【短編小説】吊り橋効果
「皆さん、もうすぐ吊り橋に着きますよ」
私はレンタカーの運転席からバックミラー越しに、後部座席のふたりに声をかけた。
真夏の太陽が照りつける8月上旬、私たちはサークル旅行でT県までやって来た。
T県は自然豊かで、かつ個性的な観光スポットが多い。曲がりくねった川でのラフティング、本物さながらの複製画で彩られた美術館、そして、恐怖の吊り橋。
旅行幹事の私は、激流で酔った人を介抱し、名画を前に騒いだ人に注意をし、バスの集合時間に遅れた人を探し回った。大変だった。涼を求めて田舎にやってきたが、現実は冷や汗ばかりかいた。
でも、この自由行動のために私は頑張ったんだ。
夕方からは、レンタカーを借りて4人1組の自由行動。目的地は吊り橋。
狙うは諏訪さんとの吊り橋効果。私は後部座席の諏訪さんに恋をしている。
「紗耶ちゃん、山道の運転ありがとう。それにしても薄暗くなってきたわね」
助手席で同級生の絵梨花が周りを見渡す。時計の針は午後6時を回ったところ。当初の予定時刻より少し遅れて吊り橋に到着した。
「山添、おい起きろ」
「うぅ……諏訪か……気持ち悪い。ここどこ?」
後部座席からアルコールの臭いが漂ってくる。そういえば、山添さんは朝からずっとビールを飲んでいた気がする。
「吊り橋だ。紗耶ちゃんがずっと運転してくれたぞ。紗耶ちゃんありがとう。帰りは運転代わるから」
「諏訪さんありがとうございます。山添さん行けそうですか?」
「もちろん! 折角来たんだから行くよ〜」
酔っぱらいがテンションに任せて動こうとしている。大丈夫だろうか。
気をつけてくださいねと言いながら、私は車から出てトランクの中を探る。懐中電灯はどこへ行った。
「あれ……? 懐中電灯が1つしかないです……」
☆☆☆
吊り橋は高さ20m、幅2m。長さ50m。
一見、木のような植物でできた橋。だけどよく見ると、鉄のワイヤーが植物で隠れるように入っている。大丈夫、安全な観光橋よと自分に言い聞かせる。
橋の周りは木の枝で埋め尽くされている。昼に来ていたら、深緑が綺麗だっただろう。でも、今は夜になろうとしている。橋の下は激流の川。川の音と辺りの暗さで足がすくむ。
「いや、ギーギー言って超怖いんですけど。サンダルで大丈夫かな」
「絵梨花ちゃん怖いの? 俺が手つないであげようか?」
騒ぐ絵梨花ちゃんと山添さんとは対照的に、諏訪さんは頬に手を当てて何か考えている。横顔もスッキリした端正な顔立ち。
「スリルはあるけど、観光橋だから安全ですよ。でも、懐中電灯が1つしかないので、ふたりずつ渡りましょうか。行って帰ってになりますけど」
私はそう言って皆を吊り橋に導こうとしたけれど、諏訪さんがハッと顔を上げた。
「紗耶ちゃん、暗くなると懐中電灯でも足元が見えにくくなるから、早めに橋を渡りきった方がいいんじゃないかな?」
「はっ! そうですね」
「これ、吊り橋問題だよね。パズルの」
何? 吊り橋効果じゃなくて問題なの?
「ええと……早く渡るには……、橋を渡るのが速い者同士のペアを作らないか?」
効果でも問題でもどっちでもいい! 諏訪さんの提案に、私は間髪入れず手を挙げる。
「私! 速いです!」
だって、明らかに絵梨花ちゃんと山添さんは遅そうだもの。早い者同士で私は諏訪さんとペアになる!
「じゃあ、紗耶ちゃんと俺が先に行こうか」
差し出された手が、王子様のエスコートに見えた。ドキドキする。まだ吊り橋に乗ってもいないのに。
☆☆☆
実際に吊り橋に乗ると、恐怖しかなかった。踏み板の隙間が広くて、すっぽり足が入りそう。足を踏み外すといけないから、下を見るけれど、眼下にはもれなく激流。高い、高い。薄暗くて、ゴーっとか言ってて、川に吸い込まれそう。落ちたら死ぬ。しかも、吊り橋がすごく揺れる。
「紗耶ちゃん、付いてこれてる?」
「もちろんです!」
私は痩せ我慢をした。だって、諏訪さんは普通の地面のようにスタスタ歩いている。
「諏訪さんは怖くないんですか?」
諏訪さんは1度止まって振り返り、にっこり笑う。
「怖くないよ。この踏み板の間隔だと、下に落ちたくても、胴が入ることはない。この橋は、パッと見より頑丈そうだしね。しっかりワイヤーが入っていて。論理的に考えて危険じゃないと思うと、怖くはないよ」
そうですかと私は言う。いつもの優しい諏訪さんだけど……諏訪さんがドキドキしないと、吊り橋効果は無効! 折角ふたりきりで吊り橋にいるのに、ドキドキしているのは私だけ! 諏訪さんが冷静で、むしろいつもより頼もしく見えるけど、これは吊り橋効果に嵌っているのは、私だけじゃないだろうか……
橋を渡り切る。ふたりきりの時間は終わってしまった。
「じゃあ、俺は絵梨花ちゃんと山添を迎えに行ってくるから」
懐中電灯を持って、諏訪さんはもう一度吊り橋に戻った。まるで、水泳のクイックターン。1番速く渡れる諏訪さんが、ひとりで吊り橋を往復してくれるのね。
薄暗くて50m先なんて見えない。諏訪さんは暗がりに消えて行った。絵梨花ちゃんも山添さんも見えない。
山の中に私ひとり残された……
自分の状況を把握して、背中に冷たい汗が落ちた。急に、ザザザと木の枝が擦れる音が耳に付く。
ちょっとちょっと……これは吊り橋効果じゃなくて、もはやただの肝試し。誰か! 早く来て!
「紗耶ちゃんお待たせ〜」
向こうの方から懐中電灯の光が見える。絵梨花ちゃんの声がする。思いの外、山添さんもしっかり歩いている。
「酔いが冷めたぜ〜」
「も〜 返って良かったですよ。旅行中にずっと酔っ払っているなんて、もったいない!」
ふたりとも何だか楽しそうだ。
あれ? そういえば諏訪さんが来ないけど、どうするんだろう?
「怖かったけど楽しかった! 吊り橋は一生に一度は経験してみたほうがいいね!」
「絵梨花ちゃん、諏訪さんはどうしたの?」
「え? 決まってるじゃん。はい」
私は絵梨花ちゃんから懐中電灯を渡された。まさか。
「諏訪さんのお迎えよろしく! だって、紗耶ちゃんのほうが速いでしょ」
また、吊り橋がギーギー言っているのが、気になってきた。
☆☆☆
吊り橋効果と恐怖の2つで私の動悸はMAXだ。吊り橋に足をかけると揺れた。ひとりで渡るの怖い。でも、ひとりぼっちでいるのも怖い。早く早く諏訪さんのところへ! 急ぎ足で歩く。50mは近くて遠い。
諏訪さんが見えてきた。あと少しだ。下は向かない。
「さすが、速かったね」
やっと着いた。懐中電灯で照らされた諏訪さんは眩しすぎて、私は夢を見ているんじゃないかと思った。いや、それにしても眩しすぎる。あれ?
「ライトアップされたね」
振り返えると、青く光る吊り橋が闇夜に浮かび上がっている。さっきは薄暗がりで気づかなかったが、橋を吊り下げる部分のワイヤーには、所々に電球が付いている。
ライトアップされた吊り橋は、何かに護られているような気がして、もう怖くなかった。
「明るくなったし、ゆっくり渡ろうか」
諏訪さんと私は並んで吊り橋を歩く。諏訪さんは少し遠くを見ているようだ。
「吊り橋問題のポイントは、1番足が速い人に負荷をかけ過ぎないことなんだ」
「ああ……私、諏訪さんが懐中電灯を持って、ひとりずつ連れてきてくれると思っていました。すみません……」
「いやいや、そう思うよね」
諏訪さんはこっちを向いて、慌てて訂正する。
「それが返って遅くなる。上手くいかない。速い人ふたりが協力して行き来したほうが、早く渡れるんだ」
なるほど。
「だけど、この旅行中は紗耶ちゃんがひとりで頑張っていたよね。幹事にばかり負荷をかけて申し訳なかった」
「いえいえ、そんな……」
「吊り橋問題を考えていたら、旅行中の紗耶ちゃんの姿ばかり思い浮かんだよ。この先は色々手伝うから何でも言ってね」
諏訪さんが私のことを気にかけてくれている。私のことをそんな見ていてくれたなんて。それは、それは……
「それは吊り橋効果ですか? だとしたら、ここに来て良かったです!」
私は心の中でガッツポーズをした。
違う、吊り橋問題だよと諏訪さんは笑いながら言った。
向こう側では、絵梨花ちゃんと山添さんが手を振っている。全員が吊り橋を渡り切ろうとしていた。
☆☆☆
補足:
吊り橋問題は有名な論理パズルです。
今回は、下記の条件を満たしながら、全員が吊り橋を渡る最短の方法は何かというもの。
・足の速いA、Bと足の遅いC、Dの4人が夜に吊り橋を渡って向こう側に行く。
・懐中電灯は1つしかない。
・吊り橋は同時に2人までしか渡れない。
答え
①AとBが向こう側へ渡る。
②A(またはB)が戻る。
③CとDが向こう側へ渡る。
④B(②でBを選択した場合はA)が戻る。
⑤AとBが向こう側へ渡る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?