許容、容認、拒否、拒絶。

許せなかった。
ずっと、ずっと。

あのとき、わたしをひとりにした彼も彼女も父も姉も。
ずっと、ずっと、許せなかった。


でも、いろんな人と出会い、いろんな人をみて、話をして、別れてを繰り返すうちに少しずつ許容できるようになった。

友達だからこそ許せなかった。
友達だと思っていたからこそ許せなかった。
家族だからこそ、血がつながる人間だからこそ許せなかった。
そんなことが、割とどうでもよくなった。

どうでもよくなったはよくない言い方だけど、ほんとうに、どうでもよくなった。

たぶん、期待をしなくなった。

それは、悪いことなのか。
良いことなのか。
これが大人になると言うことなのか。
わたしにはわからない。

でも、生きやすくなった。
価値観が広がった。
世界の多くのものが美しいようにも見えた。
汚いものもたくさんあるけれど、そんなことどうでもよくなるぐらいいいものしか見えないようになった気がした。

妬み、苛立ち、怒り、嫌悪感は悪い子たちとは思わないけれど、やっぱり、人生のアクセント、プラスαぐらいがちょうどいい。

でも、不思議なのが今まで拒否、拒絶をしていたものが許容、容認されると、


許容、容認されていたものが拒否、拒絶となってしまうのだ。


これは、わたしの心が狭いからなのか。
わたしにはわからない。


今まで、普通だと思っていたものが、美しいとすら思っていたものが突然、汚く、汚れにしか見えなくなってしまった。



離れてみないと気付かない。


本当にそうなのかもしれない。


すべて、近すぎたのだ。
今まで近すぎたのだ。
そして、遠すぎたのだ。


でも、やっぱり、ひとりは寂しい。



わたしが思っているより、世界は複雑みたいだ。

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