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リアルマネーの地にて(8月2日)

・ついに、課金の末にPSSRをお迎えした。ソシャゲなるものに触れてから約十年。これまで己が課金することを一切認めてこなかった男も、堕ちる時は早かった。

・(実態は全くもってそんなことはないのだが、)なんとなく、課金は邪なものだと思っている節が以前まであった。

・無論、課金するか否かというのは個人の裁量に委ねられている。ゆえに、友人やTLの人々が課金をすることについては、特段なんとも思っていなかった。好きにすれば善し、それで済む話である。

・ただ、いざ自分でやるとなると、やはり躊躇いがあった。どことなく「わるいこと」をしているように感じられたのだ。


・ついさっき、その「わるいこと」の一線を越えてしまった。

・この文章を書いていて思ったが、自分の中には、頑強なる不文律として、いくつかの「わるいこと」が存在している。今夜、その一つがついに破壊されてしまった。

・「わるいこと」の一線を越えることは、不可逆な事象である。一度越えてしまったら、その事実は永劫頭の片隅に刻まれ、もう二度と「一線を越える前の自分」には戻れなくなってしまう。


(ブッダミット!よりにもよって冬優子=サンの時に……。)


・今回、先のわるいことを容認したことには訳がある。ジュエルを確保するためにPSSRのコミュを読み漁るよりも、稼いだお金で課金をした方が潔いと考えたのだ。

・実際どうなのかはわからない。そもそも、ここまでに書いてきたことを含めて、潔いも何もあるか?という気すらする。深く考え過ぎているだけで、本当はもっとリラックスして取り組んでいいコトなのではないのか。


・新たな不文律を作るべきなのかもしれない。己を許すことが出来ず、わだかまりがいつまでも残り続けるというのならば、そうするほかあるまい……。


・これは仮の話だが……もしも、(合理性を一切度外視して、)無課金でPSSRを迎えることそれ自体に、何らかの神聖性のようなものを覚えていたとしたら……?
喩えるなら(という表現が適切かどうかは定かではないが、)処女性のような……。

・その時は、無課金に代わる新たなシンボルを見出さなければならないということになる。

・ひょっとすると、自分という人間だけがミニマムに信仰している教えに、強烈な揺らぎが生じているとさえいえるのかもしれない。


・想定外の大事になってしまった。自らの手で象徴を損なった信徒の行く道は辛苦か。あるいは、

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