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おんがくをかくかくをかく拾弐〜ほのほの〜

ほのぼの、ではない ほのほの だ。

ゆっくりと 時間をかけて空が明けてゆく。

春は曙 あれは間違いないと私も思う。
続く夏も秋も、同意する。
でも最近 軽く衝撃だったのは
アパレルの職場に上から直々通達された話。

『今後、一年のうち 夏を四ヶ月とする』

という決定事項。
夏といえば 七、八月で 六月は初夏のうちの梅雨、九月は初秋 残暑という 日本人ならたいていの人々がそう認識しているはずだが
や、もう一年だいたい暑いんで 六月から九月までを ずーっと夏!ってことにして いかないと、アパレルは回らない、ようなのだ。
ほええ、左様ですか。
とんでもない時代に私たちは生きているのだね。
四季に対応しながら長きに渡り生活を工夫し、何より私たちは愛してきたと思う。春夏秋冬を。
でも どこかのニュースでも聞いたとおり 
この国の美しい四季までも今や崩壊に向かっているのだな。
この春、通勤中だけど桜を愛でることができた私も いつかはなにかが変わる日を 心して覚悟せねばならないのかもしれない。

それはすべてに於いてではある。

人生をすでに折り返したのだから、
失うもの、変わるものは四季に限らない。
たいせつなひとやものや、生き方や変わっちゃいかんと信じてきた曖昧ななにかすらも。
私自身もだ。

夏が嫌いなのでとりあえずそのことに私は遠い目をしている。

そうか、夏だらけの日々が始まるか。

まあしかたない。諦めも早い方なので、なるようになるのだろう。

スピッツといえば昨年は
アニメ映画の主題歌を手掛けて あまりスピッツを知らなかった若い方々にもこれは響いたみたいだった。
YouTubeで散々BGMとして聴いた
『美しい鰭』はスピッツらしい愛と絶望と毒と救いとに溢れて、私も何回これを歌ったろう。
そのカップリングが
『アケホノ』。

私は昔から
草野マサムネは天才 と言い切っている。
弱さから始まる自分を 嫌って でも変わって、死生観にまで持ち込み 跳ね上がる。
何より最後までわけのわからない文学のようなことばを、わからないのにとてつもなく美しく、
ちょっとかわいく、ちょっとやさしく、歌い上げる。
ギターもベースもドラムもめちゃくちゃ上手いから 楽器班のファンがわざわざライヴに足を運ぶのでチケットは幻だ。
なのに、たぶん メンバーはみんな 
草野マサムネが大好きなんだろうと思う。
ギターソロとか、あああこのあとこう持ってく!マサムネ大好きに溢れてる!っていつも思う。
バンドでこういうかわいさ(曲調や詞のそれではなく)を余すことなく見せてしまえる潔さに
私は悶絶し続けている。

アケホノ。
サビがたまらない。
ほのほのと、という日本語が 草野マサムネ特有の ことばの響きに変えて
アケボノ、ではなくアケホノになっている。

そして
『アケホノに誓いましょう
昔じゃありえないあの
失ったふりしてた愛の言葉
諦めるちょい前なら
連れて行くよ こわいかな
もう大丈夫
泣いちゃうね ほわんと淡い光』

すべて詞を読むとわかるけど、これは
同じ痛みを超えて、互いの道を認めて、がむしゃらに生きてきたそれぞれを愛して
仲間でも恋人でもいい、少しは強くなれた自分たちで
さ、行くよ あの白んできた朝へ。

っていううただ。

あたしゃ泣くぞマサムネ。

ダメダメな毎日だけど もう
もう行く。私も。
恥ずかしいこともやってこうや、信じてきたんだから。

だからスピッツに
私は救われてきた時間が多い。
ホントは強くない私を笑わないで
一緒にジョウロから水を与えてくれて

ありがとう。


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