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【短編小説】冬眠

「すみません。兄貴は寝入っていて、起こしても起きないんですけど、また後でもいいですか?」

 玄関先に出てきたのは、パーカーを着た癖っ毛の少年。

 ……癖っ毛か寝癖かわからないのだが……頭を掻きながら目をこすっている。彼も眠そうだ。昼の2時を過ぎているというのに、兄弟揃って何故そんな眠そうなのだ。
 しかし、こちらに反論の余地はない。

「いえ、担当変更のご挨拶に伺っただけですので。桜井先生によろしくお伝えください」
「はあ……秋月さんどうしたの?」

 少年の半開きの瞼の奥が光ったような気がして私は咄嗟に目をそらしてしまう。いや、それではいけない。もう一度顔を上げる。

「前任の秋月はその……突然退職しまして……正直に申し上げますと、引き継ぎを行えませんでした。今後の小説の進行予定なども含め、桜井先生に1からご教授いただきたいと思って参りました。申し遅れましたが、私は雪村と申します」

 少年は名刺を片手で受け取ると顎に手をやって、ふーんと言う。

「じゃあ、雪村さん何も知らないんだ。このまま帰るのモヤモヤしない? 兄貴が起きるまで待ってる?」

 願ってもない言葉。待つのは慣れている。

「通りのカフェでもいい? 家の中は超散らかってるんだ。俺、腹減ってるし」

 “俺”も一緒に待つの?
 そう聞こうとしたけれど、彼は既にスニーカーを履こうとしていた。

 ーー 作家さんと一緒に考える
 ーー 愛する作品を丹念に校正する

 秋月さんはどちらにも長い時間をかけていた。ゆえに、作業量も多かった。

『長く考えると、どの筋書きが正解なのかわからなくなるんだよな』

 退職直前、秋月さんは何本もの連載のスケジュール管理に追われていた。眼鏡の縁には深いクマが刻まれていた。

 カレーの香りが漂うレトロな店内には、大学生と思しき集団が屯している。彼女たちは温泉なら今からでも予約取れるよなどと話している。

 3月に入って暖かくなったと思ったのに、今日は一転、木枯らしが吹いているような寒さだ。窓から見える桜の蕾はまだ固い。

 笑いジワの目立つ老紳士が注文を取りに来た。コージと名乗った少年はメニュー表を見ずに伝える。

「冬限定フォンダン・ショコラパフェください」

 季節的に3月は春。冬限定ってまだ売っていたのか。私はやけに酸っぱいものが飲みたい。

「レモンスカッシュください」
「雪村さんは夏先取り?」
「いえ、そういう訳では……」
「俺は冬を取り戻しに行くんだ。冬を取り戻せ! YouはShock!」

 ちょっと何を言っているかわからない。

「冬に戻りたいんですか?」
「戻りたくないよ。見逃したテレビ番組を見たい。紅白を見たい。そんな気持ち。昨日さ、紅白の録画を見たんだよねー」

 噛み合わぬ。

 お花見の酔っ払いおじさんが浮かれて羽目を外しているみたいだ。ネクタイをハチマキにしたおじさん。

「あれ? 喋りすぎた? 雪村さん冷たい視線じゃない!? 俺、嫌われたくないよ!」
「いえ……」

 テンション高いな。

 ……沈黙。

 大学生たちの笑い声が店内に充満している。所作なくて何だか居心地が悪い。コージは頬杖を付いて宙を見る。

「そういや秋月さん離婚したって言ってた」

 不意にコージが話し出した。えっ、離婚?

「知らなかった……」

 秋月さんが結婚していたのは知っていた。写真を見せてもらったことがある。ショートカットできっちり化粧した美人の奥さん。と、ケーキを挟んだネルシャツの秋月さん。
 
 眼鏡を外して優しそうに、でもぎこちなく笑う秋月さん。皿にはHAPPY BIRTHDAYとチョコレートで描かれていて、ケーキにはスパークキャンドルが刺さっていた。

「性格の不一致だって。元奥さんのSNS派手だよ。いっぱい飲み歩いて色んな男移ってたし」

 コージの眼の前に大きなパフェが置かれた。ドロっとした茶色いチョコレートがアイスの雪道を流れている。

「とりあえずパフェ食べていい? 食べるの楽しみにしてたんだ」

 コージはスプーンでアイスをすくい上げて、啜るように口に入れる。
 私は胸焼けをしたような気がして、来たばかりのレモンスカッシュをストローで一気に飲み干す。と、シュワシュワの炭酸で余計に胸がヒリヒリする。話を変えよう。

「あの、コージくん。お兄さんについて知ってることがあったら教えてほしいんだけど」

 コージのスプーンを動かす手は止まらない。もりもり食べている。

「ああ、27歳、独身。趣味は食べ歩き。特技はすぐ寝ること。この前まともに小説を書いたのは昨年の11月じゃないかな」

 まともに仕事をしたのが4ヶ月前って。
 そりゃ刊行ペースが遅いはずだ。ぐうたらな作家さんなのだろうか。秋月さんの担当にしては珍しい。

「秋月はお兄さんに小説を早く書くよう急かしたりしなかったんですか?」
「しなかった」
「何で?」
「急かしても意味ないから」
「意味ないって」
「何言われても早くならないの。こっちはこっちのペースがあるの」
「でも、もう少し早く書かないと世間から忘れられちゃいますよ……」

 コージは口を尖らせて、いじけているように見える。反抗期か。ため息を隠すために腕時計を見ると、時刻は3時を廻ったところだ。

「先生はそろそろ起きてるでしょうか?」

 腕からコージの方に目線を変えると、彼は呟いた。

「……起きてるよ、目の前で」

 目の前。

 コージはずっと一人称で私の質問に答えていた。私の桜井先生に対する質問に。

 コージは桜井先生だ。

「何で弟のふりなんてしたんですか?」

 コージはニシシと笑って、だって信じてもらえなそうだったもんと言う。

「俺、どう見てもガキじゃん。たぶん寝すぎてるせいだよ。冬は冬眠してるみたいにずっと寝てるんだ。過眠症の一種みたい」
「寝すぎで若返るの?」
「冬眠のメリット。老けない」

 コージは人差し指で自分の顔を指す。つるつるで白い頬を。そして、恥ずかしげに下を向く。

「秋月さん、最後の打ち合わせで眠たいって言ってた。桜井先生みたいに寝ようかなって。きっと……寝ちゃったんだよ」

 秋月さんも冬眠してしまったと言うのか。

「……俺さあ、冬の間は起きても世界がモノクロに見えてさ。でも、春になると色が付くんだよ。だから……」

 顔を上げたコージから柔らかい土の匂いがした気がする。

「そのうち秋月さんも元気に起きてくるよ」

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