ご近所ミステリー12 ベージュの白衣

 あらすじ:
大学四回生になったオレは、コロナのせいで大学ライフを十分に楽しむことが出来ず、オンラインでの講義それにズームでのゼミなどで三年間が過ぎた。郵便局でのアルバイトもしていたが、在宅が多かったオレは近所に新しく開院した大きな歯科医院の金髪の歯科衛生士と知り合いになった。また、その頃オフクロにも異変が生じていた。
ご近所ミステリー第十二弾です。読んで頂ければ幸いです。
※     ご近所ミステリー第一弾から第十一弾は「#ミステリー小説部門」にあります。

オレはもう大学四回生になっていた。コロナのせいで大学に殆ど顔を出さず三年間が過ぎた。言っとくがこの大学はオレの第一志望の大学だった。高校は面白くも何ともなかった男子校で、高校入試のすべり止めの高校だったが、第一志望の公立高校にすべり、行く事になった。入学式に泣いたが、その悔しさをバネと言うか、臥薪嘗胆の気持ちでこの大学合格のために好きでもない入試科目をひたすらやって来た。
自分で言うのもなんだが、その頑張りのお陰で、第一志望の大学の合格証書を勝ち取ったのだ。 
だが、コロナで折角の大学に通う事も殆ど無く、主としてオンライン授業になっており、どれほどの失望だったか言葉で言い表す事が出来ない。それでも何度となくこの第一志望の大学に足を運んだ。キャンパスには意外な程学生がおり、まるでコロナを楽しむかのように和気藹々にやっているのだった。だが新入生のオレは単なるストレンジャーで、多くの学生とすれ違うたびに足元がふらつくほどの寂寥感に襲われた。こんな殺風景な古茶けた校舎に入る為に、高校三年間を過ごしたのかとさえ思った。
そうは言っても将来の事を思い、オレはそれなりに授業に取り組み、空いてる時間は郵便局でアルバイトをした。
仕事はハードであっても、気楽な職場だと思っていた。ところが、何年か前に民営化されており、オレには初めて目にするヒエラルキーの現場だった。えらく威張った管理職、正規社員、非正規社員それにオレのようなアルバイトなどにハッキリ区別されていた。しかも、郵便局の仕事の中には民間の運送業者も従事しており、いずれにしろオレにはややこしくて複雑な職場だった。当然、人間関係も推して知るべしだった。
オレは集配の仕事をしていたが、どうせすぐ辞めるいい加減なヤツと思われていたのか、正規の社員にパソコンの端末の操作方法や海外からの荷物の取り扱い方などについても簡単には教えてもらえなかったし、中には間違った方法を教える社員もいた。また、同じバイトでもオレに教えると自分の仕事や居場所を取られると思ったのか、一切教えないバイト連中もいた。ま、それなりに大学を出た後のための人生勉強と思って今もやっている。
オヤジは有名公立高校の教員で数学を教えている。家でも殆ど笑ったこともオレに親しく声を掛けたことも無く、いつも苦虫を噛み潰した顔をしている。オレが公立高校を落ちたその日の夕食の時、オフクロはずっと涙を堪えて顔を上げる事はなかったが、オヤジはオレが落ちたことも他人事のように何を言うでもなくいつもの苦虫のままひたすら夕飯を食っていた。
寡黙なオヤジだが、テレビのニュースなどを見てる時など、「こいつは大馬鹿野郎だ」とか「この犯人、ホントふざけた野郎だ」などあまり耳障りの良くない言葉をしばしば独り言のように吐いていた。そんなオヤジは高校では担任を持っており、生徒は朝からこんなオヤジの顔を見せられ、さぞかし憂鬱だろうと同情したくもなる。
生徒とはお互いあまりいい関係でないためか、しばしば「この歳になってまでアホどものおもりは勘弁だ」と口癖のように言いながら夕食を済ませると、そそくさと自分の部屋に籠った。「教頭試験をまた受けるんだそうよ」とオフクロも他人事のように言う。
そんなオフクロは、数キロ離れたところにある大きなモールの中のスーパーのレジで、昼過ぎから夕方までの数時間働いている。細身のオレと違ってふくよかな体つきで胸もやたらでっかく、しかもそのラインがくっきりと出るニットの服を好んで着ており、職場でも周りの目を意識しながらレジを打っているのだろう。とにかくオフクロには母親と女の顔は持っているが、妻という顔は無いように思うのだ。そのオフクロは六時過ぎに家に帰ってくるが、バイトを終え家にいるオレの顔を見るといつも、<一人家にいる時、オレは何をしてるんだろう?>という目でオレを見るのがオフクロの癖だった。
尤も家にいると暇そうに見えても意外にいろんなことがある。古くて年季の入った我が家には、壁の塗り替えや屋根の補修や張替え、樋の付け替えといったセールスがひっきりなしに来るのにはほとほと閉口する。また、お隣からの回覧版では、最近この付近で車上荒らしがあったことや不審者がしばしば目撃されている事や、下着泥まで出没しているので気をつけてもらいたい、との事だった。オレは静かすぎて退屈なこの地区でそのような事が起こっているとは信じられなかった。
ただ、ひと月ほど前、どういう訳かこの地区に大きな歯科医院が開院したのだった。大きな看板によると、常時四名の医師がいて、様々な病状に対応するともあった。そのこともあり、最近、家の周りを行き交う人が増えた気がする。それに患者だけでなく、歯科衛生士か事務職員か知らないが、朝、朝刊を取りに出る時、変な言い方だが、ベージュの白衣姿の若い女性をしばしば見かけるのだ。寝坊などで遅くなり家で制服に着替え、駐車場から制服のまま医院に入るのかも知れないし、近くのアパートに住む女性職員がベージュの白衣のまま医院に駆け込むのかも知れなかった。
しかもそのような光景は朝だけではなかった。昼間の休憩時間にも近くのコンビニやスーパーに行くベージュの白衣がしばしば見受けられた。それはこの辺ではある意味異様な光景でもあった。

そんなある日、オレは歯の詰め物が取れてしまった。近所の人と顔を合わせるのも何となくバツが悪いが、せっかく近くに出来たのだから行くのも悪くないかと思い、とれた詰め物をティシューに包んで行ってみた。中に入ると予想通り十人近いベージュの白衣の歯科衛生士達が忙しく働いていた。
オレは若い医者にとれた詰め物をきちんと元通り詰め直してもらい、それで治療が完結したと思ったが、歯石がかなり付いているので取った方がいいと言われ、通う事になった。
二週間後に行くとこの前の若い医師が歯石をとった後、歯科衛生士が研磨などをしてくれた。何気にチラッと見ると金髪の歯科衛生士だった。今まであまり歯科とは縁がなかったが、こうして医院に金髪に染めた女性がいるのには違和感を覚えた。だが、彼女は見かけとは違いとても丁寧な仕事ぶりだった。ただ、処置中、何となく彼女の身体が必要以上にオレの肩辺りに触れているような気がして、少し体全体を下へずり下げたが、同じように彼女の重力をしっかり感じるのだった。その時、オレに突然五、六年前の記憶が蘇った。すべり止めと思っていた高校にまさか入学するとは思わなかったあの当時の事が。その高校は男子校で全員丸刈りだった。オレは少し離れた床屋に行き、丸刈りをしてもらった。その時の理容師は若い女性で、申し訳なさそうにおでこからゆっくりとバリカンを入れ始め、数分後にオレの頭はきれいに丸刈りになった。その後、顔ぞりの時、彼女が身体をピタリと合わせてゆっくり剃ってくれた。その時、一瞬身体中に電気が駆け巡るのを感じた。オレはじっと息を止め、彼女の胸のふくらみを全身で感じていた。あれは、これから始まる味気ない高校生活への幽かな餞別なのかと、一人帰る夜道で月を仰ぎながら想ったことを思い出すのだった。
「うがいをして下さい」
という金髪の声で我に返ったオレだったが、もうこの金髪とお別れかと思った時、
 「次回は上の歯の歯石を取ることになります」
と言った。何故かオレはホッとしたような嬉しい気分になった。だが、何人もいる歯科衛生士の中で、またこの金髪が担当してくれるとは限らない事に気付き、浮ついた自分を嗤った。
 
 数日後、カッコつけて吸い始めたセブンスターだったが、今では切れると気持ちが不安定になるのだった。特にこれといってすることが無い日は、日がなタバコの煙を眺めながら過ごしている状態でもあった。そのセブンスターが切れたので、自転車で近くのコンビニに行った。このコンビニには少し奥まったところに喫煙コーナーのようなものがあるのだが、その日店に入る時、その辺りからタバコの臭いがしたので何気にその方を見ると、もうもうとする煙の中にベージュの背中がチラッと見えた。タバコと一緒に昼食用のカップラーメンを買って帰る途中、レジ袋を持った数人のベージュの白衣を追い抜いた。その中に歩きタバコの金髪がいたが、何も言えなかった。
 オンライン授業やズームでのゼミ、それに郵便局での面白みのないアルバイトの日々に慣れっこになってしまったオレにはあの金髪がやたら気になって仕方が無かった。

 当日、前回と同じく若い医師が上の歯の歯石を取ってくれた後、嬉しい事に、金髪がオレのところに来てくれた。患者につく歯科衛生士が決まっているのではなく、この医院では医師につく歯科衛生士が決まっているようだった。
前回と同じく金髪は丁寧に研磨をし処置を施してくれたが、オレには彼女の息遣いを感じる余裕もなかった。処置が終わり、前にかかっているエプロンを外した時、そっと金髪に「あのう~」と言いながら小さな紙切れを金髪の顔を見ないでそっと渡した。まさに古典的なやり方で、そこには「来週の日曜日二時に、駅前の喫茶店「シルエット」で待っています」という文言とオレの携帯と家の電話番号を書いておいた。

その日、オレはシルエットで待った。二時間待った。もうその時刻には、自分のしたことが恥ずかしくてまさに穴があったら入りたい心境だった。また二時間じっと待っているオレを店内の陰から眺めながらあざ笑っている奴がいるんじゃないかとも思った。いずれにしろこの古典的なやり方は見事に失敗した。
だがその日、奇妙な事が家で起こった。夕方から夜にかけて数回無言電話がかかってきたのだ。鳴るとオフクロが受話器を取るのだが、相手はしばらく無言のまま受話器を切るのだった。いつもは強気のオフクロだが「いやだわ」「怖いわ」などと呟きながら、とても気味悪がっていた。
オヤジは鳴るたび
「あのアホ野郎かその親だ」とか
「こんなことしやがって!」
と怖い顔をして吐き捨てるように言った。それを見たオフクロは
 「生徒から?」
と訊くと
 「そうに決まってる」
と言った後
 「今日、学年会で大学への学校推薦者を決めたんだが、多数決で隣のクラスの生徒に決まったんだ。そのことを学校から生徒に連絡したんだが、それに不満な生徒や親が担任のせいだと嫌がらせの無言電話をしてるに決まってる。あの野郎覚えとけ!」
とオヤジは教師とは思えないような言葉を吐いていた。
 だがオレは違った。金髪が「今日、行けなくてごめんね」とか「急に体調が悪くなってどうしても行けなかったの」というお詫びの電話をしたけれど、何て言えばいいのか分からず途中で切ったんだ、と思いながら何度も携帯をチェックするオレだった。それにしてもオフクロが無言電話にあれほど怯えるとは意外だった。
 そう言えば少し気になることがあった。家にいると何度かオフクロから「雨が降りそうだから洗濯物を取り込んで」という電話がかかってきた。取り込むこと自体は苦にならないが、何となくオフクロの下着が派手になって来ているような気がするのだった。歳をとればとるほど服装は派手で良いと言う人もいるが、何となく気になっていた。
 その数日後、小さい頃からよく声を掛けてくれる隣の良子おばさんが、少し声を潜めて
 「あのさ、和君、お母さん大丈夫?」
とオレの目をしっかり見ながら言った。
 「えっ、大丈夫って普通ですけど、何か?」
 「和君だから言うけどさ、おばさん、この間モールのスーパーに行ったらレジで大声張り上げているお年寄りがいたの。レジの人に何か激しく文句を言ってるんだけど、そのレジの人が和君のお母さんだったの。店長らしき人がすぐに来てそのお年寄りを外に追い出したので大した事にはならなかったけど、そのお年寄りの怒りが半端じゃなかったのでおばさん心配になってね」
 「あ、そんなことあったんですか?」
 「お母さん、言ってなかったの?あら、おばさん変なことを言ったみたいね」
と言って彼女はそそくさと家に入って行った。<家の中での意思疎通がなってるのか、そのことを聞きたかったのか?>と思った。気持ちのいい話ではなかったが、胸にしまっておくのもしんどくて、オフクロにさりげなく言った。するとオフクロは
 「あのおばさん、和ちゃんにそんなこと言ったの?あらいやだ~、あの人オーバーなのよね。レジにいるとあんなのしょっちゅうよ。「早くしろ!」「ぐずぐずしてるんじゃねーよ」なんてね。言われてなんぼのレジ係だからママは気にしてないから大丈夫」
と言って笑った。ただ、オレは「隣の良子おばさんが」と言ったとたん、オフクロの目に険が走ったのを見逃さなかった。日頃からお隣とは仲良くしているオフクロだが、それなりに警戒しているのが分かった。
 その数日後、郵便受けから夕刊を取り出す時、小さなメモ用紙が入っていた。それには下手な字で「店長には気をつけて下さい」とあった。
 その時、何故かオフクロの下着が派手になってきたことを思い出した。それに先日、隣のおばさんが「すぐに店長が来てその年寄りを外に追い出した」などと言ってたことも思い出し、このメモをオフクロに見せていいものかオレなりに迷ったが、オフクロには言わない事にした。

 日曜の代休でアルバイトが無くたまたま家にいた日の事だった。日当たりの悪い古い家なので洗濯物は南側の庭に干しているのだが、家の中のペット犬が突然激しく吠え出したので外を見ると、洗濯物が不自然に揺れていた。何かあると感じたオレはとっさに外を見ると、老人が干してある洗濯物のクリップを外そうとしているのだった。オフクロの下着だった。初めて目にするこのような光景にオレは自分の目を疑った。だが、その老人はオレの気配を感じたのか、すばやくその場を離れ走り去った。オレは追いかけ老人を羽交い絞めにして
 「何してたんだ!」
と問い詰めると
 「これを郵便受けに入れようとしていただけだ」
と言って手に持っていた小さな紙切れを見せた。以前、見たようなものだった。老人は続けて
「その時、あれが目に入ったのでつい欲しくなったが何も取ってない!」
と悪びれる様子もなく老人は言った。
 「いくら電話しても出ないんでメモを入れておくつもりだったんだ」
 「誰に電話をしたというのだ?」
 「お前のかかあだよ」
 「前にもお前はメモを入れたな」
 「そうだ、オレも以前シルバー人材でお前のかかあと同じフロアで働いていたんだが、いきなりあの店長にクビにされた。その店長がお前のかかあに手を出そうとしてるので、あの酷い店長に近づかないように言いたかったんだ」
「レジでオフクロを怒鳴りつけたというのはお前だな」
「オレの言う事を聞こうとしないお前のかかあを見てるとムカついたんだ」
「それだけか?そんな筈ないだろう」
「お前のかかあは男好きするいい女だ。オレもそのおこぼれにあずかろうと思たんだよ!」
「いい歳した爺さんが何言ってるんだ。あの無言電話もお前か?」
 「無言電話?何だそれ?」
 「オレは職員名簿にあったお前のかかあの携帯に電話してるんだが、着信拒否してるんだよ」
 「当り前だ」
と言いながら八十を過ぎてるようなこの老人の欲望にオレは驚いた。だが、よろよろとして走り去る老人の後ろ姿を目で追いながら、あの無言電話はどうもこの老人ではなさそうな気がした。
 ただこの状況はオフクロに正直に話すしかないと思い、オヤジが帰ってくる前にその日あったことをオフクロに淡々と話した。オフクロは静かに聞いており、特に口を挟むことや否定することもなかった。ただ
 「そういった事を隣りの良子さんは見てた?」
と一言言っただけだった。
 「多分見てなかったと思うけど」
とオレは言ったがオフクロは何も返事しなかった。

 郵便局ではオレのようなアルバイトは、就業時間が終わった時に職員から確認の押印をしてもらわねばならなかった。オレはこれが一番苦手だった。と言うのもオレは職員に嫌われているのか、印をもらう時間になると殆どの職員はどこかへ消えてしまうのだった。そして広い建物の中で、やっと職員を見つけて用紙を出して押印してもらうように頼んでも、全く無視して自分の仕事をし続ける職員もおれば、背を向けて離れて行く職員もいるのだった。勤務時間は早朝六時から午後四時までなのだが、勤務用紙に押印してもらうのに三十分かかることもあった。
 その日も押印してくれる職員を探して局内をうろうろしている時だった。オレの携帯が鳴ったが、それよりもバイトが終われば一刻も早くここから出たかったので、携帯に出るのはその後だった。
 ようやく心優しい職員がいてくれ押印してもらい局を出た時、また携帯が鳴った。
「この前はごめんね。待った?」
とその声は殆ど忘れていた金髪だった。なんて返事をすればいいか迷っていると
 「ストーカーなのよ。あの日、アパートの二階の部屋から見てたんだけど、アパート前の電柱に隠れて私を見張ってたのよ。それで出れなかったの」
と切羽詰まった声で言うのだった。
 「あ、そう。別にいいんだ」
と言いながらあのような古典的な事をしたバツの悪さが蘇り、言葉を探していると
 「相談に乗ってもらえないかな?」
と金髪は意外な事を言った。
 「何の?」
 「いろいろ」
 「じゃ、また来週の日曜、同じ時間に同じ場所にいるよ」
と言ったものの何となく気が重かった。

 当日、約束通り金髪は来た。モカを二つウエイトレスが置いて行くと、金髪は
 「ストーカーの事なんだけど、私ね、寝坊することが多く、アパートから白衣のまま歩いて医院に行く事が普通になっちゃってね。そしたら朝、私が出かける前、駅へ行く途中かどうか知らないけど、その男、自転車でこのアパートの周りをうろうろしていつも私を見て手を振ってから行くの。気味が悪くてね」
と言った後、
「私、どうしたらいいと思う?」
と言った。初めて向かい合ってコーヒーを飲むオレにとっては重すぎる話だった。こう見えても今までケンカでは負けたことがないオレだが、責任ある返答なんて出来っこなかった。金髪もそのことは理解してくれているようだった。言い淀んでいるオレの気持ちを察知したのか、金髪はいろんな話をして、オレが大学生でアルバイト生活をしていることを知ると
 「良かったら私のアパートから一度見る?」
と言われオレは急にいろんな考えが頭を駆け巡ったが、金髪はオレの返事も待たず
 「タクを使えばここからだと十分程だし」
と言って、足早に喫茶店を出ると駅前に停まってあるタクシーに乗り込んだ。運賃はオレが払ったが、金髪は何も言わなかった。
 金髪に連れられて二階の彼女の部屋に入った。この様子を近所の住民に見られていたら、近所中の格好の噂話になるのだが、オレはそこまで頭が回らなかった。
 部屋に入り二人きりになると金髪は
 「見て。仕事中、座ることはめったにないので足がこんなに剝れてるの」
と言ってスカートを少し上にあげ、オレに足を見せた。剥れてるかどうかオレには分からなかったが、こんな時、映画やテレビドラマでは金髪を押し倒しキスをして金髪の豊満な胸をまさぐり手をスカートに、などと思うもののオレにはそんな勇気がなかった。今何かしないとオレはアカンタレと思われるのは分かっていたが、何も出来なかった。そんなオレの意気地の無さを見透かしたのか、金髪はくるっと背を向け窓の方へ行き
「日頃からここから見て変な人には用心してたんだけどね。それにね、この部屋の外側には、外に繋がる非常用梯子が固定されててね、下着、あの、洗濯物が動いてることもあるの」
と言った後、奇妙な沈黙があった。その時、オレに背を向け無防備に立ったままの金髪を後ろからハグする時間はたっぷりあったが、不器用で青臭いオレは「失敗」に終わって赤恥をかくのが怖くなり、何も言わず逃げるようにアパートを出た。
 帰宅しドアを閉めようと振り返った時、隣の良子おばさんが同時にドアを閉めるのをオレは見逃さなかった。
靴を脱ぎながら<あの時の無言電話は隣の良子おばさんなのか?>と一瞬頭を過った。その時、ピンポーンと鳴ったので出ると、さっきチラッと見えた隣の良子おばさんが立っていた。
 「おせっかいと思ったんだけどね」
と言った後、確認するように
 「ご両親はいるかい?」
と訊いた。まだ帰っていない事を伝えると、少しホッとしたように表情で
 「和君だから言うけどね、近所中でお母さん、言われてるわよ」
 「何て?」
 「スーパーで人気者だって」
 「う~ん?」
 「要するに、最近近所でよく見かける金髪の歯科の女の子のように噂になってるって事よ。お母さんに言ってやった方がいいと思うよ」
 「そんな事、誰が言ってるの?」
 「あのスーパーで働いてるのは和君のお母さんだけじゃないんだよ。それ以上は私の口からは言えないけどね」
と言って帰って行った。だが、近所の金髪のようにスーパーで噂になってるなんて、オレに言える筈もなかった。<あのおばさん、オレが金髪とそれなりに付き合ってるって知って言ったんだろうか?>
 
 結局はアカンタレだったあの日以降、オレはどことなく性格が暗くなったように思う事がある。それが当たってるかどうかは分からないが、オヤジとオフクロの二人を観察するようになった。
 オヤジは相変わらず寡黙だが、特に朝は無口で、テレビニュースにもあまり反応しなくなった。ただ「今日もアホどものおもりに行くか」という言葉だけは相変わらず呟きながら家を出る。
 オフクロは少し変化があるように思う。今までのように「洗濯物を取り込んで」とは言わなくなった。オレはその理由を知っている。さらに下着が高級なものになっているからだ。今までオレに<一人でいる時、家でオレは何をしてるんだろう?>という目でオレを見ていたが、今では<スーパーにいる時、何をしてるんだろう?>とオレから問われている気がするのか、オレの目を見る事は殆ど無くなった。
 反面、オヤジと違って、仕事に出る時、どことなく気持ちが弾んでいるように感じるのだ。あの老人は「店長がオフクロに手を出そうとしているので店長に近付かないように言ってるんだ」などと言っていたが、オフクロの方が積極的に言い寄っているのではないだろうか?
 
 単調な日々は続くが、オレは卒業後の事を真剣に考え行動する時期になっていた。そしてオレも夕食が済むとオヤジのように部屋に籠り情報収集や公務員や民間等の就職試験対策等もやっていた。そしてオレは、ベッドに入ると時々自分の携帯を非通知設定にして、夜中、家の電話を鳴らす事を覚えた。
 生徒に対して愛情のひとかけらも持つこともなくグースカ眠るオヤジへの安眠妨害として。そして、いい歳してちやほやされる楽しさを覚え浮かれているオフクロに早く目を覚ますように、無言電話をかけている。
 そのきっかけはあの日の無言電話だ。オヤジはオフクロの異変を察知してたのだ。とうに寝室は別にしていて他人のような二人だがやはり夫婦だ。オヤジはオフクロに警告のシグナルとして、手元の携帯から自分の家に無言電話をかけていたんだ。
 
 「あらいやだ、うちの近所じゃない?」
と朝食時、オフクロは素っ頓狂な声を出した。流石のオヤジも箸を止めてオフクロを見た。
 「昨晩、アパートに忍び込み下着を取ろうとしているところを通行人が見つけ警察に通報し逮捕した。犯人は被害者の同僚の歯科医師で、窃盗は認めているがストーカー行為は否定しているとあるわ。ホントビックリね」
と朝刊の地域版を読みながらオフクロは言った。
 オヤジはそれについては何も言わず、「今日もアホどものおもりに行ってくるか」といつものように聞くに堪えない言葉を吐いて出て行った。
 オレはマーマレードが付いたパンを齧りながら、オフクロが新聞を手放すのを待っていた。
 
 ある日、オレに小荷物が届いていた。ひょっとして金髪から何かプレゼントでも届いたのかと開けて見ると、医療用の白衣だった。意味が分からず差出人を見るとネット経由の業者からだった。まだ意味が分からず、宛名をよく見ると池野木和夫とあった。オヤジ宛で、オレ池野木和矢宛ではなかった。
 

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