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【連作ショートショート】magjam ─臨界─

◾️あらすじ

 時々泥棒と間違われることがあるため、特異技能の靴紐の使用は控えめに留める。
 その紐でリンゴも掴めるコヒンはマグジャムの見習い団員。
 マグジャムは旅芸人の一座で辺境の町から町を流れる。
 この話はマグジャムの巡業先の町、ラクチにおけるコヒンの日常。
 静かな物語。

※序章部分はこちらです。

◾️長い夕暮れ 占い小屋
 
 ニムの占い小屋だが、何時も居住用テントから少し離れた地点、肝臓角と呼ばれるポジションに軒を構える。
 内部は意外と書棚が少ない。
 皮膚に痒みや痺れをもたらす草花が随所でその葉を広げ、天窓の下には背丈を越したサイズの望遠鏡が。
 コヒンは焦茶の木戸に三回のノックを繰り出し、入室すると山菜とスープの食事を中央の長机の上に置く。
 ニムはその場の席で黒球を編んでいたのだが、両手の動きをはたと休めた。
 新たにお椀の上の酢漬けにされたキノコ、野豆や人参を長箸で摘み出す。
 普段はかような食事風景にそぞろさも覚えるコヒンだが、今日は東側の木造りのベッドに腰掛ける。
 寝台のまた一つの黒球模型と親しみ、ニムの食事の終わりを待つ。
 
 作り物の奥歯でじっくり噛み締める動きが続く。
 咳払いを行うと、膝上の手拭いで口元を拭った。
 軽い身振りの中にも自身の未来を見ているようだ。
 現在のマグジャムの中では最高齢で、団員からの要請に応じて座長の代行も務める。
 そんなニムとの別れの時は近いと言うが、食や知識への欲は依然として漲る様子だ。
 美味だと感じているまでだろうさ──コヒンの気持ちを察した風に言葉の皺を広げると、ニムは逆さの淵から覗いたような新鮮さを語ってくれる。
 左様な淵に瀕した者の言葉、どれもかつては現在よりも敬われていたと。
 所謂天寿をまっとうする終局からは程遠い、赤子や幼子の言葉の魅力はどうあるのだろう──コヒンは不意に生じた疑問を向ける。
 人が広義の転生を遂げる人生観があること、虚無の淵から這い出て同じ淵へと帰り着くそれも。
 あるいは緻密な科学技術や怪鳥が運び来る子供たち、馬小屋や牧場の営みをなぞった出生の道、猿からの長い進化の過程。
 暮らしや戦争の基盤もなした、虚構の宝卵の内実は様々。
 加えて宝卵は一つとは限らず、関節の如く各所に宿る宝卵もある。
 幼子の魅力も宝卵の内実に従い変動し得る、いずれかの宝卵を取り巻く形で生まれ出ずるだろうさ。
 ニムは占いの言葉解きを施すみたいに続きを語った。
 
 コヒンは目を開いたまま小さな闇と触れ合う気分。
 占い小屋のベッドの端に腰掛け、幾分寂れた時間を送る。
 長い中間に身を置いた、町の働き盛りの人たちについても考える。
 動的な生の豊かさに自分自身も囚われてやまないが、その性向が災いしてか、一層の凄惨さを求める溝地に嵌まり込んでいるようだ。
 ひょっとするとだが、そこにマグジャムの芸事を繰り広げる意味が見出される。
 コヒンが線の翼の如き靴紐を伸ばすことの意味、揺らめく炎を超えて行く意味も。
 それも所詮は儚い街角を巡る力、多様な羅針盤の一つにすぎないかもしれないが。
 
 冷たさを増した夕時の隙間風が入り込み、鉢植えの植物の葉や花をそよがせる。
 東の天窓の枠には上昇を始めた円形の月の絵、星々の点描も。
 ニムは瓶詰めのカフ茶の粉をスプーンですくい、温かいスープの中に注いでいた。
 まだその啜りを続けているところだが、今度のコヒンは繊細な思いに囚われる。
 玄関の木戸を逆方向に抜け、北の奥に広がる林へ進んだ。
 霊園の裏手に通じる野道が切なく伸びている。
 右手の岩の上では二匹のガクネズミが肢体を安らがせ、忍び寄るコヒンに気付いた様子で首を回した。
 コヒンは暗がりの中を静かに移ろい、周囲の赤や紫の花々、果樹の大木の沈思な佇まいを愛で回す。
 野生のキノコに靴紐の先で触れ、林床に落ちた木の実を片手で掴み損ねる。
 昆虫の弦楽隊の鳴き声に耳を傾け、楽器を組み込んだような身体の造りを不思議と思う。
 
 穏やかな呼吸を束の間と交わらせた。
 上空には無作為に投じられたビロードのような闇。
 そっと辺りを包み込み、崩落の後で小高い町の夜を築き上げていく。
 気球状の物体も浮遊し、明るい西の方へとゆっくり流れ飛ぶ。
 観測気球だろうか。
 コヒンはもう少しばかりの散歩をこなす。
 
(続)