高梨くんのお喋りな罪【第一話】彼女の知らない罪
あらすじ
キャラクター
第一話
「アイスキャンディー食べたいよ。ひぃー、苦行だ」
太陽が容赦なく照りつける7月下旬。高梨くんは大量の紙袋を抱えて、息も絶え絶えに登校した。
が、体力の限界を超えてクーラーの前で立ち止まる。汗を拭いながら制服をパタパタさせて、クーラーの風を体に浴びせる。
ピーピーピーピーピーピー……
蝉の大合唱の隙間から電子音が聞こえる。(どこからも火の気はない)
「今の音は……」
高梨くんは目を閉じて耳をすませる。電子音が鳴り止むと、顎に手を当てて呟く。
「こりゃ、厄介なことになってるね」
☆☆☆
夏休みを迎えたというのに学校は賑やかだ。グラウンドでは野球部のノックの音が聞こえる。水泳部の声がプールの匂いに混じっている。夏期講習の休み時間に教室で喋っている生徒もいる。私、石川希は秋に行われる文化祭準備のために登校した。
「のんちゃんおはよう」
バドミントンのロゴが入ったジャージ姿の女子がしゃがみ込んで、ひらひらと手をふっている。トンカチで何やら人形劇の土台のようなものを作っている。
「おはよー。部活はどうしたの?」
「休憩時間にクラスの手伝いに来たんだ」
「おつかれだね」
「のんちゃんもね。クラスの準備?」
「ううん、図書委員会」
廊下を歩いていると、同じく準備のために来ている生徒がたくさんいるのがわかる。看板や大道具が廊下まで迫り出してきて、クーラーの風がペンキの匂いを運んでくる。
図書室横の掲示板には文化祭のポスターが日に日に増えている。掲示板一面に紙が貼られていて、一学期の案内はポスターの裏に隠れてしまっている。ポスターは目立たなければならない。うちの高校は文化祭に熱心。
巨大迷路“グラウンドにダンジョンが出現!”
ビデオ映画“カジノ王”
流しそうめん“君は激流の素麺をすくえるか?”
女装コンテスト“美女だらけ”
個性的な企画が多いのが、うちの高校の特徴だ。
「石川さんおはよう。ビラすげぇな」
立ったままコンビニの冷麺を食べている男子から声をかけられる。まだ朝の9時半だというのに、夏休みは自由だ。
「凄いよね……って、もうご飯食べてるの? 早くない?」
「俺7時から朝練して空腹やべぇ」
「まじで。大変だ。おつかれだね」
「まあね。石川さんはどしたの?」
「図書委員の準備だよ。古本市やるの」
「へー、古本集まってんの?」
「これから。高梨くんがたくさん本を持って来るって言うから、待ち合わせしてるの」
「高梨? 本なんか読んでたっけ? バレーボール部の奴だよな」
「うーん、漫画かなあ。何だろうね」
待ち合わせ場所である図書室に着く。ドアを開けようとすると、どこかで火災報知器が鳴っているのに気付く。結構大きい音だ。
……と、すぐに止まった。
文化祭の準備でテンションが上がった生徒が押したのだろうか。誤報で良かった。今度こそドアを開けようとする。しかし、
「違法よ! 法律違反、わかってる?」
次は司書の山田先生の怒鳴り声だ。図書室の中から聞こえる。高い声で耳がキンキンする。
「こんなものコピーしちゃ駄目よ! 二度としないで」
「すみません……」
激しく怒られているので、思わず図書室のドアにかけた手を引っ込めた。途端に。
バタン
ドアが開き、俯いた女子が飛び出してきた。重そうなカバンを肩にかけ、ボブの髪を振り乱しながら、廊下をかけて行く。その後を山田先生が「全くもう」と言いながらツカツカと歩いて出ていく。
何だったんだろう。
☆☆☆
これはノート?
図書室に人は誰もいなかった。ピンク色のノートが落ちているのが、すぐに目についた。表紙には◯で囲まれた『案』という字が大きく書かれている。コピー機の横。さっき山田先生がコピーがどうたらと怒っていたので、飛び出していった女子の所有物だろう。
ノートを拾い上げて中身を見ると少女漫画だった。といってもラフな下書き。ネームというものだろうか。頁をペラペラとめくると、見開き2ページで男女が向き合い、女の子が好き……と言って告白してキスしている。私は慌ててノートを閉じる。
「石川さん」
急に横から声をかけられてビクッとする。見ると長身の紳士が立っていた。
「澤田先生!」
王子様の突然の登場に驚いて、大きな声を出してしまう。ふんわりセットされたセンター分けの髪は格好いい。切れ長の瞳は今日も凛々しい。
「びっくりさせてすみません。石川さん図書委員ですよね?」
「はいっ」
「実験の安全手順みたいな本はありませんか?」
「えっと、ちょっと待ってください」
慌てて立ち上がってパソコンの席に行く。『実験 安全』と打ち込むが、検索結果は……なし。
「すみません。実験と安全で検索したんですが、それらしい本はないですね」
「そうですか。ガラス器具で検索をお願いしてもいいですか?」
「うーん、やっぱりないです。検索方法が悪いのかな? あっ、地域の図書館に問い合わせましょうか?」
先生の役に立てず悔しい。他の方法はないのかしら? 何としても見つけたい。最後に勝つのは執念だから!
「いや、いいんです。ありがとう。こっちでも少し調べて購入も検討します。時間を取らせて申し訳なかったね」
あっさり断念されて心がしぼむ。所作なくなって、手元にあったピンク色のノートをきゅっと掴む。
「……とんでもないです……」
澤田先生は私の手の中にあるノートに目を向ける。
「『案』? 図書委員会の文化祭の企画ですか?」
「あっ……はい、そうです。古本市をしようと思って人と待ち合わせをしています。」
「古本市とは学術的で素晴らしいですね。きっと石川さんの将来の糧になるよ」
「ありがとうございます……」
ああっ、先生の顔の周りがキラキラ光っている。眩しいっ。
「頑張る姿と気遣いは周りを幸せにします。今日は僕を幸せにしてくれてありがとう」
白い歯がキラリと光る。眼・福。
「石川さんがいつも頑張っているのを知っています。無理はしないようにね。じゃあ」
「はいっ。また、授業で!」
澤田先生は爽やかに去っていった。後ろ姿を目に焼き付ける。イケメンの先生との恋なんて現実には起こり得ないんだから、夢見てもいいじゃない。
ピンク色のノートを握りしめる。あなたのおかげで澤田先生の笑顔が見られたよ。ありがとう。持ち主をきっと探すからね。私はノートを見つめて決意した。
冷静になろう。落とし物BOXに入れて良いものではない。ここに放置しておく訳にもいかない。コピー機横で待っていて、探しに来た人に渡せば良い。よし。
私はコピー機横の机にカバンを置いて陣取る。そして、椅子に腰かけて頬杖をつく。そろそろ古本市のポスターを書かなければ。キャッチコピーは何にしよう。外の掲示板には目を引くキャッチコピーがたくさんあった。古本市、古本、本、漫画……少女漫画。うむ、彼女のことが頭から離れない。
ガチャ
ドアが開く。クラスメイトの高梨くんが紙袋いっぱいの本を持って現れた。
「石川さん、お待たせ」
待ち人来ず。いや、本来は高梨くんと待ち合わせをしていたんだけど。
「暑いね、こんな日はアイスキャンディーでも食べたいね」
高梨くんは高校生らしからぬ中年太りの腹をさすっている。カバンからはお徳用ポテトチップスの袋がはみ出している。バレーボール部の万年補欠と聞いたことがあるが、なるほど確かに引き締まっていない。アタックとか飛べるのだろうか。
「石川さん、だいたい出したけど、引き取ってもらえる?」
「あっ、はい」
考えを巡らせている場合ではない。仕事、仕事。受領確認をしなくては。
「ん?」
しかし、紙袋から出されたのは意外な内容だった。
哲学書、化学書、宇宙学書、法学書……難しそうな本ばかりだ。英語で書かれた化学雑誌まである。
「高梨くん、こんな難しい本を読んでいるの?」
「うーん、僕は一度読んだ本は大体覚えちゃうから……そんな難しいかな?」
高梨くんはタオルで汗を拭いながら、あははと笑う。その姿はまるで営業中のサラリーマン。なのに、まさかの天才か。
「高梨くんは確かに成績いいけど、学年トップとかではないよね? ……あっ、ごめん」
眼の前の本に驚きすぎて失礼なことを言ってしまう。でも、高梨くんは意に介さないようだ。
「全然いいよ。実際テスト勉強は特にしないし、授業もそんなに聞いてないし」
「それで良い成績を取れるの? 私なんて必死に勉強しても無理だよ」
私は宙を仰いだ。高梨くんはポリポリと頭を掻く。
「教科書はだいたい全部覚えてるんだよね。ケアレスミスしちゃうから、テストで満点は取れないけれど」
宇宙人と会話している気がしてきた。クラクラする。クーラーが効いていて暑くもないのに。本題に戻ろう。古本の話に。
「あ、本ありがとう。図書委員会にご協力いただいて感謝します。えっと、受領確認をさせてもらえるかな?」
「うん、わかった」
本を出してタイトルを紙に書き出していく。まずは“刑事訴訟法”。法律書、法律、違法、法律違反……。
「ねえ」
怒られた彼女は戻ってこない。もう小一時間が経とうとしている。私は高梨くんに事の顛末を話す。
☆☆☆
高梨くんは腕を組んで私の話を聞いていた。話が終わると、頷いてからケロッとした顔ですぐ答えを出した。
「小道具を作っていたんだと思うよ。それっぽい企画もあるし」
高梨くんに促されて図書室横の掲示板のところに行く。みっちりと貼られたポスターの中で、高梨くんが指さしたのは2年C組のビデオ映画“カジノ王”。王冠を被った人物の周りに金貨と札束が舞っている。
「札束の小道具を使いそうなのは、この企画くらいかな」
札束と図書室とコピー機に何の因果関係があるのだろうか。私が顔に?マークを貼り付けていると、高梨くんは話を続ける。
「僕はここに来るときにコピー機の警報が鳴っているのを微かに聞いた」
警報? そんなの鳴ってたっけ? あっ。
「私、火災報知器の誤作動だと思ってたけど、あれはコピー機だったの? でも何でコピー機から警報なんて鳴るの?」
「お札をコピーしようとしたからでしょ。コピー機からの警報ってそれしかない。『通貨及証券模造取締法違反』。文化祭の小道具にしたかったんじゃないかな」
高梨くんはスラスラと法律名を答えた。本当に本の内容を覚えてるんだ。
「『紙幣や貨幣において紛らわしい外観を有するものを製造または販売すると処罰される』んだ。お札をカラーコピーしても駄目なんだよ」
知らなかった。そして、おそらく彼女も知らなかったんだ。
「そんな法律があるなんて知らなかったよ。知らなくても罪になっちゃうの?」
「まあね。ソクラテスも言ってるよね。紀元前から」
高梨くんはどうも話を端折る癖があるようだ。ソクラテスが何だって?
「高梨くん……わかりやすく教えてくれるかな」
高梨くんはあっという顔をする。他のところでも、この端折り癖が出ているようだ。頭の回転が速すぎて、アウトプットが追いついていないのかもしれない。話があちこちに飛ぶ。
「ソクラテスの言葉といわれている『無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり』。無知は罪、知らないだけで罪なんだよ」
なるほど。知らないのは罪で、知ってるだけでは意味がなくて、知識があって行動できる人は英雄っていうことか。
「ソクラテスは厳しいな。そんなの、高梨くんみたいに法律に詳しい人じゃないと無理だよ」
「えー。知らなくても1万円札をコピー機に並べたら、ちょっとドキドキしない?」
まあ確かに普段やらないし、万札をそんなふうに扱うのは違和感があるかも。高梨くんは掲示板の紙をペラペラめくっている。そして1枚の紙を私に見せる。
「これだってスレスレだよ」
文化祭のポスターに隠れた7月の生徒会の企画。“今年の甲子園優勝校を当てて、食堂の金券をゲットしよう!”と書かれている。
これはまさか……
「高校野球賭博?」
「うん。『刑法第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する』だよ」
この学校は違法トラップだらけか。いや、社会も違法トラップだらけ。知らないうちに罪を犯しているのかもしれない。私は背筋が寒くなる。
「『ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない』って刑法が言ってるから、微妙なんだけどね」
微妙か……はっきり違法でなくて良かった。微妙といえば山田先生の怒り方も微妙だった。かなりヒステリックに聞こえた。あの剣幕だと彼女にちゃんと説明したのか怪しい。
彼女は何が罪なのかわかっているのだろうか。知らないことも罪だとわかっているのだろうか。彼女は知らないまま俯いているだけで良いのだろうか。
彼女に伝えたい。ただ、ハッキリ言うと彼女が気分を害さないか心配……。
高梨くんの顔を見る。淡々としてるよな。あのときもハッキリとした感じだったなと思い出す。
☆☆☆
放課後に体育館横を通りかかったときに、バレーボール部が練習していた。
「ナイスサーブ!」
ジャンプサーブがリベロの腕を吹っ飛ばして、ボールは大きな弧を描いた。コートの外に飛び出したボールを追いかける一人の男子。追いつきそうにないのに。男子はボールしか見ていない。
「あっ!」
男子は壁に激突した。ボールは無情にも床に落ちた。男子はぺたんと座り込んで、イテテと呟いている。あんな勢いでぶつかって大丈夫なんだろうか。
「先輩! 大丈夫ですか!?」
ベンチから真っ先に駆け寄ってきたのは、高梨くんだった。
「物が二重に見えたり、気持ち悪いとかないですか?」
「大丈夫だよ。何ともないって」
高梨くんは“先輩”の体を支えながら様子を観察していた。異常がないかチェックしているようだった。
後から他の部員たちもゾロゾロと集まってきた。“先輩”は高梨くんに「もういいぜ」と言って顔も見ずに立ち上がった。
部員A「すげぇ音だったから心配したぜ。ま、大丈夫だなッ」
部員B「ナイスファイトじゃん!」
部員C「後輩も見習ってこれくらいボールを追いかけようぜ!」
部員D「ナイスガッツ!」
皆が輪になってナイスガッツの“先輩”を讃えた。“先輩”は照れ笑いを浮かべていた。
「気持ちが大切だからな! ギリギリまで追いかけねえと。お前らも俺を見習えよ。俺が1年のときはもっとボールに突っ込んでたぜ! って先輩ヅラすぎるか、へへっ」
精神論とパフォーマンス。これが青春なんだろうか。何だかモヤモヤするけれど……。
「思い出話と先輩ヅラは帰りの更衣室でやってください。今は振り返って反省すべきことがあります」
体育館に響くような澄んだ声で話し出したのは高梨くんだった。
「完全に取れないボールを追いかけるのが、良いことだとは思いません」
“先輩”の顔が引きつった。「俺ダセェじゃん」と、ぼそっと呟いた。さっきまでの賑やかな雰囲気が一変、周りの空気が冷えた。
「ましてや、ただの練習。怪我のリスクが高い上にリターンがないです」
“先輩”は高梨くんを睨みつけた。
「うるっせえな」
部員たちは目のやり場に困った様子で沈黙。場は完全に白けていた。同級生が“先輩”の顔色をうかがって、高梨くんの口を止めようとした。
「高梨、もういいんじゃないか」
しかし、高梨くんはスーンとした顔つきで話を続けた。
「怪我したら台無しです。爪痕を残そうとして余計なことをしないでください」
空気にピシッと亀裂が入った気がした。“先輩”の顔は紅潮して目がカッと見開いた。
「高梨! コノヤロー! 余計なこと言ってんのはお前だろォォ! 舐めてんのかー!」
「落ち着いてください。さっき頭を打っていたので騒ぐと良くないです。おとなしく休憩しましょう」
高梨くんは淡々と“先輩”をなだめようとした。でも、怒っている人に「落ち着いて」って言っても、だいたい火に油を注ぐ結果になるんだよなあ。怒らせてる本人だし。
「お前は前から気に入らなかったんだよォ! メンチ切るんじゃねェェ!」
やっぱり。
「ガンは飛ばしていません。元々こういう顔です。落ち着いて」
“先輩”が高梨くんの手を振り払った。
「触んな! デブ!」
感情的。触んなと言いながらTシャツの上からオラァと高梨くんの胸ぐらを掴む“先輩”。凄まれても物怖じしない高梨くん。さすがに部員たちが制止に入った。
部員A「“先輩”もうそれくらいで」
部員B「高梨は煽ってんじゃねえ!」
高梨「煽っていません。事実です」
“先輩”「ディスってるだろうがァァ! 歯ァ食いしばれ!!」
“先輩”は拳を振り上げた。
部員B「やべぇ! “先輩”を止めろ!!」
後輩「ひー、怪力だ」
部員A「高梨謝れよ!」
部員B「いや、高梨ちょっと黙ってろ!」
オロオロしながら“先輩”を押さえて仲裁しようとする後輩たち。揉みくちゃだ。
☆☆☆
私は怒声の混じる体育館をコソコソと後にして、先生を呼びに行ったんだった。
今回の罪の指摘。ちょっと迷っていたけれど、あれに比べれば何てことはないよね。
さっきのソクラテスの言葉を思い出す。
『英知を持つもの英雄なり』
行動しなければ。私が知っているだけでは意味がない。彼女が知らないと意味がない。
「高梨くん。悪いけど、ちょっとだけ待っていてくれないかな?」
高梨くんは「じゃあ僕はアイスキャンディーを買って食べて待っているよ」と言ってくれた。図書室裏のベンチでアイスキャンディーを美味しそうに食べる高梨くんが目に浮かぶ。
ありがとうと言って私は図書室に戻り、カバンにしまったピンク色のノートを取り出す。ついでに私のメモ帳も取り出す。
古本市“英知を持つもの英雄なり”
忘れないようキャッチコピーをメモして、私は2年C組の教室に向かった。
☆☆☆
高梨くんがベンチの背にもたれ掛かってアイスキャンディーの棒を咥えていると、後ろから男子生徒2人が近づく。
男子A「たーかなしっ」
目隠しをされた高梨くんだが、落ち着いて手を外す。笑う2人が目に映る。
高梨「あれ、今日は練習なかったのにどうしたの?」
男子A「文化祭の準備だよ。つっても、流しそうめんの予行演習」
高梨「いいじゃない」
男子B「よくねーよ。激流すぎて素麺はほとんどバケツに流れた。調整し直しだ」
高梨「調整でうまくいきそうなの?」
男子A 「行かない。適当だもん」
高梨「博打みたいだね」
男子B 「博打より当たらねえよ。失敗したものはスタッフが美味しくいただきましたってな。もう腹いっぱいだ」
3人は笑い合う。
男子A「ところで高梨、週末に旦ノ原ビーチ行かね?」
男子B「ビーチバレーしようぜ」
高梨「行きたいけど“先輩”はいいの?」
高梨くんは目を細めて口を尖らせる。
男子A「大丈夫、大丈夫。2年だけで行くんだ」
男子B「3年誘うと色々気いつかうしな」
「なー」と言い合っている2人を見た高梨くんの頬が緩む。
高梨「ははっ。じゃあ行くよ」
男子A「よっし、決まり」
高梨「あれ? でも確か旦ノ原ビーチって」
男子B「何?」
高梨「猫の怪死でニュースになってなかったっけ?」
高梨くんの後ろでピシャっと雷が光る。と同時にバケツをひっくり返したような雨が降り出す。
男子A「やっべえ、土砂降りじゃん」
男子B「引き上げようぜ」
男子生徒2人の後を追うように高梨くんも立ち上がる。と、美術室に明かりが付いているのが目に入る。しかし、気に留めずに走り去る。
美術室ではキャンバスの前に女子生徒が佇んでいる。周囲には海や空を描いた絵がたくさん置かれている。塗っているのは空。筆を持つ手は赤く腫れて小刻みに震えている。
「やっぱり駄目……」
筆が落ちる。キャンバスの空から垂れた青色絵の具が肖像画の目を通過して、まるで肖像画が涙を流したように見える。女子生徒も涙を流す。腕で顔をゴシゴシ擦って涙を拭き取ると、顔が少し腫れる。前にある姿見鏡に腫れた顔が映る。
「もう、何なのよ」
数日前に病院で、医師と女子生徒は話し合っていた。
『絵の具から遠ざからないと治りませんよ』
『でも、先生。もうすぐ絵画コンクールなんです。お薬を飲みながら続けられませんか?』
『辞めれば治ると思うし、続ければ酷くなると思うけれど、治す気ある?』
女子生徒は治したいに決まってるじゃないと思う。
ーー辞めるしかないのか。私は青を愛しているのに、どうして青は私を拒絶するのだろうーー
第二話以降のリンク
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