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【短編小説】学園祭の準備

 銀杏が色づき始めた10月下旬。K大学学園祭まで、あと1ヶ月。実行委員の広瀬佳純は1枚の『出店申請書』を見つめている。

「佳純さんどうしたんですか?」

 1回生の神崎陽菜から声をかけられ、佳純はハッと顔を上げた。明日は学園祭の屋内企画の部屋抽選会だ。

 学園祭で屋内企画というと地味なイメージだけど、美術部の展示や天文部のプラネタリウム、クイズ研究会のイベントなど人気企画も多い。そして、外の模擬店やバンドステージより学術的な企画が多い。だから、私は屋内企画が好きだ。

 そして、明日は神経を使う出来事が1つある。

「陽菜ちゃん、明日の抽選会で注意しなきゃいけないことがあるの。言い忘れてたんだけど、何かわかる?」

「わかりません。ただのクジ引きに何か注意事項があるんですか?」

「ただのクジ引きじゃないわ。みんな真剣に時間をかけて準備するんだから、場所争いは熾烈なの」

 話が逸れた。バカ真面目な私はこれだから困る。

「それはいいとして、学園祭で宗教勧誘が禁止されているでしょう。屋内企画にそういう団体が入っていないかチェックしなきゃいけないのよ」

 陽菜ちゃんはキョトンとした。そりゃそうだ。

 私もそんなことに気を配らなければいけないなんて思っていなかった。でも、部室の掃除をしていたときに、昔のパンフレットを見つけた。そこに確かに書かれていたのだ。

「昔のパンフレットを見たら、『幸せのエステ』とか『心の浄化』とかいう団体がいたのよ。実際に」

 陽菜ちゃんの表情が引きつった。

「昔から学園祭での宗教勧誘は禁止だったんだけど、パンフレットの出店内容には宗教勧誘なんて書いてなくて、何かあやふやなことを書いてるの。『一緒に幸せの輪廻の輪に乗りましょう』とか」

「やだ、怖い」

 陽菜ちゃんは理解してくれたようだ。そこで1枚の紙を見せる。

「『HAPPY LIFE』っていう団体が出店申請してきたわ。出店内容は『あなたの心を吹き飛ばします』。宗教関係の偽装出店だと思うの。抽選会のときに確かめなくちゃ」

☆☆☆

「なあ、地味だと思わないか?」

 将棋部の部室で、御村智也は呟く。手には『出店申請書』を持っている。

「何が? 将棋部の出店は、詰将棋と指導対局を毎年やっているじゃん」

 お菓子を頬張りながら、青木慎一郎が聞く。

「プロ棋士みたいに、俺と智也でタイトル戦の解説会でもやるか?」

「バカ! 誰が学園祭でそんなもん聞くんだ。出店の目的は何だ? 将棋マニアは既に将棋部に入ってるんだよ。俺たちに足りないのは、可愛い女子部員だ!」

「確かに! 野球部の可愛いマネージャーみたいな子がいたらいいな。智也いいこと言う!」

 将棋部員は総勢10名。全員男子学生だ。

 自分が新入生のときは、詰将棋と指導対局に引き寄せられて将棋部に入った。将棋部では来る日も来る日も練習将棋。男子だけの飲み会。でも足りない。青春が、女子が。

 もちろん今年は新入生勧誘もした。満開の桜の下で、キラキラした新入生たちが将棋部テーブル前を素通りしていった。

 昨今の将棋ブームは何処吹く風。プロ棋士のタイトル戦に押し寄せていた女子たちはどこへ行ったんだ。

「将棋初心者の女子が詰将棋を見ても謎の記号だろう? 指導対局をしても誰も来なかっただろう? 俺たちは勧誘の方法を間違っていたんだ!」

 4月のリベンジを学園祭ですると俺は決めていた。目立たなければ。華やかに、熱く。

「公開対局。2分切れ負けはどうだ?」

 2分切れ負けとは持ち時間2分の対局である。

 2分以内に相手の王様を捕まえれば勝ち。1手指したら対局時計を押して自分の時間を止める。相手が指して対局時計を押したら自分の時間が動く。そして、王様を捕まえられなくても、持ち時間2分を先に使い切った方が負け。

「2分切れ負けかあ。2分だと相手の時間を削るのに必死になるじゃん。猛スピードで腕ばっか動かして。将棋駒はぐちゃぐちゃになるし、どっか当たって駒は飛んでくし」

 慎一郎はボンレスハムのような腕をブンブン振る。

「俺2分切れ負け何回もやってると、腕が痛くなるんだよな。駒と対局時計の往復で」

「それでいいんだよ。目立つ目立つ。将棋部が将棋駒かっ飛ばして何やってんだよって。とりあえず目立ってナンボだ。格闘技的なところを見せたいんだよ」

 格闘技という言葉に慎一郎は反応した。

「何かいい気がしてきた。カーリングもさ、氷上の格闘技って言われてるんだぜ」

 氷上の格闘技はアイスホッケーだ。
 カーリングは氷上のチェスだろ。

「カーリングと将棋って似てるって言うじゃん。公開対局やる気になってきた」

 チェスと将棋は似てるけど。

 何かごちゃごちゃしてきたが、論点はそこじゃない。でも、慎一郎が乗り気になっているうちに出店申請しようじゃないか。

「おう、カーリングはオリンピックで有名になったんだ。この学園祭は俺たちのオリンピックだ!」

 そうだ! と慎一郎は訳がわからない解釈で納得した。どうせなら本番でビックリさせようぜと『出店申請書』を書き始めた。

 今年の学園祭は将棋部がやってやる。

☆☆☆

 10月最終日。部屋抽選会の日、学生棟の会議室に出店団体が集まり出していた。受付で広瀬佳純は学生の団体名を確認していた。

「『HAPPY LIFE』です」

 来た! センターパートでメガネをかけた神経質そうな男が立っている。

「こんにちは『HAPPY LIFE』さん。あの……申請書の出店内容がよくわからなくて、少し具体的に書いていただきたいんですが、いいですか?」

 陽菜ちゃんがこちらを凝視しているのがわかった。そうよ、偽装出店の団体が来たのよ!

 男は困ったように頭を掻いた。

「当日驚かせようと思って、これ以上は書けないんだけど。駄目ですか?」

 やはり怪しい。陽菜ちゃんがスススと寄ってきて、受付変わりますと言ってくれた。ナイス、陽菜ちゃん。

 私は男を部屋の隅の席に座るよう促した。

「失礼ながら、我々は『HAPPY LIFE』を宗教団体と疑っています。学園祭では宗教勧誘活動は禁止されています」

 男は面食らったような顔をした。

「えっ! 違います! 将棋部です」

 将棋部? 将棋部なら将棋部と申請書に書けば良いものを。

「では、パンフレットには記載しないので、出店内容の詳細を教えてください」

「『ニフンキレマケ』をやります」

「何ですか、それは?」

 予想外の追求に男は慌てているように見えた。

「実際見てもらったほうが早い。ここにエア将棋盤があるとして……ナナヨンフ、サンヨンフ、ロクロクフ~」

 やだ、何かブツブツ言ってる。お経? 右手がぐにゃぐにゃ動いて、祈っているみたい。将棋はそんな手を左右に広く叩かないでしょ?

(駒が飛んだら拾って)

 拝んで何か摘み上げてる。お焼香?

(最後の寄せは更に手早く動く)

 動きが激しくなった。こういうのテレビで見たことあるわ、悪霊を取り払うとかで!

(寄せ損なって2分経ったから)

「負けました」

 何にお辞儀してるの! 悪霊に負けたの? 取り払えないの? 入信しろってか!

「すみませんが、よくわかりません。宗教の礼拝にも見えます」

「えっ! 怪しい者ではないんです。将棋部です。やっぱりちょっと待っててください!」

 男は席を立って会議室から出ていった。偽装出店撃退。今日の任務は完了したわ。

☆☆☆

 御村智也は廊下を走っていた。

 何でこんなことに。慎一郎がノリノリで書いた『あなたの心を吹き飛ばします』のせいか! 全然将棋部と信じてくれない。あんな可愛い女の子にナメクジを見るような目で見られて!

 部室の扉を思いっきり開ける。

「宗教団体と間違われた!」

 慎一郎がこちらを見て、はぁ? と言った。それはこっちのセリフだよ。

 お前がドッキリ企画〜 とか言って書いた申請書のせいだ。しかし、慎一郎を責めている時間はない。

「将棋部の証拠! 将棋盤と団体戦のトロフィーと日本将棋連盟の免状!」

 ろくに掃除していない棚を開けようとすると、埃だけが落ちてくる。

「智也、鍵これ。何やってんの?」

 慎一郎から鍵を奪い取る。質問には答えない。1番豪華なトロフィーを手に取る。大きい将棋盤も持っていってやる。

「くっ、重くて持てない! 台車ある!?」

☆☆☆

 トロフィーをリュックに入れて、将棋盤と免状を台車に乗せて、御村智也は会議室に戻った。会議室の中は閑散としている。実行委員ふたりがこちらを見た。ふたりとも訝しげな顔をしている。

 息が切れている。怪しい者に見られていないだろうか。俺は息を整えながら、机の上にトロフィーと将棋盤と免状を置いた。

「これが証拠です」

“K大学将棋部 団体戦3位”

 実行委員ふたりは目を丸くしてトロフィーの文字を見つめている。ひとりが「これ本当に将棋部じゃないですか?」と言うと、さっき疑ってきた女の子は、みるみる頬を赤らめた。

「わかりました。疑ってしまい、大変申し訳ありません。あの、決められた抽選会の時間を大幅に過ぎているので、こちらの抽選で漏れた部屋でやってもらえませんか?」

 ホワイトボードに貼られた校舎内地図。近づいていった女の子が、指で示した部屋は3階の奥。

「えっ! えらく隅っこの部屋……目立たない……」

 女の子はバツの悪そうな顔をする。

「すみません。私が疑ったから、この場所になってしまって。お詫びとして友人を連れていきます。私も行きます。ちゃんと案内板で広報もします」

 女の子はすっかり落ちこんでいる。お辞儀した女の子の眼下に俺の免状があった。俺が将棋をやっている証拠。

 色々考えてくれているようだし、もういいですよと俺は言う。すみません、ありがとうございますと女の子は言いながら、ようやく顔を上げた。しばし沈黙。

「あの……紙に書かれているのは、あの有名なプロ棋士の方のサインですか?」

 気不味い沈黙を破るように、女の子は口を開いた。免状には、若き天才プロ棋士が直筆サインしている。これが目当てで俺は数万円を払って免状を取っている。

「私その方は知っています。ニュースを見て凄いなあって思っていました。でも、将棋をやるのは敷居が高くて」

 おや? これは?

「良かったら、将棋部に遊びに来ませんか? いつでも歓迎します。駒の動かし方からお教えしますよ」

「じゃあ、良い機会なのでよろしくお願いします」

 女の子が笑った。何の機会かわからないが、女子入部の希望が見えてきたかもしれない。

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