『真相』

なんにも情報がないというのは
厄介なことです

事前に分かっていたり
知っていれば
準備することもできますが

何も知らされなければ
準備はおろか
配慮することも
押しはかることも
出来ません

はたまた自分がいま
どんな状況下に置かれているのかも
分からず、不安に苛まれることでしょう

ですが…
我々は想像することはできます

肝心なのは
想像するとき
その物事を自分は
どう捉えたいのか
ということなのかもしれません

同じ物事でも
ある人は悪く捉え
ある人は良く捉えるかもしれません

同じ人間でも
その日のコンディションによっては
悪くとることもあれば
良く思える時もある…

どう捉えたとて

それが真実なのか否かは
わかりません、、、
それはあくまでも想像なので…

では確かな情報とは
一体何なのでしょう

仮に
一つの情報を事前に
知らされていたとしましょう

果たしてそれは
真実でしょうか

嘘偽りの情報かもしれないですし
確実な情報かもしれません

その情報を信じるも信じないも
その人の自由ですし

情報を提供する側も
どんな手法で提供するのか
その情報は確かなのか
それを弁えた上で発信するべき
なのかもしれません

ただし、それはあくまで
公のメディア等の話

個人のやりとりや
ソーシャルネットワークにおいては
自己責任となり
モラルを問われる問題でしょう

ここで
失敗例をあげるとすれば

発信側は見られていることに気がついておらず
閲覧側はその情報を鵜呑みにすることがあるという事例

発信側は閲覧されていると思い込み、実際誰も発信に気がついていない事例

されど、全く情報がないことにより
考えあぐねたり、誰かを強く想ったり、創造力を働かせる空想等もまた
人間にとって
必要不可欠だともいえましょう

そう考えますと
昨今の情報社会において
我々は
とても大切なことを
見失いかけているのかもしれません…

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