さよならが出会ったときから育っていた
引っ越しの荷造りをしていると、この6年間(大学生活+大学院生活)の記憶が思い出される。
新しい生活が始まるということは、今の生活が終わってしまうということだけど、そんな当たり前のことに、引っ越しの準備をしているときにやっと気づいた。
この6年間は、長いといえば長かったし、短いといえば短かった。この後の人生の過ごし方によっても、この6年間の体感時間は変わるのかもしれない。
この6年間で得たかけがえのないものは、何だっただろうか。
量子力学や統計力学など、学部生で勉強したこと。修士に入り、研究することで掘り下げた専門的な知識。
それらはもちろん、かけがえのないものだ。けれど、もっと大事なものを、この学生生活で見つけることができた。
それは親友だ。これは何ものにも代え難い。
3人の親友ができ、僕も含めて4人でよく共に時間を過ごしたけど、こうして育んだ友情が一番の宝物になった。
どれだけお金を積んでも、深い友情は買えない。苦楽を共にし、長い時間をかけて信頼関係ができたときに、親友になることができる。
支え合うこともあれば、傷つけ合ってしまうこともあったし、いっしょに強くなれることもあれば、弱くなってしまうこともあった。
それらすべての経験が、友情を育むことに繋がっていたのだと、この6年間を振り返って感じた。
ガイダンスのときにたまたま席が隣だったとか、そういった何気ないきっかけで交友が始まったけど、今振り返れば、それは仲良くなるには十分すぎるきっかけだったのかもしれない。
殻にこもりがちで社交性ゼロ(今はすこしマシになったと信じている)だった自分だったので、こうして親友ができたことは奇跡に近いことだと思う。積極的に遊びに誘ってくれたことに、本当に感謝しなければならない。
また、生まれ育った場所も違うし、過ごしてきた環境も違うのに、親友になれるというのは、やはり不思議に思う。
それぞれに持ち味があって、互いに補い合っていたのだと思う。友達であるということは、その人のどこかにかならず、尊敬している部分を見つけていると思う。
それが嫉妬に繋がることはなくて、ただ純粋な尊敬のまなざしのまま。自分の知らなかったことを、いっぱい教えてくれた。
「人は周りの5人の平均である」という言葉を聞いたことがあるが、これは文章にも当てはまっていると思う。
読者からありがたいコメントをいただくことがあるが、あの文章を書けたのは自分の力だけではない。書いたのは自分ひとりだったけど、その文章は同時に、彼らの文章でもあったと思う。
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当たり前に続くと思っていたこの生活も、もうすぐ終わりを告げようとしている。初めて出会った時は、そんなことを考えるはずもなかった。
この歌詞の言葉通り、あの日から、さよならが育っていた。
それぞれの新しい生活が4月から始まるけど、本当にすばらしい友達だったし、これからも関係を維持したい。
10年後(僕は34歳だ)とかに会った時に、どんな変化が起きているか、たのしみである。
僕はたぶん、そのときまで文章を書くのをやめていないと思うので、久しぶりに再開した時のことを書きたいと思う。
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