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負けない戦いではなく、勝つ為の戦い

つまり、無難にまとまってはいけない どうも自分は負けない戦いをしていると思われている節があるが、特にそういうポリシーはない。寧ろ、本気で勝つ為の戦いをしていると自分では思っている。 時々、まじめだと褒められる事がある。しかし、最近ではそのまじめさもどうなのだろうかと思っている。 確かにまじめは褒め言葉なのだろうけど、最近ではそう聞こえなくなってきた。ある意味、自分には攻撃力が足りないのではないのだろうか。 自分がまじめだと褒められるのは、守備力を上げ過ぎた為かもしれな

より良い未来と、進歩しない自分

進歩するか、淘汰されるか 気が付いたら既に5月に入っていて、まず驚くべき事は今年に入って4ヶ月経っているのに自分が何も進歩していない事だ。自分は、一体何をしているのだろうか。 と言うか、今自分で書いていて気が付いたんだけど、それは自分が自分に進歩する事を望んでいるという事だよね。そして、自分が変化していない事に軽く衝撃を受けている。 或いは、ただ駄目な自分を受け入れればそれでいいのだろうか。結局、駄目な自分を克服したいと思ってはいるようだが。 ところで、何故良い方に変

ただ惰性で書いている

待つ事と、虚栄心の克服 ひたすら待つ事が重要だ。もう特に言いたい事もないし、ただ生活は続いて行く。 空腹だったら食事の時間を待つ事。それと同じ事だろう。 毎日の積み重ねが重要だ。何かあったからといって生活は変わらない。 今までも変わらなかったのだからこれからも変わらないだろう。 と言うか、急いでも仕方がない。それらは専ら、虚栄心の問題だ。 虚栄心を克服する事が重要だ。 重要な事はただ急ぐ事ではなく、寧ろ丁寧に生きる事だろう。 この歳になると急いでも何も変わらな

絶対に抜け出せない世界からの抜け出し方

もう言いたい事とかもなくなってきた 自分は、既に終わった人のような気がする。と言うか、既に特にやりたい事とかもない。 言い換えれば、現時点でやりたい事をやっているので特に不満がない。自分の運命とかにも特に不満はない。 他人とか会社とかにも、特に不満はない。 不満があるとすれば、自分だろうか。結局、全ては自分の問題だ。 自分がやろうと思った事をできていない事がある。何か集中力が保てなかったり。 自分が悪いとか、そういう事を言っているのではない。善悪はどうでもよく、た

抽象的な夢ではなく、具体的な目標

もう歳なので、その都度気合いを入れて記事を書く事はできない 実際、自分の人生において言いたい事は先日書いた記事が全てだった気がしている。それ以上に言いたい事は特にない。 この記事はスキもビューも伸びいていないが、それも何時も通りだ。本当に思っている事を書くと意外と反響が少ないという事も、結局何時も通りだ。 とりあえず、これからはそんなに気を張らずに書いて行こう。何しろ自分には時間がない。仕事をしつつ学問をしつつ執筆活動もするという事は、全て中途半端に終わりかねない。

全体的には、現在自分が何をすればいいのかを理解しているという事が最重要

ガムシャラにではなく、合理的に 困った事に、時間が足りない。どうしたものだろうかと考えている。 と言うか、焦っているけどその焦りに対して冷静な自分がいる。若い頃だったらガムシャラに動き出していたかもしれない。しかし、現在自分はそれほど若くはない。 そういう訳で、焦っているのだけど行動自体は落ち着いている。考えている事は、より合理的に動く事だ。 いきなり取り掛かっても無駄だから、とりあえず合理的に計画を立てている。5年後の自分の為にだ。 ところで、この間5年後よりも5

今日も意味不明な文章を、ひたすら自己満足の為に投稿する

結局、文章を書いている事に深い意味はない 最近では毎日挫折しそうになっているけど、結局文章を書き続けている。これは根本的に、挫折の仕方が分からないという事が大きい。 自分の場合、反響が大きいから書いている訳ではない。反響が大きいから書いている人は、反響が小さくなったら止めるのだろう。 自分の場合、特に利益も反響も大きくない。なので、初めから文章を書く動機が不明だ。 何で書いているのだろう。一言で言えば、自己満足の為という事になるのだろうか。 自分でそう思っているから

凡庸である事の自覚と、継続する文学

自分で自分の首を絞める 特に文章を書かなければいけない理由がある訳ではない。それなのに何故自分は文章を書く事に拘っているのだろう。 そもそも名前を変えてしまおうか。ぶんがく、という名前を。 その命名を間違えた気がするんだよね。自分で考えて、自分で付けた名前なんだけど。 誰に押し付けられたという訳でもなく、ただ自分でそうしたくてそうしただけなんだよね。問題は、寧ろ自分のその当時の自信にあったのだろうか。 自信を持つ事はいい事だと思うんだよね。Twitter(当時)で、

人生という概念、文学という概念

自分は逆に、ジサツという概念を理解していない 何かイライラしている。交通二級とか、通信制大学とか手続きばかりで先へ進まない。noteもXも反響がいまいちだ。 一応noteは、ある程度時間をかけて書いている。それに見合った成果は出ていないが。 自分にとって文学は人生だという位置付けなので、他の事のように反響がないから止めるという訳にも行かない。 反響がなくても続けるのが人生だ。少し上手く行かないからと言ってそこで止めて、その後ゾンビのように蘇る事はできないという事だ。

何だかんだで、今特別不幸でもない

良くも悪くも、相変わらずの個人主義 今、そんなに不幸じゃない。今、この瞬間。 それでも、明日には不幸になっているかもしれない。気分的なものなのだろうけど。 具体的かつ客観的に幸福とか不幸とか決まっていない。それは、あくまでも自分の価値観に左右されるものだ。 以前Xで、幸福の理由が重要だ、というリプがあって意味が分からなかったのだけど、実は未だに意味が分からない。幸福な時に、理由なんかどうでもいいよね。 何となく上手く行っているとか何となく上手く行きそうだとか、そうい

五年後の世界より五分後の世界

夢の消滅と現実の生活 もういい歳なので夢は見ない。若い頃は見たけど。将来的に、こうなりたいとか特にない。 自分には、夢ばかり語る人が詐欺師にしか見えなくなってきた。自分はやりたい事は既にやっているので、壮大な夢よりただ明日が重要だ。 確かに未来は不確定だが、そこで夢を語る必要はない。自分は比較的達成し易い事を日々選択して行く。そして、それを積み重ねるだけだ。 自分は、まず劇的な変化を望んでいない。ただ未来を少しずつよりよくして行こうと思っているだけだ。 五年後の世界

プラス思考が、価値観の押し付けに変わる時

ある意味、価値観の押し付けに対抗する自衛の為のマイナス思考 既に何度も書いたけど、プラス思考が苦手だ。と言うか割と最近気付いたのだけど、その価値観の押し付けが苦手だ。 つまり、プラス思考で生きているだけの人はそれほど苦手ではないのかもしれない。しかし、それをこちらに押し付けてこられると酷く不快感を覚える。 その人がプラス思考で生きるのはいいのだとしても、それを他人にまで押し付けてくるというのはどうなのだろうか。 そういう訳で、昨日4人ほどブロ解した。あまりのプラス思考

その道の第一人者は、皆バカ

ぶっちゃけ ある意味人生は、自分がどれだけバカかという事を競うところのような気がするね。何をやるにしても同じ事だ。 学校とか、会社とか、政治とか、或いは文学とか、野球とか、お笑いとか。つまり、そのそれぞれのトップにいる奴は皆バカに決まっている。 ある意味、バカになる事によってトップになれるという事があるよね。 嘘だと思ったら、何でもその道の第一人者とかをイメージしてみればいい。それでも分からなかったら、あなたも充分バカなので自分の理論によると寧ろバカなあなたは何かしら

面白く楽しく、生きて行きたい

当面の問題は、時間がないという事だろうか とりあえず、現時点では特に問題はない。ただ、これから問題が色々と出てくるだろうけど。 時間が足りない。かと言って、金に余裕がある訳でもない。 そういう訳なので、ぎりぎりで生活している。仕事は辞める訳にも行かないし。 と言うか、仕事から得ているものは金だけではない気もする。仕事をする事によって手に入れているものは、経験として積み重なって行くのではないのだろうか。 と言っても、やりがいさえあれば仕事をする価値があるとも思わない。