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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり  パート18


 二度目の修養科では忘れられない仲間が多いですが、特にこの世を出直されたお二人に言葉に尽くせない思いがあります。
 
 前に、今回の修養科ではお互いに「おさづけ」を取り次ぎ合うことを奨励されたと言いましたが、岡山の教会長のFさんとはほとんど毎日と言っていいほど修養科の帰りに神殿でお互いに「おさづけ」をし合いました。

 Fさんの身上は癌の末期という事で、上級の会長から修養科を勧められて来ておられました。若い頃は大学まで天理の学校で学ばれたそうで、アメリカンフットボールの選手だったとも聞いた覚えがあります。
 修養科であった時は病気もあって瘦身でしたが、人との接し方や考えを聞いたりする中で頑固一徹なところも伺え体育会の面影も残す人でした。
 しかし、教会に残してきた奥さんやお母さんを思いやる実に優しい人でもありました。私と同様に他の人へも積極的におさづけ取り次がせてもらえないかと、声をかける誠実な態度に感銘を受けたのを、今でも忘れることはできません。

 二期生から三期生になるころ、私の身上や事情に何度もお知らせを頂き、そのたびにFさんが心配して熱心におさづけ取り次いでくれました。しかしその、取り次ぎ方に独特ののようなものを感じました。
 自分と違うのは勿論ですが、多くの人から受けるおさづけの仕方とも違う感触の残ることがあって、回数や祈り方にムラがあるように感じました。
 それは今思うに。おそらくご自身の体調や気持ちから切迫した何かがあったのかもしれません。

 三期目に入ると私もインフルエンザにかかり、布教実習のの時期に欠席が続いたりしたのですが、Fさんの身上もまた深刻度を増して休まれる日が多くなってきました。
 担任の先生方やクラスメイト達も心配をしてお願い勤めなどをさせて貰ったりしました。ある時 先生が私に話されたのに、先生がFさんに「無理をせぬようにと忠告するのだけど、それでも無理をして修養科生活を続けるので、却って体調を悪くするようだ」と、こぼされたのを記憶しています。

 私が、繁藤詰所に見舞いに行った際、部屋から出てきた姿を見て、肉体から命の炎が抜け出そうな印象を覚えるほど、病気が進行しているようで軽いショックを受けました。Fさんは力なく笑って、それでも気丈に周りに迷惑をかけないよう、振舞っているように思えました。

 天理教ではみかぐら歌に「病の元は心から」とありますが、キリスト教原罪や仏教の業という程ではないにしても、因縁から身上・事情が起きて来るというので昔はかなりお諭しやお仕込みで厳しく言われる面もあって、特に教会長という立場では深刻に受け止める人も多いようです。
 Fさんは真面目な性格でもあり、スポーツマンだった負けん気の強い面もあったようです。それだけに、病気を克服したい思いは強かったのだろうと思います。
 今でも目の裏に残る最後の姿には、言葉には表せない無念が伝わってきたように思いました。

 お道では、神様に凭れる事が大切だと言われ、成ってくることを受け入れるたんのうの心を養うことが重要視されますが、それは他人には言えても、いざ我が事となった時には、とても難しい事です。
 会長職の立場で修養科に入られたFさんが、最後まで一生懸命向き合って取り組んだ姿で私に見せてくれたのだと思っています。
 
 もう一人、別の男子クラスの同期で静岡の沼津から来ておられたⅯさんも、まだ40代で小さい息子さんが居られる会長さんでしたが、余命宣告を受けた身上をもって修養科に入って来られた人でした。

 Ⅿさんも入学当初から積極的におさづけ取次ぎをさせて欲しいと声をかける姿を、あちこちで拝見していたので、私とも自然と接近することになった人でした。
 どちらから声をかけたのか、最初にどっちがおさづけ取り次いだのか忘れましたが、彼が信じられないほど優しく澄んだ人柄だというのに感銘を受けたのが、強く印象に残っています、

 おさづけは親神様・教祖様に助けたい人の事を伝えて祈り、「あしきはらい たすけたまえ てんりおうのみこと」と三度唱えて、患部や一番直してもらいたい個所を優しく撫でさすり、それを計三回繰り返すのですが、取り次ぐ者が直すのではなく取次ぎを通して親神様の自由のご守護が働くのだと聞かされます。
 
 取り次ぐ者と同じ席に親神様・教祖様が一緒に居られるように意識するのがいいとも聞きましたが、私はその時Ⅿさんの心根を直接見たように思ったのは、そこに親神とおや様が、見抜き見通しの目をもって存在されたからなのでしょう。

 Ⅿさんは二期生の途中で、脳内出血で倒れられて緊急手術を受けられ同期生全員で神殿でお願い勤めをさせて貰いました。最後まで復帰はされなかったのですが、手術は成功し意識も取り戻されました。

 FさんもⅯさんも修養科卒業後に相次いで出直されたと聞きました。

 Fさんとは不思議なご縁で、地元に帰ってから、全く天理教と関係のない絵の先生の家に遊びに来ていて知り合いになった異端の教会長さんが、Fさんと同じ大教会部内の所属で、他の関係者とは違う見地から精神世界の話などをしても、理解してくれる数少ない会長さんで尊敬していたと、話してくれたことがありとても驚きました。Fさんは子供さんはおられず、弟さんが後継者として会長になられた事も知りました。

 Ⅿさんは、奥さんが小さなお子さんを伴って次の期に修養科に入られていて、卒業の時に感話大会で発表されたと風の便りで聞きました。おそらく、Ⅿさんの意志を奥さんが継いで、会長職を受けられたのではないかと思っております。

 このエッセイのこの回を書くにあたって、修養科当時のノートをめくっていたら、天理教は「世界たすけ」を標榜しているのですけれど、「世直し」ではなく「世直り」という書き込みに、二重丸してあるのが目に入りました。
 
 信仰というのは、自分の思いではなく、親神の思し召しで成って来る世界を、喜び勇んで生きるという事なのだろうと思います。願うにしても自分の我が身勝手からではなく、親神の思いが遂げられることに凭れることが出来るように、成人するのが問われているようで、それは一回限りの人生だけでなく、生き通しの魂の課題でもあるのだろうと思います。



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