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#3 やさしいことばたち

題材を悩んだり推敲したりしたおかげで随分と間が空いてしまったが、決してサボっていたわけではないことを先に言い訳させていただきたい。煮込み料理と同じで寝かせた方が味が出ることもあるのが文章という奴である。

身の回りに、なんとなく『やさしい言葉遣いだな』『ふんわりした喋り方だな』と思わせてくれる人は居ないだろうか?
例えば…と言って形容するには少し難しいニュアンスではあるが、なんとなくそう思わせてくれる言葉で生きている人というのがちらほら居る。そういう人は街角の店員さんだったりするし、本の中の登場人物だったり、果ては配信者だったりもする。気の利いた表現や心の積み荷を少し肩代わりしてくれるような至言ではない。ちょっとだけまるみを帯びた彼らの表現とその底の方に確かに在るぬくもりに触れると、なんだか少し幸せな気持ちになる。
自分もできればそうなりたいなあと常日頃思ってはいるものの、やさしさを言葉にしのばせるというのは思ったより難しい。人の言葉遣いというのは、いわば人生全部をエスプレッソマシンで抽出したようなものであり、本をたくさん読めば、いい映画を沢山見れば、家族の愛を一身に受けて育てばそうなるというものでもないからである。もちろんそれらが一つのきっかけや要素になることはあるかもしれないが、じゃあそれを心がけたからといってすぐに理想の言葉遣いになれるわけではないのだ。
さらには受け手の問題もある。同じ人の同じ言葉は、AさんにもBさんにもCさんにも同じ温度では伝わってくれない。受け手の人生におけるタイミング、性格、経験、昨日の夜よく眠れたかどうかなんかによって、言葉はまるかったりしかくかったりしてしまうのでこまったものである。
元も子もないことを言うようだが、別にこんなことを考えても、残念ながら自分が人生でもらう言葉の種類はあんまり変わらない気もする。ならば君は他人によく思われたいからそんなことを考えているのかねと言われれば、そういうわけでもない(少しはそうかもしれない)。ただなんとなく、自分の言葉端で幸せになってくれるといいよねと思うのである。だって私もそういう人々に幸せにしてもらっているもの。そういうのが愛ってやつなんじゃないかと、私なりに思うのだ。

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