笑いのもつ同調圧力
学生時代、友人から「笑いとは何だと思う?」と尋ねられたことがある。当時、私がどのように答えたか詳しくは覚えていないが、彼の回答は鮮明に記憶している。笑いとはズレなんだそうだ。Wikipedia等で調べてみても、笑いは予期せぬ出来事や構図からのズレから生じる、といった理論が述べられている。それでも私は今でも彼の答えに納得していない。構図とズレから起こる笑い以外にも、数多くの笑い方が存在すると思う。たとえば、古いアニメでは、単に楽しさを表現するために、キャラクターが笑い合っている場面がよくある。しかし、その場合、何がどのようにズレているのだろう?
現在、もし私に「笑いとは何だと思う?」と聞かれたら、「人間関係を確定するための装置」であると答える。「人間関係を確定させる」というのは「私たちは仲間だよ」や、「君よりも俺の方が優位な立場にあるよね」といった人間関係の確認のために使われているということだ。これだけだと「それは当然のことだろう」と思われるかもしれない。ただし、この定義を通して笑いを考察すると、予期せぬ出来事や構図からのズレが強力に人間関係を確定させるツールとして利用されていることがわかる。この記事では、笑いが果たす「人間関係を確定するための装置」という役割のうち、仲間を作る役割とその役割が同調圧力として強い力を持つことについて述べる。
「私たちは仲間だよ」というメッセージは笑いを生み出す。これは、あるあるネタや内輪ネタなどの理屈を考えてみれば推測できるだろう。あるあるネタや内輪ネタは話者と聞き手が共通の経験や知識を探し出し、それを確認し共有する過程ともいえる。共通の経験や知識があるよね、だから、「君と僕は仲間だよ」という意味になる。そして、共通項がより鋭く切り取られているように感じられるほど、つまり、共通点が細かく特定されているほど、そのネタは面白く感じられる。それはおそらく、それを共有できる人がより少ない共通事項を共有できたということで、より親密な仲間であることが暗に想起されるからであろう。
ボケとツッコミも同じ構造を持つ。ツッコミがボケに対してツッコむことで、「これが正しいと思う価値観だよ」というメッセージが明確になる。つまり、ボケは通常の価値観から外れていて、ツッコミがそれを正す。つまり、漫才師は掛け合いによって正しいと思われる価値観を提示し、観客がその価値観に共感を覚えることで、漫才師と観客は共通の価値観をもつ仲間になるのだ。ボケツッコミでは、正しい価値観と外れた価値観を同時に提示することができる。これは価値観の切り取り方をより鋭く魅せ、ネタの面白さを高める役割を果たす。
この構造は様々な笑いに当てはまる。お決まりのギャグで笑ってしまうのはお決まりギャグという共通知識を披露する人と観客で共有できるからと考えればわかりやすい。また、お笑いを全く面白く感じられないときはその芸によって提示される共通項を観客が自分自身の中に見いだせない場合だ。
下ネタの構造は少しばかり複雑だ。下ネタは、話者と聞き手がタブーという価値観を共有する。この時点ですでに話者と聞き手にとっての共通項が切り出されている。下ネタの場合、この手順を経て、その上、タブーを破るという禁忌を共に犯すことになる。つまり、話者と聞き手はタブーを破った運命共同体となってしまうのだ。下ネタを嫌う人の嫌う理由は禁忌を犯すという犯罪を聞き手に強いていることへの嫌悪感であろう。
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