0%の未来【第三話】プロバビリティの青空
第三話
「ペルセウス座流星群の観測会をしましょう。毎年8月に現れます。流星は多く、明るい流星もたくさんあります。初心者が観測するにはピッタリの流星だと思います」
放課後の天文台。夏目はホワイトボードをバックに意気揚々と説明をしてくれる。俺と千草は三角座りして聞いている。
「では、試しに今、天体望遠鏡を動かしてみましょう。太陽で予行練習をします」
ドームを開ける。青空が目の前に飛び込んでくる。夏目は天体望遠鏡の横に立つ。左手は動かない。
「太陽を見るにあたり、太陽観察用減光フィルターを使います。危険なのでファインダーは外しません。ではっ」
「ちょっと待って!」
千草が立ち上がって制止する。当然だ。
「何ですか?」
「何ですかじゃないよ。危ないよ」
「危なくないですよ」
「手、骨折してんじゃん。俺がやるよ」
夏目の左手は三角巾で固定されている。
☆☆☆
「天文台の部屋の扉を開けたら、ダンボールが崩れてきたんです」
今日の朝、化学準備室に現れた夏目は、テヘヘと右手で頭を撫でた。俺が出張中のときに限って、なんてこった。
夏目の人間ドックの結果は全て問題なし。夏目の死の原因は病気ではないのか。そう思った矢先の骨折。こういう突発的な事故が死に繋がるならば、どうやって防げばよいのだろう。俺は頭を抱える。
☆☆☆
「望遠鏡を上下左右に少しずつずらしながら、太陽が見えるように調整してください。はい、オッケーです。ダイアルを左に回してください。もう少し」
千草は覚束ない手つきで夏目のレクチャーを受ける。
「回しきったら今度は右に回してください。あっ、行き過ぎてボヤけています。あっ、今度は戻し過ぎ」
ふたりは望遠鏡の前で揉み合う。と、夏目がバランスを崩して、ぐらりと傾く。
「危ないっ!」
千草が夏目の肩を掴む。
「セーフです」
夏目は片足でかろうじて立っている。と、もう片足を地面に付けて、両足立ち。千草はほっとため息をつく。
「ごめん、俺が手こずったから」
「何のこれしき、続けましょう」
俺は立ち上がる。
「いや、一旦中断しよう。実験は安全第一」
「えっ……」
「そうだよ。夏目ちゃんの腕が良くなってから、練習しよう。8月までまだ時間あるし」
「わかりました。ご迷惑をかけてすみません」
夏目はペコリと頭を下げた。
☆☆☆
千草とふたりで天文台から出る。階段を降りると、千草が立ち止まってこちらを見る。
「俺考えてたんだけど、先生の見えてる確率と将棋のAI確率は、似ているようで違うと思うんだ」
「具体的には?」
「先生の確率は10%刻み。将棋は1%刻み」
「そういえば、そうだな」
「将棋の確率は相手がミスしたときに上がる」
「確かに」
「確率が低いところから勝利するためには、相手のミス待ちなんだ。でも、先生のはアクションを起こした方が確率が上がった」
アクションというかタックルだったが。
「手順を探らないと最善の答えが出ないっていうのは共通してるけど、数字の考え方が違うと思う」
「数字の考え方か……」
確かに。数字の考え方を知ることは、確率が含む情報を引き出す一助になるかもしれない。
3階の廊下に出る。放課後とはいえ、まだたくさんの生徒が残っている。天文台が静かだったせいか、生徒たちの話し声がやけに大きく聞こえる。
「先生、夏目ちゃんの腕を折った奴って、この中にいねえの?」
千草が思い出したかのように言う。
「夏目の骨折は事故だろう」
「試しに見てみてよ。ねっ」
千草が手を合わせて拝む。仕方ない。
「そんなん、いる訳が……」
俺は目を細める。【0%】の嵐。しかし、ひとりだけ【10%】? 【10%】が見える。犯人の確率が10%ってどういうことだ?
考える前に歩き出す。
窓にもたれ掛かって、スマホをいじる男子生徒の腕を掴む。
「ちょっと来てくれないか。気象部に言いたいことがあるだろう?」
☆☆☆
「新歓祭のときに夏目さん、うちの部に注意しただろ?」
男子生徒を天文台に連れて行って、皆で取り囲む。男子生徒は斜め下を向いて、悪態をつくように話し出す。
「えっ? 何のことですか?」
「『ここは軽音部のテーブルではないですよ』って。確かに場所は違っていたけれど、そのテーブルは空いてたんだよ」
新歓祭。俺達がグラウンドの隅っこに追いやられたアレか。確か、公平にくじ引きで場所が決まったはずだ。
「確かにそう言いました。事実です」
「あんたが言わなきゃバレなかったのに。あの後で生徒会が来て、出店中止になったんだ。おかげで新入社員ゼロ。こんな気象部と違って、活気ある部だったのに」
千草の瞼がピキピキと震えた。
「思い出した。場所が違うと警告したのに、移動しなかった団体がいたね。あれ、君たちだったのか」
「ん? よく見りゃ、副会長じゃん。こんなところで何やってんだ?」
「俺も気象部だ。ダンボールに細工をしたのは君か?」
男子生徒の顔色が変わる。
「細工って大げさな! ちょっとズラしただけだぜ」
不意をつかれたせいか、男子生徒は慌てた様子で悪事を白状した。やはり何かしていたのか。
「そんな確率の低い犯行計画、よく実行したね」
千草が珍しく冷たい口調で言い放つ。
「……カマかけやがって……犯行計画だなんて人聞き悪すぎ。ダンボールを少しズラしただけで、人を狙うなんて無理だろ。怪我させるようなことはしてない!」
「でも達成された」
「だから、ドアが思い切り当たったから崩れただけじゃねえのか! 俺のせいだって証拠はないだろ!」
「確かに証拠はないね。自分は犯人じゃないって言いたいの?」
「証拠はないし、証明もできない! 俺は犯人じゃないだろ!」
俺は目を見開く。確かにこれは有罪にはならない。これは。
「プロバビリティの犯罪じゃないか……」
言葉が口をついて出てしまった。
迂闊だ。手で口を覆う。が、千草が眉をひそめる。気づかれた。
「先生、何それ?」
ああ、ここで答えたら、きっと男子生徒は自白しない。
「何でもない」
「何か言ったじゃん」
「……確実性のない手段で、実行は偶然に期待する……」
「先生、言葉が難しい」
千草が苛立っているのがわかる。
「……要は、成功する可能性は低いが、犯行が誰にもバレることはない。完全犯罪となるトリックのことだ」
俺はチラリと男子生徒を見る。男子生徒は落ち着きを取り戻したように、涼しい顔をしている。ああ、やっぱり言うんじゃなかった。
「なあ、せめて夏目に謝ってくれないか?」
俺は姿勢を正して男子生徒を見つめる。
「俺は怪我の原因じゃないだろ」
男子生徒はそう言って、夏目を見下ろす。何とか説得しなければ。
「ダンボールをズラしたのは事実だろう。達成率は低くても、偶然の要素が大きくても、悪いと思わないか? 夏目に謝ってくれ」
せっかく千草が問い詰めてくれたのに。せめて、一部だけでも罪を認めてもらいたい。
「ほんの少しズラしただけだ。それがダンボールが倒れる原因になる訳がないだろう……あ、そもそもズラしたっけなあ?」
しらばっくれるのか。男子生徒の片方の口角だけが上がる。
「だから、俺に罪はない」
☆☆☆
「誰に何で恨まれるか、わかったものではないですね」
夏目は自嘲気味に呟いた。俺と千草はかける言葉を失い、沈黙が訪れる。何だか息苦しい。
「なあ、ドームを開けて空気を入れ替えないか?」
「……そうですね」
「そうだよ。気分も入れ換えよう」
千草が努めて明るく振る舞う。
再び天文台のドームを開ける。降水確率【10%】。今日も青空。
「あっ、まずい。やっぱり閉めましょう」
「えっ?」
……と、雨が頬に当たる。狐の嫁入りか。
「顕微鏡が壊れちゃいます」
「それはまずいな」
壁のスイッチのところまで駆け寄って、慌てて閉める。
「早く早く。すみません、先生」
スリットから太陽は姿を消す。雨が強くなったのか、ザーという雨音が天文台に響く。
「降水確率10%だったのに」
俺は汗を拭いながら呟く。閉め切られた狭い天文台の中は、蒸して暑い。
糸川:「あっちいな。小さいクーラーでも置かないといけないな。ああ、何で降るんだ」
夏目:「降水確率10%って、数字より意外と雨が降るんです」
千草:「そうなんだ。夏目ちゃん、詳しそうだね」
夏目:「ふふふ。そもそも降水確率とは『ある決まった時間帯に1ミリ以上の雨や雪が降る可能性』です。1ミリ未満の降水は加味されません」
天気の話をする夏目は楽しそうだ。良かった。表情が明るい。
千草:「じゃあ、雨が降る可能性は10%以上あるかもしれないんだね?」
夏目:「はい。あと、降水確率は10%刻みなので、四捨五入なんですよね。見えないけど、10%は14%かもしれないです」
糸川:「まあ、そうだよな」
実は有効数字1桁ってことか。降水確率って、結構アバウトなもんだな。
千草:「でも、1割しか雨が降る可能性はないってことじゃん。今、結構土砂降りなんだけど」
夏目:「降水確率は、土砂降りか、にわか雨かの区別はしていません」
俺はハッとする。
土砂降りとにわか雨。骨折とかすり傷。
「なあ、さっきの奴がダンボールをずらした話に似てないか?」
千草と夏目の顔に?マークが付いている。
「ダンボールをずらしても怪我する確率は低い。ダンボールが当たったら、骨折するかもしれないし、かすり傷かもしれない」
だから【10%】だったのか。
「怪我する確率と、怪我の大小は関係ない。アイツは低い確率の仕掛けで、たまたま大怪我をさせた。ああ、降水確率に似てるな」
降水確率は10%刻み。俺の確率の刻み方は、降水確率にそっくりだ。
「……って不謹慎か、すまん」
「いえ。ふふふ。本当ですね。確かにそういう見方もあるかもです」
夏目はふむふむと考えこむ。不謹慎に好奇心が勝ったようだ。
「夏目、降水確率の考え方を、詳しく俺に教えてくれないか」
夏目は顔を上げて笑う。
「いいですよ」
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