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もうこの世にいない人との対話

 中学の国語の授業のとき。「昔の小説を読むと、時を超えて作者と対話している気分になれる」と言っている子がいた。自分が生まれていない、ずっと昔の頃に書かれた作品を、今こうして手にとって読むことができることに、その子は感動していた。

 これを聞いた僕は、「ふーん」と、何もピンときていない様子だった。正直、当時の自分は、そのことについて何も感動してなかった。授業で有名な古典作品を読んでも、「はいはい、こんなのが当時、流行っていたのね」と、あしらっていた。「時を超えて読み継がれているのかしらんけど、興味ないね」と、思っていた。「古臭い」とまで。

 

 

 近ごろ、海外の昔の小説を読んでいる。ジョージ・オーウェルやヘルマン・ヘッセ、アルベール・カミュといったあたり。この人たちは、もうすでに亡くなっていて、この世にいない。年末年始に帰省して、実家の本棚にそれらの作家の小説があったので、広島に持って帰って読んでいる。文化も違うし、時代も違うから、読んでいてむずかしい。翻訳されているから、日本の小説ではあまり見受けられないような言い回しもある。

 それでも頑張って読み進めると、あの子が言っていた意味がわかってきた。この作家たちは、物語を通して、何かを伝えようとしている。そして、この人たちは、もう生きていない。だけど、この人たちが残していった小説(小説だけに限らずに本全般に言える)を通じて、今はもう存在していないこの人たちと、対話しているような気持ちになっていたのだ。理解できない部分もいくらかあるけど、心が通じ合うような感覚に包まれる瞬間が訪れる。「ああ、こういうことか」

 実際に会って話すことはもうできないけれど、こころの中に、新しいお友達ができた。そしてこれからも、増えていくだろう。悩んでいる時に、この人たちが、隣でささやきかけてくれる。特に、ジョージ・オーウェルがしゅきだ。『動物農場』を1作目に読んだけど、あの世界観に引き込まれた。自分は、風刺が効いた作品が好みなのかな。今は『1984』を読んでいる最中だけど、これもすばらしい作品だと思う。つづきが気になってしょうがないよ。あの、ひょうきんもの感ただよう顔もいい。


何かおもしろいことを考えていそうな顔


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