードじみた帰還劇は、平和ボケし過ぎたアーク市民には衝撃が大きかった。唖然としながら見送る民衆。
 その陰でオーケアニデスの義勇兵たちはこっそりとアークに帰還した。何故か?
 それは戦闘の苛烈差である。前者は防御行動が多くそこまで消耗していないのに対して、後者は激しい戦いに晒され続けて身も心もズタボロだったのだ。
 もし義勇兵たちが先に帰還していたならば、クリスマスシーズンで浮かれまくっている市民を見て思考転換を起こし発狂しかねない。命懸けで戦っても誰も喜びもしない。そういうことだ。
「財団のメンバーも多くが戦死して、今はもう千人を切っているわ、それに……」
 彼女の表情、特にメガネが曇った瞬間、スタルカーはわかってしまった。脇目も降らずにエレベーター方向へと走り出すスタルカーを、マチルダは涙を拭いて見送るしかなかった。

 地上のエレベーター発着場では見慣れた人影がポツンと立っていた。蒼いワンレングスの髪にボディコンシャスと狙撃銃の組み合わせはネイト以外には考えられない。
「スタルカー、気がついたんだな」
 無言で頷く。若干の違和感を覚えながらもネイトは続ける。
「まだ帰って来ないんだ」
「……」
「ケイト先生がさ、戻って来ないという話でさ、最初は「偉そうなことを言っておいてザマァない」とか思ってたんだけど……正直今は、早く帰ってきて欲しい」
 北の地は、今や放射能に満ちた不毛の地と化した。入ればニケやラプチャーであろうと早晩異常を来たすのである。
 スタルカーとネイトは、この日から来る日も来る日もエレベーター発着場で三名の帰還を待ち続けたのである。

 一月末日。十二月十日から四十九日を過ぎたこの日、財団の合同葬がしめやかに執り行われた。
 ケイト・シャロン・アタナトイの三名と、ウコクら第二次地上奪還戦で戦死及び関連死したおよそ二千名が対象である。
 祭壇の遺影は、人徳に厚かったケイトが最も大きく扱われた。オレンジ色のショートヘアに一本伸びた癖毛が可愛らしく、遺影の表情は生前の瑞々しい笑顔であったため尚更参列者の涙を誘う。
 一方、ローブと仮面で身を隠していたアタナトイは対照的だ。彼女の身分は便宜上義勇軍総司令官であったが、流石に加入期間が違いすぎた。
 ケイトと同輩であり歴戦の傭兵然としたスカーが代表して弔辞を読んだが、あまりに冷淡に過ぎて参列者の怒りを買っていた。
 また、この時はじめて末端の食客たちにも、財団の代表たるマーガレットの病臥が明らかにされた。彼女はこの合同葬に出席するつもりであったが、もはや自力で体を起こすことすら出来ないほど衰弱していた。
 皆が涙を流しながら、残された頭部のない非戦闘ボディ三体--アタナトイはアストリットとして誅殺された際に非戦闘用ボディも破棄されたためカウントされていない--に花を手向けて行く。これらのボディは敷地内に設けられた墓に埋葬されたが、後日これらが悲劇の幕開けになるとは誰にも予想できなかった。

「私たちはケイト先生の遺志を受け継ぎ、各々道場を開くんだ」
 先輩であるプロダクト23などの、銃剣道の達人でもあったケイトの高弟達五人が悲しみの中であっても決意を新たにするのを、スタルカーは寂しそうに見つめていた。
 末弟だから突き放されている訳ではない。むしろ、五人は彼女の遺産のうちで最もアタナトイと関係の深い物品を彼女に分け与えた。
『軍事思想史要諦』
 これはアタナトイがまだ中央政府軍人のアストリットであった頃、個人的に著した自費出版本いわゆる同人誌である。だが中身は恐ろしく難解かつ巻数がそれなりに多いため、一部の熱狂的歴史マニア・軍事マニアしか所持していない。
 ケイトはこれを半ば強引に後輩から送り付けられていたのだが、割と読み込んでいたのか所々付箋や記述が残っていた。
 ちなみに市場価値は絶無であったが、彼女の造反で入手方法が激減し、今では場末の古本屋かネットの奥深くでのみ超高値売買されている。

 三月に入り、マーガレットの容体も重篤になってきていた。指名を受けたスタルカーのみが家族の集う病院の個室に招かれた。
「なんとか元気になられて下さい」
 痩せ衰えシワシワになった手を握り、必死に励ますスタルカーを家族の一部は冷ややかな目で見ていた。
 しかし、彼女が震えながら吸入マスク越しに動かした唇の形をスタルカーは見逃さなかった。恭しくマーガレットとその家族に頭を下げて退室すると、彼女は一目散に駆け出して財団内のあるPCに接続した。
 彼女は直感したのだ、会長は財団の資金を管理するサーバーのパスワードを私だけに伝えたのだと。そして読唇で得たパスワードを入力すると、セキュリティロックは解除された。
 スタルカーが事実上財団を継ぐ存在となった数日後、ロイヤルにその人ありと称された烈女であるマーガレットもこの世を去った。貴金属など自身の家財をアークに寄付して得た莫大なクレジットをさらに株式運用などで殖やし、その利益でアークで惑うニケ達を支援するという現代の孟嘗君であった。

 一方その頃、ネイトはいつもとは別のエレベーター発着場に向かっていた。
 たまに彼女はこのように様々な箇所に足を伸ばしていた。ただし対象範囲が広すぎて、なしのつぶてになるばかりであったが。

 しかし今度ばかりは引いてはいけない当たりを引いてしまったようである。ラプチャーが屯する地にポツンと立っているアサルトライフルは、ケイトの愛銃サイドワインダーに相違あるまい。
 エレベーター付近からデコイを撒いて敵を散らしつつ狙撃--と言うにはあまりにも雑で、見ながら引き金を弾くだけで相手は弾け飛ぶのだが--、ネイトの特異能力で一気に殲滅する。
「やはりこれはサイドワインダー……」
 墓標を引き抜くと銃剣は青白く輝いている。しかしそれをまじまじと確認する暇もなく第二波がやってくる。
 弾倉には多少の残弾。アサルトライフルは連射がきくので幾らか敵がまとまって来ても一気に撃ち殺せる。
 ネイトはバババっと撃ち払うが、一匹仕留めきれずに弾切れ。スナイパーライフルに切り替えるのが面倒だ!
「喰らえ!」
 サイドワインダーを振りかぶって投げつけると、ラプチャーのコアに突き刺さって絶命した。

 ネイトがスナイパーライフルで二度撃ちし、ラプチャーの確実な死を確認する。第三波はない。
「嗚呼。ケイト……先生……もう会えないんだな……」
 全てを悟ったネイトは涙し、絶叫していた。
「うおああああああああああああ!!」
 元あった場所にサイドワインダーを戻すネイトの腕には恐るべき力が加わる。ウコクもケイトも自分を置いて先に逝ってしまった!!
 銃剣は更に深々と大地に食い込む。

 移ろいゆく人の心にニケは対応しきれない。ネイトの繊細な心は、自身への寵愛が失われていく事に耐えられず、彼女を苛み続けていた。第二次地上奪還戦での死闘で更に精神を摩耗し、全てを投げ捨てようとしていたネイトに対し、スタルカーとケイトは何とかしようと叱咤激励する。だが、そのうちのケイトが死んだという事実は彼女の心に止めを刺すのに十分すぎた。
 エレベーターに乗り込みアークへ戻るネイトの眼には、ひとかけらの生気も無い。
 残念ながら、いつまでも青白く輝き続ける銃剣は彼女の感性には大した価値を見出しきれなかった。
 


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