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0%の未来【第二話】幸運のしるし

第二話

「……先生、本当にいいんですか?」
「ああ、緊張しなくていい。大丈夫だ」
「でも、私初めてで……」
「大丈夫。リラックスして」

 夏目は唇に手を当ててモジモジしている。無理もない。教師は普通、生徒にこんなことをしないだろう。

人間ドックのチケットなんて高価なものを、無料でいただいて良いのでしょうか?」
「いいんだ。気にすんな」

 病院の待合室。検査着に身を包んだ夏目。

 病気があるなら、ここで発見して【夏目の死】を喰い止める。生存確率0%を覆すんだ。

「じゃあ、先生。行ってきます」

 夏目は会釈して受付に消えた。さて、どこで時間を潰そうか。

 【80%】、【90%】、【20%】……。

 病院は居心地が悪い。患者の生存確率が見えるからだ。一度生存確率が見えてしまうと、心が無意識にそれを追ってしまう。

 なぜ、追ってしまうのか。日常に比べて、生存確率の低い人が多い場所だからだ。

 ……確率酔いしてきたのだろうか。胸がムカムカする。気分を変えたい。一旦この場から立ち去ろう。俺は入口に向かおうとする。

「あれ? 糸川先生じゃん?」

 声をかけられて振り向く。

「むっ? 千草か?」

 生存確率【100%】。やや垂れ目で長身の好青年が立っている。

「どうしたの? こんなところで」
「ただの付き添いだ。千草こそ何してるんだ?」
「何してるって。ここ、うちの病院だから」

 千草は生徒会副会長。おまけに総合病院の息子だったのか。非の打ち所がないな。

☆☆☆

 待合室のテレビの前に移動する。将棋中継が写っている。千草にコーヒーと紅茶を見せる。

「どっちがいい?」
「ありがとう、先生。こっちで」

 千草はコーヒーを指差したので、渡す。

「糸川先生って、化学の先生だよな? 一回喋ってみたかったんだ」
「ん? 化学者になりたいとか言うのか?」

 立て続けに研究者志望に囲まれるのは、さすがにキツイぞ。しかし、千草は首を横に振る。

「違うよ。俺、糸川先生に興味があったんだ」
「俺に興味?」

 俺は咄嗟に自分を抱きしめる。

「変な意味じゃなくて。先生は若そうに見えるけど、31歳で初めて教師になったんだよね? 何でなんだろうと思って、人生勉強に聞きたいなって。不躾な質問で気を悪くされたら、すみません」
「いや。研究者をしてたんだが、うまくいかなくてな。教師の方が向いてると思ったんだ」
「そうすか。大変でしたね。いや、生意気にすみません」
「いや……」

 不思議と嫌な感じはしない。物腰の柔らかい千草だからだろうか。

☆☆☆

『先手の牧村八段の形勢が良いとAIは示していますが、解説の大島七段の所感はいかがでしょうか?』
『そうですね。人間的には難しいですね』
«先手:90%»

 テレビを見ると、将棋盤の上に形勢バーが示されていた。ここでも確率が使われているのか。

『2三歩成。これは牧村八段踏み込みました。ちょっと前のめりでしょうか』
«先手:3%»

『おっと、後手は受けない。大丈夫なのか』
«先手:99%»

「何だこれ?」

 形勢バーが激しく伸び縮みする。確率が逐一変化する。ポカンと口が開く。

「この確率は形勢の良さを示してるんだけど、その後に最善手、一番良い手を指したときの確率なんです」
「ほう」

 確率の解釈の仕方か。そういえば、これまであまり深く考えたことがなかったな。

 確率が変化する。夏目もそうだと良いと願う。

「つまり、悪手、悪い手を指すと途端に確率が下がる。今は悪手合戦かな」
「詳しいな」
「俺、小さい頃は将棋棋士になりたかったんだよね。でも、お山の大将だったって気づいて諦めたんだ」

 千草は、ははっと乾いた笑い方をする。ここにも夢を諦めた人間がいたのか。

「兄ちゃん詳しいねえ。勉強になったわ」

 おじさんが横から現れて、千草に声をかける。やっぱり千草は人に威圧感を与えない。話しやすい雰囲気なんだな。と、おじさんを見て、俺はぎょっとする。

【0%】

 頭上の確率は0%。この人はもうすぐ死ぬのか。

【0%】

 おじさんが「よっこいしょ」と座る。首を前後に揺らしたせいで、0%が会釈したように見えた。まるで死神みたいだ。

「あなた、良かったわねえ」

 奥さんのような人が笑いかける。良くない。全く良くない。

「未破裂動脈瘤が破裂する確率は、年間1%ですって」
「そうだな。このまま置いておこう」
「もう、大丈夫。安心ですよ」
「ああ、お祝いという訳ではないが、これから旅行に……うっ!」

 おじさんは椅子から床に崩れ落ちた。俺がタックルしたせいだ。

「すみません! 検査を! 検査をお願いします!」

 俺は叫ぶ。この人を死なせたくない。

「大丈夫ですか? おじさんは頭を打っています! 頭を検査してください!」

 千草が看護師を呼びに行ってくれる。周りは騒然となる。

☆☆☆

「転倒による異常はありません。しかし、動脈瘤が大きくなっています。手術しましょう」
 
 おじさんの生存確率は【90%】に変わった。しかし、俺は謝る。本当のことを言う訳にはいかない。

「本当に申し訳ございません。貧血が起きたみたいで、何とお詫びすればよいのか。すみませんでした」

 俺は頭を下げるが、おじさんは「頭を上げてください」と恐縮する。

「とんでもない。あなたがぶつかってくれなかったら俺は死んでいた。俺はラッキーだ。感謝するよ。ありがとう」

 俺は【0%】を回避した。不測の事態が起きると確率は変わるようだ。この方法で夏目も救えるかもしれない。具体的にどうすれば良いか、今はわからないけれど。

☆☆☆

 待合室に戻ると、まだ千草が座っていた。腕を組んで何かを考え込んでいる。

「千草、まだいたのか? えと、おじさんは無事だ。動脈瘤の手術が決まったけど。迷惑かけてすまなかったな」
「いえ。無事で良かった。俺は何もしていないぜ」
「いや、看護師さんを呼んでくれただろ? ありがとう」
「そんな些細なこと……何かしたのは先生だろ?」
「え?」
「先生には何か見えてるね?」

 バレている? どうして?

「チラチラ頭の上を見てるよね? 俺、子供の頃の将棋対局のせいでさ、人の様子を伺うのが癖になってんの。先生、患者さんをわざと転倒させたよね?」

 ……洞察力が鋭い千草には、隠し通せないだろう。仕方ない。正直に話すか……冷や汗が止まらないのだが。

☆☆☆

「なるほど。夏目ちゃん死んじゃうのか……」

 千草は俺の能力を素直に信じて、俯いている。

「でも、今日のことで少し希望が見えたんだ。俺がタックルしたみたいな。凄く不測の事態には、確率は対応していない。だから、何とかそれを見つけて、夏目の0%も回避したいと思ってる」
「先生、俺も手伝うよ。知ったのに何もせずにいるのは嫌だ。何か力になりたい」
「ありがとう。巻き込んで、すまんな」

 目に涙が浮かぶ。ずっとひとりで抱えてきた能力のこと、夏目のこと。本当はこんなこと生徒に話すべきじゃない。でも今、俺は心底安心している。仲間が増えたんだ。

「糸川先生……と、あれ? 千草くん?」

 夏目が手を振ってこちらに近づいてくる。

「何で千草くんがいるんですか?」
「ん? そこで偶然会ったんだ。夏目ちゃん、おつかれ」
「疲れましたよ。何度も言いますが、何で私が人間ドックなんですか? 糸川先生が行った方が良くないですか?」
「チケットは貰い物なんだって。俺は半年前にやったからいいの」

 夏目は俺に抗議するように、グイグイ近づいてくる。それを見た千草がソフトに割って入る。

「まあまあ。夏目ちゃん気象部なんだって? 糸川先生から聞いたよ。部員募集中」
「あっ、そうなんです。良かったら」
「俺、入るわ」
「えっ?」

 夏目と俺は同時に声が出る。

「千草くん、生徒会で忙しいけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫。夏目ちゃんが立ち上げた部に興味あるし。糸川先生も楽しそうな先生だし」

 千草はピースする。

「ありがとうございます」

☆☆☆

 病院からの帰り道、夏目はまた空をみている。

「今日は良いことがありました。人間ドックの結果も大丈夫でしょう。ふふふ」
「えらくご機嫌だな。って、部員が増えたからか」
「はい。でも、今日は朝から良いことがある気がしていたんです」
「予感か? 何で?」

 夏目は空に向かってバンザイをする。

彩雲が見えたからです」
「彩雲?」
「虹色の雲です。幸運の雲です」

 俺もつられて笑ってしまう。

「ははっ。何だ。占いみたいだな。研究者志望なのに、非科学的なことも言うんだな」
「良いことは信じるタイプです」
「そりゃ、いいな」
「あと」
「何だ?」
「彩雲は、亡くなった人を極楽浄土へ迎えるため、仏様、菩薩様だったかな? が乗ってくる雲とも言われています」

 背筋がヒヤッとする。急に不穏な気持ちになる。菩薩様、夏目を連れていかないでくれ。

「あっ、幸運といえば、糸川先生の苗字も縁起がいいですよ」
「それ、前にも言っていたけど、どういう意味?」

 汗が頬を伝う。俺は何とか話の調子を合わせようとする。

小惑星イトカワ

 突然の無機物の登場。

「何それ?」

 俺は面食らって、嫌な空気が少し飛んで行った気がした。

「惑星探査機はやぶやが捕まえた小惑星です。イトカワは宇宙の情報を、たくさん持って来てくれました」

 風が吹いて木の葉が舞う。

「ミッションには数多の苦難がありましたが、イトカワは無事に地球に来てくれました。本当に幸運な小惑星だと思います」

 木の葉は舞い降りる。昔、イトカワは地上に降りた。

「小惑星ねえ……」
「すごく素晴らしい試料なんですよ。本当に縁起がいい苗字」

 イトカワか。それに比べて俺の見える確率には、どれくらいの情報が含まれているのだろうか。

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