条件付け

「この理由だったら、受け入れられるけど、その理由だったら、受け入れられない」

こんな経験ありますか?
私には、こんな経験、子供の頃からたくさんあります。

お母さんとの関係。
学校を休む時。
習い事。
仕事。
子育て。
趣味事。

私の中で、この「受け入れられる理由と、受け入れられない理由がある」「物事がある」というのに対して〈違和感〉を感じていました。

でも、「そういうものだ」と頭に叩き込んでいたし、もし意見をしたら、自分が攻撃されるんじゃないか!とも思って、「自分を守るため」に、本心は迷いのまま、なるべく周囲に合わせるように行動してました。

しかし、我が子が、幼稚園や学校に行きたがらなかったり、不登校が続いたりする日々を過ごす事になり、理由によって、受け入れられたり、受け入れられなかったりする中、私自身幼稚園教諭の経験があるのもあって、相手の思いも察するし、『はぁ〜……………』ってなってました。

例えば、「学校は熱がなかったらとりあえず来てください!」熱があったら、普通に休めるけど、熱がなかったら、ズル休みと言われたりする。

子供が学校に行きたくない、不登校だった時、本当に迷いに迷い、いつも抵抗と葛藤でした。「熱がなかったら行った方がいいのか?行くのが普通なのか…」この常識や概念が、グラグラしてました。
子供も、親である私も…。


それから、私は「条件付け」を嫌ってました。無意識に、「条件付き」に毛嫌いする反応をしていたと思います。


けど、
社会も私も、自分基準の条件があるだけなんですよね。

どっちが正しい、間違ってる、ではなく。

自己観察を意識し始めて、気付いたんです。
偉そうに人に意見をもつクセに、私自身が、他人にいっぱい条件や、基準、好みで反応している事があると、気がついたんです。

恥ずかしかったし、凹んだし、まぁ〜、いろんな感情と向き合いました。

子供の今を大切にしたい感覚の私は、学校の常識やルールを受け入れにくくなって、結局、対立する意見・エネルギーをつくる視点でいた事に気が付いたんです。

『こっちの意見の方が正しい』のぶつけ合いをするだけの人になってしまう所でした。

そして、思い出した事があるんです。
我が子が、学校に行きたくない時、休んでても、何かスッキリできない私達親子に、
「ズルじゃないよ。ちゃんとした理由だよ。
休んでいいんだよ」
「それでいいんだよ」

そう、本気で、伝えてくれ、我が家に光をくれた方がいた出来事を😊
その方は、よかよか学院・ばななせんせいです❣️

そんな出来事を思い出してたら、ちょうど、ばななせんせいのイベント情報が目に入りました❣️
すごいシンクロ❣️すごいタイミング❣️

「それでいい」「あなたは素晴らしい」そう伝えてくれ、
〈この出来事を、そんな視点から見て解釈するのかーーー❣️❣️❣️〉と当時は目からウロコ…というより、「そうだよね!これでいいよね!」と自分も周りの人も、まるっとなる感覚を感じました。

ばななせんせいのイベント情報が目に入ったので、シェアします😊
ぜひ一度会ってみて下さいね😉



「わたしらしく生きる」を選択し、日々を生きていきたいと思っています。サポートしていただけたら、すごく嬉しいです💓