色んな事を乗り越えてきた筈なのに、今日こそは乗り越えられないだろうと思う事の不思議
少しずつ進んでいるという実感はあるけど
明日の仕事が朝早いのに、こんな時間に書いている。と言うか、明後日は健診があるな。
あと少しで新年度だ。だから、バタバタしているのだろうか。やらなければならない事がたて込んでいる。
重要な事は、地味に積み重ねて行く事だろう。それは、昨日も書いたけど。
重要な事はもはや金よりも時間で、それは明確な答えとして出ている。これだけやる事がたて込んでいるのに、相変わらず金を優先していたら普通に考えて気狂いだ。
いや、確かに自分は精神病患者なので既に気狂いだと診断されてはいるけど。ただ、それも既に約21年前からの事だ。
重要な事は地味にスピードを上げて行く事で、今日だって何もやらなかった訳じゃない。通院したり、親戚に譲る自転車のメンテナンスをしたり、CDを処分したり、減ってきたインスタントコーヒーを買って来たり。
結局、やった事と比較してやっていない事を多く感じてしまう
それにしてもそのスピードを上げているというのも、あくまでも実感でしかない。スピードって言っても、客観的に測定している訳じゃないからね。
結局やっていない事が色々あって、明日以降またそれらをやらなければならない。
今の時点でまだやっていない事は、電車の定期の購入、通信制大学の資料に目を通す、今日の分の新聞を読む、ボディソープとシャンプーを買う、ツナ缶を買う。思い付くだけでも、そんなところか。
それで思ったんだけど、今まではどうやって明日を乗り越えてきたのだろうか。その乗り越え方が、いまいち思い出せない。
明日こそは最悪のミスをするのではないだろうかとか、考えてしまう。
結局、マイナス思考で考えている。それでも、こういうふうに考える事の利点はあるだろうね。本当にミスをした時の心の準備をしておくという意味では。
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