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【連作ショートショート】magjam ─迷い─

◾️あらすじ

 時々泥棒と間違われることがあるため、特異技能の靴紐の使用は控えめに留める。
 その紐でリンゴも掴めるコヒンはマグジャムの見習い団員。
 マグジャムは旅芸人の一座で辺境の町から町を流れる。
 この話はマグジャムの巡業先の町、ラクチにおけるコヒンの日常。
 静かな物語。

※序章部分はこちらです。

◾️昼の廃墟
 
 探照灯の明かりが薄闇に輝き、コンクリートの壁を舐めるように照らした。
 元は立派に部屋と呼ばれた空間、腸の如く廊下が連なる廃墟の一室。
 埃だらけのベッドはカーテンで覆われる。 
 町の治癒者がその上に身を横たえ、二本の足を淡い緑の布地の外に突き出している。
 コヒンは開かれたドアを背にして佇み、隠れた口からの音響に耳を澄まさせる。
 自ら声をかけても応答は得られない。
 どうやらベッドの治癒者は眠っているようだ。
 線を引くような寝息が反復しているが、そのリズムが途絶えた場合は危険のサイン。
 
 乱れた絨毯の道に舞い戻り、コヒンは遊泳する具合に腸の廊下を進み直す。
 木造りの額縁から絵画も取り払われた、のっぺりした空間が続いている。
 大きなガラス窓は側方で保たれ、昼の日差しが内側に襞状の影を作る。
 丁度外には舞い落ちた一枚の枯れ葉、大柄な雨粒みたいにガラスの面を斜めに伝う。
 グラスのハープを使ったような音が微かに響く。
 衝突の音、砕け散る音。
 キュッという音、リンという音も。
 遠くの星屑の間を連想させる音響で、今度のコヒンは次第に廃墟の全体像を失っていく。
 テーブル端で孤独なグラスの教え、クリフの卵の先に広がるマグジャムの教えが思い出される。
 転落しそうになりながら、どうにか瀬戸際で持ち堪えている。
 あるいは押し寄せる潮流に従い、テーブル端からの落下を呆気なく遂げる。
 ごく稀に破損を免れ、中の水や花茶の液体を一滴もこぼさない。
 鮮やかな着地を遂げる場合もある。
 
 灰色の壁には赤色の文字が踊った。
 涙を流す生き残りに向けた警句が長く連なるが、逆しまの望みを伝えているようでならない。 
 コヒンは探照灯を地面に置くと、一本の靴紐で蛇の形を作った。
 その影を巨大な怪物のそれに変え、赤色の警句をしばらく噛ませた。
 以後は再び瞑想的な回廊、訓練途中で迷子になった七日靴を拾う。
 子猫の如く胸元に抱え、育まれた汚れをもう一本の靴紐で撫で摩る。
 これはコヒンなりの共感の作業だ。
 自分とは異なる空間に浸った足先の記憶、声にならない無数の呻きに思いを寄せる。
 
 身体の外の血溜まりが蹂躙される場面を想像し、胴から切り離された四肢の指、細かな肉片に同じ想像を繋いだ。
 元のところで悲劇が生じていると、コヒンにはそのようにも感じられやすい。
 一方で自身の呼気は絶えず手放すことを望み、コヒンも一つの駆逐の道を歩んで生を繋ぐ。
 
 やがて前方には見慣れた壁の広がり。
 赤い警句を怪物が貪る場面にコヒンは帰る。
 一日の内に同じ時間が二つ生じた感触。
 コヒンの中の喩えが手応えを失いかけている。
 耳の奥では足音の木霊が膨れる気配。
 そろそろ現れる頃かもしれない。
 カコという魔物の脅威が頭の中でもたげ出す。
 
 自分をエスコートする輩が自分になった。
 心臓の鼓動と歩行のリズムが乱れて絡み、コヒンは誘い込まれるように廃墟の地下へ。
 
(続)