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【連作ショートショート】magjam ─豊かな曲折─

◾️あらすじ

 時々泥棒と間違えられてしまうため、特異技能の靴紐の使用は控えめに留める。
 その紐でリンゴも掴めるコヒンはマグジャムの見習い団員。
 マグジャムは旅芸人の一座で辺境の町から町を流れる。
 この話はマグジャムの巡業先の町、ラクチにおけるコヒンの日常。
 静かな物語。

※序章部分はこちらです。

◾️昼の郊外と駅舎
 
 大きな革張りのトランク内。
 窮屈な居心地は、マグジャムで行った脱出芸の訓練以来。
 複数の車輪の音は雷鳴みたいにひた続く。
 多分現在はラクチの北の郊外、深い雑木林の畔をザカの側車で運ばれているはず。
 不確かな状況も継続し、言葉の所々を一層曖昧さを含んだものに変えている。
 トランクを運ぶ輩が本当のところは誰であるか、それさえコヒンには定かではない。

 鼻や口の側には一本の熊の爪。 
 中身は空洞化した状態で、ザカに跨がる前のユマは小さな洞窟と感想していた。
 訓練気分で空っぽのトランクに籠ったコヒンだが、時折自分の言葉をその洞窟に封じ込めている。
 逆さの角笛みたいに扱い、暗い閉所においても広やかな繋がりを探し求める。
 
 コヒンは何時かのお絵描きの続きでも始めたいみたいだね──駅舎で会う前に続いたユマとのやり取りが思い出される。
 何時までもパステルとクレヨン描きの子供ではいられまい。
 コヒンにもそのようには考えられている。
 目眩くナグの幻燈のイリュージョン、ヤクブの振るう陶磁のナイフ、カネトの怪力にゾウイのテーブル上の魔法さえ。
 マグジャムのレギュラーたちの特異技能の芸は、どれもどこか妖艶でおぞましく。
 横柄に座した大人たちの身の毛をよだたせ、下半身を冷たい汗に浸からせることにも成功している。
 ある意味では荒廃の限りを尽くすことにより、かつての座長が説いたところの影の倒立を果たす。
 
 久しぶりに、笑えてしまうデートのお誘いだったよ。
 町の建築物の入口や門構えで微笑むことができる、それは大した吉兆なんだとコヒンは教えてくれた。
 それでもこちらは心苦しさを覚えてしまうんだ。
 今から花茶の準備は手間がかかるし、何よりコヒンは魔法瓶の芸を無断で自分の話に用いていた。
 断じて許せないとは言わないまでも、気分が優れる結果にはなりそうにない。
 ううん、決してそうはならない。
 重要や肝心なこと。
 コヒンの言動は不用意だった。
 こちらの不愉快な寝癖を叩き起こしてしまったよ。
 
 今日は新しい剥製が運ばれて来る日だ。
 剥製だって?
 
 ユマはそう言ってペースを整え、お臍を曲げ直した。
 やがて待ち合わせたコヒンの後を追い、駅舎のポーチの下を抜けた。
 丸天井の細密紋様の下で踊り辛そうにしていたが、水の巡りに深く通じる思考や口を開いてくれた。
 新しい約束めいた会話でコヒンに応えた。
 
 トランクに込められて眠る動物を見かけたら、マグジャムの一員であると身分を明かそう。
 遠縁の親戚の保護者みたいな運び屋との関係を育み、持ち運ぶトランクの一つを譲り受けよう。
 マグジャムのキャンプ、北の郊外の修理職人、ラクチ界隈の配送先へ。
 こちらが駐輪場に置いた側車の付いたザカで運ぶ。
 二枚ばかりのお札を受け取り、その紙幣でお互いの目元を覆い隠す。
 硬直した動物から伝染したイメージをそのままに、幾分ぎこちない動きの亡者として街並みを巡る。
 丘の緑の道もぶらつき、君の好んだベルニカの幹に一緒に背中をもたれさせる。
 
 コヒンには微笑ましいと言えた話だが、何時まで待てば良いのだろうか。
 運び屋は午前の早い時間に既に過ぎ去った、コヒンとユマとが辿り着いたのはその後かもしれない。
 やるせない可能性は時間に虚しさを漂わせ、二人の構えを堕落の方に調整していた。
 
 コヒンは柱の周囲で身持ちを崩し、両手にかけて輪にした靴紐をユマに取らせた。
 コヒンも繰るとよく肥えた蝶の形が出来上がり、ユマは自分の口元を衣服の袖で覆い隠した。
 尚も紐練の遊戯に耽りつつ、先達のバタルの流れるような姿勢を二人で思い浮かべた。
 艶やかな踊り手がマグジャムを巣立った理由について、ある日に秘密のフレーミングを所持する相手に出会った、身体の骨盤までもがうっかり恋に落ちた。
 バタル本人からは短い説明を聞かされていたのみだ。
 そこに本当にうっかりみたいなことがあるのだろうか。
 コヒンはユマとしばらく話した。

 謎多き恋の話題でわずかに膨らむと、その後にようやくトランクを携えた大人の姿を見かけた。
 身の丈は列車のドアと同程度、全身は黒ずくめの装いだった。
 ローラー付きのトランクを身体の左脇に転がし、改札を抜けると賑わう丸天井の下へ。
 これが先駆者や斥候役なら、例えば周囲をゆっくり見回す慎重さや退屈さを示す。
 群れから逸れて遅れた立場なら、いそいそとした身持ちで大時計の下も走り抜ける。
 他に高まる可能性には如何なるものが考えられるだろう。
 コヒンとユマは様子を見守り続けた。
 
(続)