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「異年齢交流 ~公園で野球~」昔話08

 2年生になり、バットとグローブをもって公園に行くようになると、友達との野球はバックネット前になった。モーちゃん家は校区の外れだからいつも学校帰りに遊ぶ約束をできるわけではない。家へ誘いに行くか、公園で誰かが来るのを待つかである。だから平日はずっと一人で壁にボールをぶつけていることもあった。
 ところが土日となると公園は大勢の人でにぎわう。
 四角い野球グラウンドのバックネット前から野球が始まり、やがて対角のセンターからも別の野球が始まる。人が増えると四隅で同時に野球をする。わずか40×50Mのグラウンドの狭い空間で起きる。さらには辺のところでも野球をしていることもある。そのほか遊具のある方では小学生が自転車を乗り回したり、もっと小さい子を連れた母親がいたり、お年寄りが歩いていたり。たくさんの人であふれていた。
 野球のグラウンドには、休みの日になるとみんなから「おやじ」と呼ばれる背の小さいひげの濃い若い男性が来る。おやじにはなぜか存在感があって、おやじが来るときは、その場はおやじが中心になる。一緒におやじの弟のキンちゃんも来る。キンちゃんはおやじと違って背く高い色白である。モーちゃんは密かに二人を「ゲロゲーロ」で有名な漫才師青空球児・好児ということにしていた。一緒に遊んでいる中学生の噂話によると、「キンちゃんは頭がよくて、道南の○○町の高校から医大を受けて落ちたらしい」。モーちゃんは、「受けるだけでもすごいって言われるんだ。医大だもんな」と思っていた。おやじが来るときは、数人の仲間も一緒である。今思うと彼らは有職少年だったのだろう。なんか作業着の時が多かった。
 おやじの仲間に中学生やおじさん方も加わり、結構な人数で野球をして遊んでいた。来る者は拒まずで、3年生になるとモーちゃんも仲間に入れてもらったが、三振ばかりだった。実力に会ったルールも作られだれも楽める時間だった。ある時、そこにモーちゃんと一緒にいた友達も入ることになった。彼はしきりに「自信がない」とアピールしていたので、おやじがラストバッターにした。すると彼は「ラストバッターは一番につなぐ大事な役目があるから自信がない」と言い出した。その時はさすがにモーちゃんも「面倒くせえなこいつ」と呆れていた。
 大人がこんな狭いグラウンドでまともに野球をするとボールはすぐに公園を飛び越えるのでフェンスオーバーはアウト、直撃をホームランとしていたり、ソフトボールのときだったりした。ソフトボールでモーちゃんのバットを中学生が折ることがあった。父さんが「ソフトボールなんかで打つからだ」と怒っていた。バットが折れた悲しさより父さんの怒りの方が怖かった。怒りは一言で済んだので、ほっとしてテープを巻いてバットをしばらく使っていた。
 ボールは時々硬球なることもあった。硬球と言っても革はカサカサで、糸も切れているボロボロ。硬式のバットも出てくることもあっきた。硬球はちょっと怖かったが、硬球での野球はいつも短時間だった。
 ある日曜日の午前、父さんと公園に野球をしに行った。するとおやじたちと中学生が硬球で野球をしていた。「まずいな」と思いながら父さんとキャッチボールをしていると。父さんがおやじたちの硬球に気づき。
「小さい子供のいる公園で硬球はやめなさい!」とおやじたちに怒鳴った。
すると、おやじが「ソフトボールにしようぜ」と硬球をソフトボールに替えてして野球を続けていた。
 モーちゃんはもうドキドキである。何せ父さんはこの辺では最強なので、やられるというより、おやじたちが怒られるのが怖かった。また、おやじが文句でも言ったら父さんの行動も激しくなる恐れがあった。大人だから喧嘩なんかしないだろうけど、小学生のモーちゃんにはその辺がわからないし、なんか気まずかった。
 昼飯後、再び公園に行くと、おやじたちがいて、「お前の父さんおっかねえな」と言って笑っていた。なんか恥ずかしかったけど別に怒っていなかったのでほっとした。
 4年生になるとモーちゃんも中学生やおじさんに交じっても普通に野球ができるようになった。大きなバックミラーがついた自転車でやってきていつもモーちゃんたち小学生の野球に入ってくる村田のおじさんから2打席連続ホームランも打ったこともあった。
 その後、モーちゃんより下の学年も入ってきくるなど、いろいろな年代が集まって一緒に野球をすることになっていった。公園は4つの小学校の校区の外れにあったから、学校関係なしで、仲良く、または仲悪く遊んでいた。一緒にいたおじさんに叱られたり、褒められたりもした。友人関係、学年の違い等、人間関係の多くのことを公園で学んだ。

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