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夜が明けるを読んで

どうも。ソラです。

今回は西加奈子さんの夜が明けるを紹介するよ
読書歴の浅い僕が西加奈子さんを知ったのは、オードリーの若林さんと南海キャンディーズの山里さんが出てた僕らの時代がきっかけなんだ

結構分厚いし、フィクションの枠に収まらない内容で、読み応え満載でした!

軽くストーリーを紹介していきましょう


あらすじ

  1. 「俺」と「アキ」の出会い

  2. 高校卒業後の彼らの生き方

  3. それぞれの混沌とした環境での生活

  4. 「アキ」の死と「俺」の心の変化

この本の特徴

  1. 俺とアキの2つの視点で代わる代わる展開する

  2. 社会問題がノンフィクションのようにありありと描かれている

  3. ただ、他人事に思われがちな内容であっても、僕たちの生きてる世界に溶け込んでいるように描かれているから、感情がぐちゃぐちゃになる

カンガエタコト

生きるって難しい

僕は人生経験が浅いので、良くも悪くも普通の人生を送れている。誰しも経験しているであろう良い思い出も、多少の苦労も経験してきた。ただ、いまだに生きることの意味ってなんだろうって考えるし、己の芯がない。「俺」も「アキ」も何者かになりたかったという点は僕も同じだ。そう思うことで生きる意味をもてていたと思うし、仮にでもアイデンティティを持っていることになるから、簡単である。自分も周囲も生きてるという実感が希薄化している現代に、他者との心の距離感が大事なんじゃないかな。「俺」が人生の転換期にかけられた言葉は、自分に負けないことと人を頼ることだった。人には自分でどうにかできることとできない事がある。その不可抗力にぶち当たった時に、誰かがいてくれることで踏み出すきっかけになる。自分に負けないっていうには、1人で解決できそうであるが、そんな人間はいるはずがない。人間がそんな強くいられるはずがない。この本では、苦しい状況でもなんとかしようとする誰かがいることを暗に表現している。自分の生きる意義が見えなくても、他に誰かのためなら動ける人もきっと多いんじゃないかな。

先入観は簡単には拭えない

この本のあるシーンがとても印象的だった。「俺」が制作会社で働いている時期に聞いた話であるが、ある難民の方が日本語で俳句を作ってそれを評価する収録で、これは紛争ならではの惨劇を表現しているとか、血や軍服だろなどと評価された。しかし実は単なる好きな食べ物について書いたもので、難民の方の笑えるエピソードトークのレベルだったのだ。


そこで、アフマドに難民らしさを認めていたことに気づく。俺たちは難民らしい振る舞いを見て、安心したかったのだ。アフマドは、きっといつもそうやって、誰かに謝りながら生きてきたのだろう。「受け入れてくれてありがとう」「優しくしてくれてありがとう」「住まわせてくれてありがとう」と。

わかりやすく言うと、可哀想な人間には可哀想なストーリーがお似合いだと着せ替え人形のような先入観を持っていたと言うことだ。僕らもいわゆる弱者と呼ばれる人たちに、同情したりあるいは見下し白い目を向けたことは誰しもあると思う。ここには日本の文化的なネガティブ要素がかなり詰まっている。つまり、日本はハイコンテキスト文化といって、空気や行間を読み、隠れているもの探し出す集団であるために、目につきやすい特徴を難解な答えを導き出す大きな手がかりとするからである。もちろんだからと言ってそれを助長していいと言うわけではないし、そんなことを理由に使うのはとても卑劣なことだ。1番言いたいことは、知ったかぶりを減らしていこうよって言うこと。もっともっと知るべきところがあるし、同じ世界で見える景色が違う人のことを知れるのは本来ハードルは低いはず。何より無知であることを心に留めておくと、マインドの持ちようも変わってくるはず。

まとめ

どうでしたか。まだまだたくさん考えたことありますが、ここで語るよりも本を読んでもらえたら僕の言いたいことも受け取ってもらえると思うんだ。
最後に西加奈子さんが言いたい事が書かれている箇所を引用して締めます。一緒にシェアしましょうよ

俺はアキに何かを託していたのかもしれない。俺にとってアキは社会に投げつける爆弾だった。優しくて、みっともなくて、無害な奴だったが、アキのような人間が、いや、アキのような人間こそが認められる社会であるべきだという、強い思いがあった。それで俺の生活が変わるわけではない。それでも、アキが世界で居場所を見つけることは俺にとって切実な急務だった。俺はアキを、世界に投げ続けた。

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