9月4日

・メディアを介した先にいる人の人格や性格なんて、本当は全然何にも分からないのではないか。

・動画や配信を見ていると、いい人そう〜みたいな感覚を覚える時がある。けれどもそれは、いわば錯覚のようなもので、その人物のごく一部が切り取られたモノを見て、都合よく「いい人そう〜」と思っているだけなのではないだろうか。

・しかし、『結局どこまでいっても全容なんてわかりっこないんだし、都合のいい切り抜きに気持ちよく浸かってる方がいいじゃん』と片付けてしまうのは、最適解ではないように思える。人を、ましてやメディアの向こう側にいる人のことを理解するなんて、烏滸がましく無理がある話なのかもしれないが、それでも、理解しようとする姿勢のようなものは手放してはいけないような気がする。


・ある人に対して、敬意を持ち、適度な距離感を保ちつつ、過度に神格化しない。

・そういうものに私はなりたい。……偽物の宮沢賢治になってしまった。

・『偽物の宮沢賢治』、みたいな言い回しで日記を書いている時点で、もう色々とダメなのかもしれない。あるのかないのかもわからないインターネットの毒にやられてしまっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?