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「モーちゃん家の発展」 昔話05

 モーちゃんが生まれたとき、父さんと母さんは民家の2階を間借りして暮らしていた。
 2歳になるときその近所に1軒家を新築して移り住んだ。
 高給取りでない父さんは母さんの親つまりモーちゃんのおじいちゃんに資金援助してもらったらしい。母さんは大きな農家の娘だったのだ。
 新しい家の流しには緑色の手押しポンプがあって、そこから水を出していた。
 台所からちょっと離れたところに洗濯する部屋があって母さんの腰の高さくらいの台の上にたらいを置いて洗濯をしていた。モーちゃんは妹をおぶって洗濯する母さんの尻にしがみついて洗濯を見ていた。
 ある日、モーちゃんの家の裏(裏という表現は失礼だ。つまり玄関と反対側ね)にある工務店のおじさんが、江戸時代の棺桶みたいな大きな桶を担いでやってきた。それを洗濯の部屋に置いて、ストーブとつなげた。床の高さくらいの簀の子を設置。モーちゃんの家に風呂場ができた。
 ところがその時、まだ水道が来ていない。
 壁に丸い穴をあけポンプまでといをつないだ。ポンプの首を反対に向けて風呂に水を送った。
 いよいよお風呂。父さんと妹と一緒に入る。
 水が必要な時は、「うめてー」と叫ぶと母さんがポンプで水を送ってくれる。モーちゃんは壁に開いた丸い穴から水が来る様子を覗いていた。流しから水かやってきて、モーちゃんの顔にビシャリとかかった。
 どれくらいの期間そういう生活が覚えていないが、ある日の夕方、水道工事が行われた。
 このときは工事に時間がかかって夕飯が遅くなったことを覚えている。でも、蛇口がついて水がいつでも出せる。ポンプの時はモーちゃんが水を出せる成功率1割くらいだった。風呂場につながる穴もふさがれた。
 中通りの家はずっと地下水。蛇口をひねると電動ポンプが動き出して水が出る仕組み。地下水の方が冷たくておいしい水が出る。便利になったけど「水道の水はおいしくないね」という大人の会話も聞かれた。今思うとモーちゃん家が手押しポンプだったのは、水道になることが決まっていたからなのかもしれない。
 小学1年生の月曜日のよく晴れた朝、バキュームカーがやってきた。
「もう来た」と母さんがやや焦っていた。同時に、モーちゃんがその日に使う書き方鉛筆を逆に削ったようで「あら、失敗した」とさらに焦っていた。書き方鉛筆は尻の部分に名前を書く欄があって、逆に削るとちょっと残念なことになる。まもなく工事のおじさんたちもやってきた。母さんのダブルの焦りに加え、いろいろな人が来た。ただでさえ落ち着かない月曜日の朝なのに、いろいろなことが同時に起きてモーちゃんはすっかり動揺して泣いてしまった。それでも母さんはそんなのかまっている場合じゃない。
 「これから便所の工事が始まる。水洗になってきれいになる。帰ってくるころには新しくなっているから大丈夫」とモーちゃんに説明しながら、大急ぎで学校の準備を進めてモーちゃんを送り出した。モーちゃんは動揺しつつも、ここはしっかり学校に行かないと母さんが困ると思い、何とか頑張った。それにしても「スイセン便所」と言われても何のことだかわからない。モーちゃんの頭の中の便所には黄色い花が咲いていた。
 学校から帰ってくると、便器の向こうの広く臭い真っ暗な世界が、まっすぐ地下に伸びるパイプに変わっていた。汲み取り直後にお釣りを警戒したり、妹が小さなビニールのキューピーちゃんを落としてしまったあの常に臭く汚く落としたら取り戻せない恐怖がなくなった。
 学校から帰ると工事は終わていたが、水道工事が間に合わず、その晩は自分でバケツの水を流していた。
 風呂なしの家が多い中、水洗便所なんて近所の中ではかなり早い。超進歩的なのだ本当は。
 本当は、というのはその他ではほかの家より進歩していないところが多かったからだ。
 その時は我が家には冷蔵庫も洗濯機も掃除機もカラーテレビもなかった。友達の家にはどれも普通にあった。まもなく中古の洗濯機が登場した。炊飯器を両親ともに嫌っていて、令和の今でもお釜である。
 冷蔵庫、洗濯機、掃除機はモーちゃんが10歳の頃一気にやってきて、札幌オリンピックの時に電話もついた。
 でも、カラーテレビは中学生になってからで、ストーブはモーちゃんが大学を卒業しても石炭だった。
 家の発展はそんな感じで若干いびつに、他家の先へ進んだりかなり遅れたりしていた。
 その中でも親に感謝しているのは、モーちゃん家の文化水準が低くなかったこと。
 身近なところに筆記用具があり、いろいろな本がある。モーちゃんや妹たちに年代に合わせた学習雑誌、科学雑誌を定期購読し、図鑑や本を頻繁に買ってくれた。また百科事典も子供用、大人用がそろっていた。子供向けのテレビ番組を自由に見せてくれた。さらに小さなレコードプレーヤーもあってソノシートを聞いていた。積み木やブロックも豊富にあった。こんなのはどこも同じかもしれないが、画材は売るほどあって美術関係の全集は5セットくらいあったのは珍しいことだろう。そういえば、なぜか子供用の黒板や折り畳み式の木琴もあったな。
 とっても恵まれた環境を作ってもらったのに落ち着きがなく期待に応えられないモーちゃんであった。

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