おかんの獺祭弁当
中学高校の頃は、非日常的な面白い事ばかり探し続けていたし、授業中は夢を見て、放課後はグラウンドでストップウォッチと競争する日々を過ごしていた。
なので、クラスは何組だったのかとか、担任の先生の名前とかクラスメイトに誰がいたとか、そういった日常の記憶がとても曖昧なのです。
それが中学時代のことなのか、高校時代の出来事なのかは、ほとんど覚えていません。
ボクにとっては、どうでもいい事として勝手にゴミ箱行きになってしまっているようです。(決して薄情なのではありませんが、今もそんな感じです。)
これからの話は、そんな時期が曖昧な中学高校時代の6年間のどこかの弁当の話です。
ボクの家は、とても裕福とは言えず、むしろ明らかに金銭的に厳しい家庭でした。しかも5年間で3兄弟が産まれたため、食に関しては常にカニバリが起きそうな油断できない環境で育ちました。
当時のボクの弁当箱は、大きさといい重さといいA5のコピー用紙500枚の梱包サイズそのもの、ほぼ「キロ弁」に近いものでした。
キロ弁とは、白いごはんが見えないほど唐揚げや生姜焼きや野菜炒めが表面を覆い、総重量がほぼ1キロの弁当のことです。
ボクのキロ弁が、部活動仲間のキロ弁と違うところは「弁当のフタを開けるとそこは雪国であった」などと高明な小説家が書きそうな、まさに一面の銀シャリ世界が広がる弁当だったことです。
もちろん、ど真ん中には梅干し。そして、片隅には申し訳なさそうに、茹でられ甘めのタレをまとわされたほたるいかが4匹、獺祭のように並べられていました。
大人の階段を登りかけたボクは、不満も漏らさず食べていましたが、ごはんとオカズの仕切りがあり、迷い箸でオカズを選べる仲間の弁当をとても羨ましく眺めていました。
少し恥ずかしく、フタで隠しがちに食べていると、見かねた仲間がたまに唐揚げを分けてくれたりもしました。
でも炭水化物100%の弁当は、まんぷく感満載、エネルギーのかたまり、昼寝と部活動との相性はバツグンでした。
いま、当時の親の歳を越えたボクは思うのです。もう少しオカズのある弁当を食べたいと思っていた息子の母は、もう少しオカズの沢山ある弁当を作りたいと思っていただろうと。
今でもほたるいかを見ると、あの弁当を思い出します。
今でも獺祭を飲むと、あのほたるいかの弁当を思い出します。
あの弁当について母と話したことはありませんが、ほたるいかは母とボクのとても懐かしい思い出なのです。
*獺祭:獺(かわうそ)が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえたことから。世界的に注目されている日本酒の銘柄。
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