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「公園でのアウェイとの闘い」昔話10

 モーちゃん家は北の方にあるK小学校の校区の境。ちなみに、公園のある家の東側の道路の向こうはO学校。
 K小学校には入学前に母さんと一度歩いた。
 母さんは目印や注意すべきところをモーちゃんに伝えていたが、モーちゃんは気にせず歩いていた。
 学校に着くと、母さんがそこにいた小学生に「来年入学するからよろしくね」と言っているのをモーちゃんは恥ずかしく見ていた。
 グラウンドの横を通るとモンキチョウが飛んできた。モンキチョウはモンシロチョウより珍しく。モーちゃんの仲間たちは、見つけると必ず「モンキー」と言って猿の真似をして騒ぐ。モーちゃんはその収拾のつかない状況にいつもイライラしていたが、今回はモンキチョウを無事捕まえた。いつまでもチョウを手で持っていると母さんが挟めとチリ紙をくれた。家に着くとチョウがひらべったくなっていて、ちょっと後悔した。
 ところが入学直前に校区が変更になり、モーちゃんはおんぼろで有名なI小学校になった。がっかりしていると母さんは「I小学校は水洗便所でプールもある」と威張っていた。当時は水洗便所もプールも特別だった。
 いつもの公園は東側の道路の向こう側だからO小学校校区。公園には3つの小学校の子ども達が入り混じる。(数年後、O小学校の一部がE小学校になり、4校が集まることになるが)お近所とか、同じ幼稚園とか様々なことで派閥的なものが生まれる。その中で、大きな派閥のないモーちゃんは「お前I小か~、おんぼろ学校。お化け出るぞ」と散々はやし立てられた。その時は何も返すことができなかった。何せ相手のO小学校はきれいだし、新しいE小学校にはエレベーター(給食運搬用だが)もあるという。「何だよ、うるせえな」と思いながらも絶対勝てないとあきらめ、言われるままになっていた。
 1年生になると、お向かいのサタケ兄弟が自転車に乗って公園で遊ぶようになった。自転車のないモーちゃんは走って追いかけていた。それを不憫に思ったのか、父さんが自転車をもらってきた。かなり古かったが自分の自転車を喜んだ。早速自転車屋さんに補助輪をつけてもらった。ところが、補助輪は後輪から斜めに支柱が伸びているやつで、乗っていううちに支柱ごと後方にまがって役に立たない。だからモーちゃんはほぼ補助輪なしで乗っていることになる。最初は転ぶのが怖くて支柱がまがるたびに蹴って補助輪を地面に垂直にしていたが、そのうち面倒になり、かまわず普通に乗っていた。
そんなモーちゃんに「もっと小さいやつが補助輪なしだぞ」と周りがはやし立てた。最初は補助輪が役に立たず、乗れていることを主張したが、少数派閥なので全然通じなかった。
 我慢ができなくなったモーちゃんは夕方前、母さんに頼み込んで自転車屋さんで補助輪を外してもらった。外れると同時に母さんを自転車屋さんに置き去りにして走り出した。「俺は乗れるんだ」などと叫びながらぐんぐん家に向かった。最後の角を曲がると、父さんが家の前で垣根の枝を切っていた。モーちゃんを見て父さんが叫ぶ。
「降りてみろ!」
「ん?」
 いかん降り方わからん。仕方がないから草の生えた痛くなさそうなところで転ぶことにした。
 今考えたら。足がつくので停まればいいんだけど、その時は父さんも怖かったし全く思いつかなかった。
 その後が大変。乗り方も適当だったこともばれて特訓が始まる。
 まずは降り方、これはすぐにクリア。続いて乗り方。またいで漕げばいいから簡単。
 しかし、父さんは許してくれない。片足をペダルにかけて何歩か反動をつけてから乗る練習が始まる。これはうまくいかない。場所を公園に移して練習が続く。「乗れるからいいじゃん」なんて口が裂けても言えず。父さんは指導の合間に「どこの馬鹿が騒いでいるかと思ったらお前だった」とか、「降りれと言われて慌てて転んだ」だのと厳しい言葉もちりばめる。暗くなって母さんが「ご飯だ」と呼びに来ても特訓は続いた。「俺の屈辱も分かってくれよ」と思いながらも後悔と反省の時間だった。
 そんな闘いの日々だったが、仲間に救われることもあった。缶蹴り名人と共に鬼になったいじめっ子を苦しめたり、基地づくりの名人と砂場で基地を作ったり、基本的には楽しく遊べるから毎回公園に行くんだけど。
 楽しく野球はできたけど小学校時代はアウェイ感ばかりで、闘いの連続の日々だった。当然問題はモーちゃんにあるのだが。

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