孤立系になりたい日
「ひとりの時間が多すぎるなんて、寂しすぎるから無理」
と
「ひとりの時間が少なすぎるなんて、疲れすぎるから無理」
の2つのタイプに人間を大別できるとすれば、僕は間違いなく後者だ。前者側の人からすると、理解しがたい話かもしれないけど。
仲の良い友人に前者のタイプの子がいるけど、その子いわく「1日中誰とも会わない日なんて、寂し過ぎて無理」と言っていた。結構前に、記事にでも書いた子だ。
だから、彼のようなタイプの人たちがいることも知っているし、彼らのようなタイプの人たちが積極的に遊びに誘ってくれるおかげで、これまで知らなかった世界を知ることもできた。
釣りに行ったり、テニスを始めたり、一緒にプールへ行って平泳ぎを教えてもらったりした。(実はそれまで、ガチのカナヅチだったのだ!)
夜中に車を走らせて天体観測しに行ったり、広島市内にある温泉に浸かりに行ったりもよくした。冬には広島の北の方へ赴き、大雪が降っている道の駅に車を停めて、ふかふかの雪に思いっきりダイブしたこともあった。
たくさんの楽しい思い出を一緒に作ることができて、本当に感謝している。
だけど、僕は休日の予定がパンパンに詰まったりして、ひとりの時間が全然取れない日が続くと、ぐったりしてしまうことが分かった。
土日とも夜遅くまで一緒に過ごした翌日は疲労感がとんでもなくて、誰とも会わずひとりで過ごしていることが多い。研究とかバイトなどで、どうしても人と会わないといけない日は別だけど。
ひとりで過ごす日は、よくカフェに行ったり、本屋に行ったりする。ここでのんびりと小説を読んたり、noteを書いたり、研究で必要な知識が書いてある本を開いて勉強したりしている。
ひとりで過ごしたいけど人の存在も感じられる空間として、カフェや本屋、図書館は最適な場所。
こんなふうに書くと、「人付き合いが嫌いなの?」と思われるかもしれないが、そういうことではない。
友達と過ごす時間は、幸せに感じるし、かけがえのないもの。ひとりでゆっくりする時間がないと、心がアップアップになってしまうだけなのだ。そうならないように、ひとりでゆっくりする時間を取っている。
ダムに水が限界まで溜まって決壊する前に、放流する必要があるのと同じように。
なぜ誰かと一緒にずっといると、疲れてしまうのかは分からない。もっと自分がタフだったら、こんな面倒なことにならなかったのにと思う。
たぶん、人より刺激を受け取りやすいのかもしれない。周りの人の微妙な表情や声音の変化も、気づいてしまう。
情報フィルターの目が粗いのかな。ちょっとしたことで、頭の中がすぐにいっぱいになってしまう。
ひとりになりたいと思う時は、本能的に外部からの刺激をシャットアウトしようとしているのかもしれない。
そういえばこのことは、大学の熱力学で学んだ孤立系と似ているなぁ。
孤立系は、外界と物質・エネルギーのやりとりがない。(記事の最後に参考文献を貼りました。そのサイトのイラストを見れば、もう少しイメージしやすいかもしれないです。)
字から連想されるように、それは外界と孤立している状態。
単語の印象はよくないけど(孤立ってね)、予定がぎっしり詰まった日が続く時は、この孤立系のようになりたがっているのかもしれない。
孤立系は、必ず平衡状態に向かっていく。それは、ひとりの時間を取ることで、日中に外部から受け取った刺激が鎮まっていき、心が凪いでいくみたいなもの。なんか最後、カッコつけた表現を使ってしまった。反省。
そしてこの孤立系の状態を経た翌日には、また元気に人と接することができる。
こんな感じで僕は定期的に、ひとりになる時間を設けている。周りからするとめんどくさい奴かもしれないけど、この時間をしっかり取らないと頭がぼけーっとしてしまう。
今のところ日常生活をやりくりできているが、社会に出た時が不安だ。仕事や恋愛で、うまくやっていけるかなぁ。
「孤立系になりたいので仕事を休ませてください」とか、恋人ができて、「孤立系になりたいから今日は会いたくない」なんて言ったら、怒りを買いそうだしな。
とりあえず今を微分することだけに集中して、先のことは考え過ぎないようにしよう。
まあ、未来の自分はなんとかうまくやってるだろう。
知らんけど。
参考文献
孤立系のほかに、閉鎖系と開放系があります。信州大学さん、お借りしました。
閉鎖系は、外界とエネルギーのやり取りができますが、物質とのやり取りはありません。
開放系は、外界とエネルギー・物質のどちらともやり取りがあります。
熱力学でこのことを習った当時は、記事に書くなんて微塵も思っていませんでした。
熱力学のテストがダメダメだったのを、ついでに思い出してしまった。苦手だったんだよなー、熱力学。無事に単位は取れましたが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?