身一つで世界中どこでも動けるスタイルで歩くと、般若心経がわかるようになる


登山用の大型ザックで歩いてると、急に閃いたというか、般若心経がわかるようになった。

(般若心経は、よくお葬式とかでお坊さんが唱えているが、あれが説いてる内容は、宇宙というか世界の本質および真実を超凝縮して伝えたものになっている)

つい今さっきのことである。

いきなりで何言ってるか、伝わらないと思う。

私も急に閃いて、直感的にはわかったが、プロセスとか論理とか流れが自分でもわからなかったので、この文章を書くことで、そこを解き明かしていっているところである。

まず、前提条件になっていると思われるところから。

私は、映像の撮影と編集の仕事(ビデオグラファーとか、映像カメラマンとか言われたりする職業になりますかね)や、いわゆるコピーライティングとかコピーライターと言われるような紙やWEBでのセールス媒体本文執筆などを仕事にしていて、最近は、さらに映像加工と映像企画などもできるようにしつつある、まあそういう感じの仕事しているのである。

そういう仕事柄、もともと、仕事を行う場所は選ばずに行えるし、ブログやSKypeやZoom( Skypeよりさらに性能の良いWEB会議システムの一つ)やSNS/ソーシャルメディアを活用することで、場所と時間と会う人を選ばずにお金も入ってくるようにしやすい。

上記は、般若心経が直感的にわかるようになるまでの前提条件と思ってもらえると嬉しい。

まず、登山用大型ザックで歩くようになってから気づいたのが

「こういう大型ザックでなら、ビデオカメラと、ミラーレス一眼と、三脚2本と、15インチで2kgくらいのかなり高性能なノートPC(ゲーミングノートPC)あるいはMacBookProRetina15inchと、ポータブル外付け3TBHDD、あとは着替えやタオルや水、ノートやスケッチブックとペンを入れて、財布とスマホはボディバッグに入れたら、世界中でも日本中でも旅というか移動し続けながら仕事し続けれる」

ということだった。

(15インチで重さ2kgくらいの高性能ノートPCとかだと、自宅や事務所に固定で置いて使う高性能PCに近い性能があるため、薄型ノートPCやタブレットやスマホでは処理しきれない作業でも、スムーズにこなせる

→つまり、場所を選ばず、事務所や自宅と同じ仕事が出来るようになる)

(ビデオカメラとミラーレス一眼とiPhone,三脚を常に持ち歩くことで、ガチの撮影依頼の仕事でも、自分が発信するための映像や写真素材を集めていくためでも、どんどん撮っていけるようになり、世界中や日本中が、活きた素材集になっていく)

ブログとか他WEB仕事からの収入が30万以上ある状態にして、上記の装備とパスポートを持ち歩くことで、完全に、世界中や日本中を旅しながら、世界中や日本中を自分の家や事務所や地元のように動きながら、仕事と旅と遊びが一体化したライフスタイルを送り続けれるようになる。

このことに気づいた瞬間、

「私は、というか人間は、生まれながらにしてすでに自由であり、私は私にとって世界の中心であり、私にとって世界は私がイメージと思考して作られたものである」

「自由になりたいのではない。すでに自由であると知れ」

ということを直感的に感じ取るようになった。

また、事務所や居住地を固定する生き方と違い、世界中の人に発信して伝えたいことを伝えたり、自分が伝えたいし得意なことをより詳しく深く知りたがっている人のところへ伝授しに行ったりもしやすい、

ここまで来ると、自分が伝えたいことや、自分という存在が、酸素や窒素や水素、原子や分子や電子や素粒子などと同じように、世界や宇宙中のどこにでも普遍的に「いる」「在る」ように出来る。

つまり、肉体を持ちながらにして、精神や魂や、原子・分子・電子・素粒子と同じような自由さや普遍性(どこにでも、いつでも、どんな状態でも、存在するようになる)を獲得している。

であるからにして、人間は、すでに自由であり、世界であり、宇宙であるということではないか。

この認識に至った瞬間、般若心経がわかるようになった。

「すでに常に在る」ということが

色即是空 空即是色

(あることは実はないようなものであるし、逆に無いという状態から、ありとあらゆる、あるように思えたり感じたりすることが発生しているのである)

不生不滅 不垢不浄 不増不減

(何も減りも増えもしない、宇宙は想いによって波動が自在に変化して形成していってるだけなのである)、

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

(五感で感じることは、実際に固定状態でずっと存在しているものではなく、実際にはないに等しいものなのである)

ということと密接につながっているというか、実質的に同じことなのではないか。

最近、量子力学とか言われる分野を解説した本やYoutube映像やブログが増えてきているだが、そうした分野でも
「あなたが見るからその物質や人や物は存在している。
逆に、あなたが見ていないときはその物質や人や物は存在していないかも知れない」
という発見がされていて、すごく共通するものがあるのではなかろうか。

般若心経の私流の超訳というか詳しい解説は、次の記事で書くことにする。





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