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エレクトロニカ2024 Aug.31

前回はこちらです。

 スケッチブックの記述に残る夢を見ていた時。私自身の身体はリビングの西側のソファ、柔らかい座面の恩恵に与っていた。テレビと足裏の聖堂を向け合わせ、首から下を覆ったブランケットと横たわり続けた。弾力に漲るクッションが頭部を支え、突き出た鼻先を金木犀の香りが掠めた。左手を水平方向に伸ばせば、背の低いガラステーブルに触れることを行えた。
 
 遡ること二年程も前の話、私は右の目尻の脇をその角に接触させた。大事件とは無縁だった家庭に注いだ些細な災難、休日の泣き声。あの日の貴方のお腹ったら。膝小僧も大変そうにしていたな──後日に母親も父親も面白おかしい物語に仕立て上げていた。
 そしてまた、夢を見ていた私にも現在の私にも、ありありと思い出せる出来事がある。以前のソファのクッションカバーだが、片面には荒ぶる海の航海図が描かれていた。”我が子の頭やお尻が、大きな海に乗っかっているぞ”。春の日の父親が私に揶揄を飛ばした。止してよと私は照れ臭くなり、直ちにクッションを逆さに返した。温厚な笹の葉が苛立っていた訳だ。
 
 夢の名残は私の脳裏を襲った。ゴボッというもがきの音が放たれ、コラージュの夜景が大きく動き始めた。静寂の群れは拡散し、クラゲと花火の模様が巨大なパラシュート状に開かれ、幾分薄まった闇に弾けた。枝木の回転は速まり、付着した海藻やプランクトンを虚空に振り落とした。新しい泡が次から次に立ち、夢の舞台を球体状の粒で満たした。それから谷底に構える渦へ風が走った。物理の法則や気圧のあり方を顧みず、垂直の方向へ。
 
 きっと貴方は忘れてしまう。過去と未来の間で、その予測はギヤマンのクラゲのように結んでしまう。今日見た夢もまた、貴方の過ごす時間や光の中に溶けて紛れ込む。価値の不確かな物事が集まる棚の抽き出しを開け──何時のことだったかしら。倉庫でラクダの髪飾りを見つけた時もそうだった。一月ぐらいの間、貴方は大事そうに胸元に押し当てていたけれど──生涯放ったらかしのままでしょうから。
 夢の記述を進める母親の言葉は、私の気持ちの肩に触れていた。当時の私にとって、まだ夢や記憶の理解は浅瀬に留まっていた。カーテンで表情の半分を覆い、ベランダから自然の鳥や蝶の羽ばたきを見比べることにより、何となくだが勘付かされた。脳内の二つの働きから得られた感覚、それらの特殊な柔かさ。
 
 戸外から五階立ての住棟の一室へ、秋の夜風がゆったり吹き付けた。母親は鉛筆を置くと、書き終えたばかりの紙片を電球の明かりにかざした──三日前に、二人で水族館を訪ねたものだから。貴方の夢はこのように。水中の田舎娘みたいにね──母親は蓮っ葉な声でそう言った。父親の方も火を噴くライオンの前の席につき、母娘共々比喩が多いとこぼした。
 
 私が父親と訪れた水族館においては、世界中の海の魚が遊泳を繰り広げた。二人で入場口のゲートを潜り、最初に目にしたのは風変わりなサメの姿。レーシングカーのバンパーを思わせる頭の先を振るわせ、エイの一団と睦まじくしていた。クロマグロの群れはどれも眩い銀色の輝きを放ち、優美な青いホールの周囲を舞い泳いだ。海藻に膨れたお腹を隠していたのはシーホース。葉っぱに紛れる彼らの仲間はオーストラリアの海に住まうドラゴン、リーフィ・シードラゴン?  私の利き腕の指先は、水槽のガラスの前で思わず動きを取った。親指からの三本の指で開け広げた大蛇の口を模った。
 パネルの紹介文を通して得られる知識の数々は、さながら音楽の波だった。私の内奥にまで届き、四肢や器官を幾つもの舞台で戯れさせるもの。それで私は二重の扉を潜り抜け、こじんまりとした通路や渚のステージを越えた。鰭の面影を宿した片手で屋外の空気を掻いた。父親のかざした手の平に追われ、二人はまもなく互いの手と手を握り合った。短いまごつきを挟むと親子連れ立ち、水と岩場の妖精が踊る場へ。何頭ものペンギンが忙しくはしゃぐステージへ。
 
 時間と場面は些か前後する。私の関心は十数分の間、中途のブースで示された記録映像にも向けられた。例えばガリバルディという名の魚の身体、気高いオレンジの色合いに。あるいはキャンプ場の三角テントを連想させたヒトデの姿。ランプフィッシュのお腹の吸盤も私は見つめ、子守りの魚の額から垂れた卵の塊にときめいた。
 別の間では長靴を履いた男女の職員が、高所から円柱の水槽内を窺っていた。私も父親と階段を昇り、照明の照らした水面や魚の背筋を眺めようと試みた。その後に海草の林と背丈を比べ合い、尊い宝箱のように展示された水槽前へ。息を吹きかける程に口先を近寄せ、奥ゆかしい輝きに両目を凝らした。おそらく本当の水中におけるその発見は、落ち込んだ宝石を探すぐらいに難しい。暗い背景に守られた波打つ身体の細い線。脆くて崩れやすく、今にも消え入りそう。ギヤマンクラゲの裸体だった。 
 
 でも夢の中のクラゲや花火は透明の働きが進んでいて、私の眠りに博物館の居心地を感じさせていた。生い茂る木々の小枝が何時も感じさせるのは、両足を移ろわせ、立ち止まることもある町中の分かれ道。一本一本にフジツボや苔も取りつき、憂鬱そうな緑の色が繁っていた。先端の部分には恋しげな花だって咲いていて、空気の泡は童話の人魚姫? 私には答えは解らない。ただどの一つを覗いても綺麗だった。まるで水晶玉みたい。
 私の母親への抵抗も若干大人びた風に彩られ、紙片の一角を賑わしている。本当に、私自身の送った夢だったのか。成長を遂げた以降、記述を振り返る度に不審な念は抱かれる。母親と自らの間を巡る疑わしさの惑星。私の顎の脇には片手の指が添えられ、乱れた姿勢のままで小首も傾げられて行く。
 同じ眠りの続きの光景は、最早すっかり色褪せている。幼い私は力を抜いて変化を待ち続けたが、万物の何%がなだれ込んでいたものか。部屋の中の事物が如何なる影響を与えた、ニュースや父親や母親の言葉、それらを一体どれ程に掻き集め、夢の中へと招き入れていたものか。その日以前に見た無数の夢の景色も同様に。忘れてしまい……もっとも、毎夜接する代謝の激しい都市の中には、重なる部分も沢山宿るだろうと考えられている。
 
 母親は記憶を船に喩えた。海の藻屑に成り果てる船か、無闇な膨張を繰り返す船? あどけない思いの向くままに、私は母親に尋ね掛けた。記憶には色々な種類があるのよ、母親は続けて答えてくれた。船員や乗客の姿は増して消えて行く。化粧や整形手術も施され、その容貌は喜びや怒りに歪みもする。日々消化される瓶詰めの食料品、港で新たに仕入れた珍しい青果、長く失われることのない貨物、コンテナに納められた家の住所や電話の番号と、貴方を巡る数字や名前。船の続く限り、計器や操舵輪は変わらずに備わる。ええ、そうでしょうね。分電盤や緑色の絨毯が敷かれた船長室も。磨かれた甲板の光もあれば、スクリューも回転を行う。
 ならばその船はどうやって失われるだろう。私の中で可愛らしい疑問は今も時々揺蕩う。目深にかぶった帽子を調整する具合に、ささやかな不安の芽は取り払われる。穏やかな心構えを残し、私は安全な展望に立ち返る。前方に広がる時間を目掛け、自分なりの作業や運動をこなしてやまない。
 
 スケッチブックの記述からもう少し成長した頃、黄昏時に浮かんだ夢の中。私は大空を舞い飛ぶカモメの群れに出会い、束ねられることの叶わぬ恋に落ちた。自由な遊びや染色体の線を思い、奇妙な縁を感じ取った。追いかけたい衝動に駆られたが、その手に求めた彼らは飛び去ってしまう。だから絵画と見つめ合うように時間を送った。思い出に手掛かりの見当たらぬ羽ばたきや空模様だと、夢と覚醒の境の私は思い浮かべた。止めどなく生じた喩えの連なりの合間には、無数の戸惑いの手応えも覚えられていた。
 キッチンの母親が私の名前を呼んだ。焼け行く胡椒やハーブの香りが、私が身を横たえたソファーの方まで漂って来た。シナモンやサフランの匂いと渦巻き、その時の夢の扉をにわかに閉ざした。母親が凝らす料理への工夫について、私も父親も微笑ましく感じた日々が日常に栄えた。疎ましさなら安眠を行いやすい体質に紛れ、盛んに迷子。一度ならず、一人娘の私は両親とメザシみたいにソファに並んで座った。往路の道はどうやら私が最も速く駆け、三人それぞれが異なる夢の世界に辿り着いた。
 
 アラビア数字の時計のメカニズムは活動を続け、脳内のシーホースは私に潜んだ情報の整理にかかる。健やかな胸の丘陵が、ピンと張られたテープに接することで優しさと溜め息は始まる。張り詰めたはずの頰も顔から剥がれ行く。暗闇からの口付けを受けた瞳の視界が溶け出し、窓の外に広がる景色が変わる。
 十歳の誕生日を迎える頃。私はもうすっかりと、夢の不思議に囚われていた。
 
 
▪️参考文献
葛西臨海水族園ガイド 公益財団法人 東京動物園協会