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約2年間、繰り返された問い

あと1ヶ月ほどで、noteを初めて2年目になる。始めた日のことは、よく覚えている。大学4年の春休み。修士1年になる直前だ。


「何か残るものを作れたらいいな」


このあまりに単純すぎる理由で、noteを始めた。生きた証として何かを残したいと思うのは、人間として自然な欲求なのだと思う。ある人は科学の発見や理論を生み出したり、ある人は建築物を造ったり、ある人は会社を作ったり、またある人は絵を描いたり。

そしてある人は、文章として書き残したり。

そのある人に、僕もなった。何かを創作したいと思う人の気持ちがそれまでわからなかったけど、気づいたら自分もそのような人間になっていた。


死んだ後は自分の文章が読まれているかなんて知りようがないけど、なぜか無性に、自分の内にあるものを生きている間に残したいと思ったのだ。

死を意識するような出来事があったわけでもないのに。なぜ急にそう思い立ったのかは、自分でもよくわからない。本をたくさん読んでいるうちに、自分も何か書き残したいと思ったのかもしれない。


コタツにぬくぬく入りながら、アカウントを作った日のことを覚えている。右も左もわからないまま、とりあえず自己紹介の記事を書いた。どのような方向性でやっていこうかなんて、全く考えていなかった。自分には何が書けて、そして、読者にどんなものを提供できるのかということも。

見切り発車とは、まさにこのことだ。

「いついつまでにこの目標を達成して、ここまでいけたらやめる」なんてことも、頭になかった。目標はない。ただ書き残したい。それだけ。

方向性が決まってなかったから、書く内容も紆余曲折した。


「自分は何を書けばいいのだろう」


頭の中で何度も繰り返された問いだ。書いていくなかで見つけていくしかない。書かないとわからない。そう信じて、ひとまず続けることにした。

いろんな人がいて、いろんなことを書いている。


「自分は何を書けばいいのだろう」


記事の数が増えても、その問いに対する答えは出なかった。いたずらに、書いた記事が増えていくばかりだった。

修士研究はもちろん頑張ってやらないといけないし、就活の時期にも入った。周りには、noteを書いている人はいない。周りが忙しそうにしているなか、自分は相変わらず、よくわからないままnoteを書き続けている。同じ悩みを身近に共有できる人はいない。


「これに何の意味があるのだろうか」
「もっとほかにやるべきことがあるのではないだろうか」


そしていつもの問い


「自分は何を書けばいいのだろう。はたしてこれで本当にいいのだろうか」


結局わからない。わからないから、今日もまた一つ記事を書く。

内定が決まるのは周りより遅かったし、研究のペースも周りより遅かった。noteにエネルギーと時間を費やしたことを言い訳にはしたくないが、「noteを始めなかったら、どんな未来になっていたかな」と思ったこともある。書いている人なら共感されると思うけど、一つの記事を作るのにそれなりの労力がいる。

書いても書いても何かしっくりこないし、うまく事が進んでいる感じもしない。繰り返される問い


「自分は何を書けばいいのだろう」


に加えて、さらに


「これに何の意味があるのだろうか」


という問いも、頭の中で繰り返されるようになった。

その答えがわからないから、また今日も一つ記事を書く。それを繰り返した。


多くの記事は、大学内にあるカフェみたいなスペースで書いた。持ち込みがOKなので、お金もかからない。

朝、研究室に行く前の時間を使ってその場所へと向かい、黙々と文章を書く。それが日課となったので、むしろその行為の思い出が特別なものとは思えない。頭の中で繰り返されるあの二つの問いと同じように、この習慣がごく自然に繰り返された。

ありがたいことに読者もいるし、コメントをいただくこともある。一番嬉しいのは、感謝されることだ。人間が一番嬉しいのは、誰かのために何か貢献できたという実感を、得られるときなのではないかと思う。こちらこそありがとう。読んでいただいて。


もうすぐ二年目になるけど、まだ繰り返されるあの二つの問い


「自分は何を書けばいいのだろう」

「これに何の意味があるのだろうか」


に対する答えは見つからないし、これからもずっとついてまわることなのかもしれない。

けれど、一つ忘れていたことを思い出した。大事なこと。冒頭に書いた、


「何か残るものを作れたらいいな」


という願望のことだ。noteを始めた理由だった。わからないままでも書き続けた文章は、全て残っている。途中からGoogleドキュメントで下書きを書くようになったので、バックアップもとれてる。

これまでに書いてきたものが全てなかったとして、また一から書き始めることを想像してみる。途方に暮れる。無理だ。それに、あの時にしか書けなかったことも、いっぱいある。


「何かは残っているし、そして今日もまた一つ、その何かが積み重なった」


砂上の楼閣なのかもしれないけど、その事実は忘れないでいよう。


追記


この記事で通算500記事となりました。

またつまらぬものを残してしまいました。


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